第104話

「追尾の手配は」


「斥候を潜ませております。陽が登るころには敵情の把握が可能でしょう」


 既に位置に就けているか、呂軍師ならばそうだろう。幕僚らのうちで幾人かは頷いている、以後似たような状況になれば言われずとも真似ると信じよう。教育に丁度良いな、少し話をするとしよう。


「しかし、二千でなにをするつもりだったと考える」


 視線を呂軍師にやると微笑してこちらの意図を受け止めてくれた。伊達に隣にずっといない、幕僚らの底上げに力を貸してくれる。いきなり答えを出すのではなく、少しずつ順をおってどうしてそうなるかをおさらいしていく。


「それだけの兵力ともなれば、指揮官の経験にもなります。部将が隊を動かすうえで糧になるでしょう」


 羅憲や石包あたりに自由兵力を持たせるならば、そのあたりから始める。独立した判断が必要になりはするが、上級司令部がすぐ傍に在る形だ。いずれにしても本部に伝令を出して行動を決めるようなことはできない、判断はその場で行う一瞬のみ。


「こちらの居場所を掴んでいるようだったが」


 鮮卑はこちらを掴んでいるが、こちらは向こうを未確認。ならばどうするって話だな。一方的な不利にしか見えないだろう、実際そうだがこの時代ならば特に言う程のことは無い。もしこちらの遠征軍をスルーして領土に攻め込むとかなら話は別だが。


 実際にそういった行き違いで後方を落とされた事例は多々ある。必要な時に必要な戦力を戦場に送り込めるかどうか、そこが司令官の采配というもの。


「ゆえに、居場所を明らかにして敵を引き寄せ、それで存在を把握するよう努めております」


 誘引することで姿を見つけ出す、闇雲に捜索するよりも明らかに効率が良い。軍旗の使いかたとも言える、自身を囮にするあたり何とも言えないが。結果だけでなく、どうしてそういう運びにしたかの説明を受けて皆が真剣に聞き入っている。


「呂軍師が二千で敵本陣に攻撃するならどうする」


 ちなみに俺ならば百だけ別動隊にして、残りで陽動攻撃を派手に行い、潜入部隊で糧食に火を放つぞ。後は一目散に逃げだしておしまいだ。人を殺すことだけが全てではない、食い物を失えば補給に負担がかかるからな。


「もし時間を頂けるならば、毎晩闇夜からの射撃と銅鑼を鳴り響かせ、昼間は休息をとり睡眠不足に陥らせます」


 それをやられるときついな! 攻撃側がいつ攻めるかは自由だ。本陣の場所が不明で威力偵察をするような状況ならば、それが一番気味悪い。


 あちらは騎馬で捕捉できない、選択権は無いな。それで敵を倒せるわけではないが、注意力はごっそりと削られてしまう。その後に一昼夜を擁しての戦闘でもされてはかなわん。時間を得られるかどうかは、やはり司令官次第。そのあたりに裁量が伺える。


「そうされんように努力しよう」


 話をしているうちに外の騒がしさが少し収まって来たような気がする。がちゃがちゃと音を鳴らして伝令が駆け込んできた。赤い旗の指物、親衛隊の装具、李項の直属兵というのが一目でわかる。


「申し上げます。鮮卑の攻撃を退けました! 現在陣内に残る敵の掃討中」


 こちらの対応能力を見極めて退いたわけだ。一定数の逃げ遅れは必ず存在する、それらを捕縛してひとまずは終了になるか。


「わかった」


 それだけ言うと退出するようにと軽く手を振る。さて、こちらの追尾兵の戻りを待ってからの行動になるぞ。


 敵の居場所を知ったらそこへ向かう、面と向かって戦いを挑んで雌雄を決する、込み入ったことをするよりすっきり簡単だよ。いや待てよ、こちらが解っているならここでもう一度襲撃をかけて来る可能性はどうだ?


