第103話

「夜は警戒が強いので、明け方を狙ってくると愚考いたします」


 不寝番を立てて敵地で警戒をする、緊張感が違うので奇襲は失敗しやすい。だがもうすぐで起床して任務を終える朝方、注意力は散漫となり見落としがちになる。


 一方で攻める側は早めに寝てしまい、未明に起床することで頭もはっきりとして体力も回復できるわけだ。このあたりは仕掛ける方が有利で守るのは不利だ。時機を設定できるのは強みであって、少人数がマイナスにならない。


「頂点の戦闘力は低くなるが、就寝時間をずらして明け方の稼働を増やすとするか」


 早寝早起きの部隊を一つ指定する、もっとも現代で言うところの十八時就寝、三時起きのようなもので早起きも度が過ぎている。腹の減り具合もずれてしまい、生活サイクルを変えるのは体調不良が一定の割合で現れてしまう。それでも今は不意に兵力を損耗させないことが重要だろう。


「一つ案が御座います」


 微笑しながら面白そうなアイデアがあると持ち掛けて来る。呂凱は篝火についての懸念を口にする。


「夜半互いの姿が見えねば多数である我らがあべこべに不利になり、同士討ちを行う危険性が御座います」


 敵味方の識別が姿かたちだけ、知り合いが居たとしても正確に把握できることは無いだろう。攻撃をされたら反撃をする、夜が明けてみたら味方が多数転がっていたでは笑いものだ。


 だからと攻撃を控えていては恐怖心で士気を失い崩壊する。ヒトは絶望を打ち払うのに、興奮を必要とするからな。耳打ちをすると、いかがでしょうかと問う。


「なるほど、それは驚くだろうな。面白い、やってみよう」


 特段こちらに不利も苦労もないが、あたればバックは大きい。なるべく外縁のはいつも通りにさせておくべきだろう、グラストラップの類も用意させるとするか。


 石や木々を積んで防御陣地を構築する、少しでも身を守りやすくすることで生存性を向上させた。面倒だからとこの手間を省くと後で痛い目を見るが、それでも油断して命を落としていったものを俺は沢山知っているぞ。


 個人個人の装備にも同じことが言える。煩わしくても背嚢のものから消費していくことで、いざというとき携帯している物資が違ってくる。


 縄を使って横たわっている『帥』旗をこの場に立てた。わざわざ敵にまで報せることもないが、そこは俺の矜持という奴だ、


「本国を離れて遠く外地に来ております。兵らはこの旗を目にして