「三方三里に偵察を放て」


 こちらの表情をみて呂軍師が命令を出す。戦闘距離である三里との単語から意図をしっかりと把握しているのが理解出来た。本当に俺など不要になったものだ。


 敵部隊が逃げていく先に本隊が居ると信じていた幕僚もちらほら。以後気を付けてくれればそれで構わん。


「夜直で休んでいない者は休ませろ。いいか、お前達もだ」


 ともすれば次の夜まで寝ないで勤務しようとするのが多い。別に全員が起きている必要などもう無い、休めるうちに休むのも軍人の務めという奴だ。呂軍師がこちらを見詰めている。……ああ、そうか、そうだな。すっかり抜け落ちていた。


「俺も少し休む、解散だ」


 俺がここで起きて居たら抜け出して休むなど言えるはずがないものな。休みを取る時には頂点からその姿勢を見せねばな。


 二時間の仮眠を取って遅めの朝を迎える。身体のだるさは全くない、二度寝の状態が食欲の不振を一瞬だけ及ぼしたが、目の前に飯が用意されるとそれで解決した。生鮮食料があるうちはそれを積極的に消費していく、長丁場になるとどうしても栄養が偏ってしまう。


 さっさと飯を平らげると、先ほどの戦の報告を受けることにした。緊急事態があれば補佐が処理をしておく、俺の幕はいまのところそれで充分成り立っている。漢中戦を行ったのちの指揮官不足が一番ひっ迫していたのかもしれんな。


 陸司馬はいつものように幕舎の隅に起立している、その部下が捕虜を縄で縛って引っ立ててきた。見るからに異民族のナリをしている。こちらを睨んでいるが、憎しみはさほど抱いていないで、敵意だけが伝わって来る。


 ただの兵隊をここに連れてくることは無い、こいつらは襲撃部隊でもそれなりの地位を得ている奴らだ。まあ話をしてみればわかるか。


「あなたたちは漢語は理解しますか?」


 左に立つ呂軍師が穏やかな口調でそう問いかけた。なるほどな、まずはそこからか。だんまりを決め込んでいるがぽかんとしているわけではないところをみると、きっと理解しているんだろうさ。


「私は後将軍の呂凱です、名前を聞かせて頂けますね」


 自ら名乗ることで礼儀を全うする。渋い顔をしたがそいつは一度目を閉じて後に口を開く。


「俺は泄帰泥、鮮卑の大人だ」


 ふむ、先に名前は耳にしたが正直全く知らん。呂凱に視線を向けると耳元に近づき「扶羅韓の子、かの檀石槐の曽孫にあたる人物で御座います」説明をする。自慢ではないが、かの檀石槐と言われても全くピンとこないぞ。


「そうか」


 解らんをその一言に込めて呂軍師に預けてしまう。彼は小さく頷いて正面を向いた。あちらからしても俺などどこのどいつだって話だろうけどな。


 大体にして氏がなければ親子関係を他人が認識するのは困難だ、日本に生まれ育ったからなのかね。世界をみればファミリーネームを持たない民族は億単位でいるが。


「これ、泄帰泥殿らの戒めを解け」


 ここで暴れることなどないだろうと、まずは待遇の改善を指し示す。なるほど、こいつを何かの材料に使うつもりってわけか。呂軍師の好きにしたらいいさ、解放したって俺は一向に構わんからな。


「なんのつもりだ呂将軍」


 隣に座っている俺をチラッと見るが反応をしない、誰かの推測はついているだろうが無礼と不満を向ける先ににでもなっておくとするか。


「貴公の武勇は聞き及んでおります。無論、お父上のお話も」


 呂軍師は何でも知っている、か。何かしらの動機を握っているわけだな、特等席で観戦してみるとしよう。表情を硬くする泄帰泥だが憤慨するわけでもなく、他の感情を表すわけでも無かった。


「父は軻比能に劣った、それゆえのことでしかない」


 ふむ、軻比能と争ったわけか。すると鮮卑が共同して攻めて来る恐れは意外と少ない? 専属の補佐が必要だと痛感するよ。

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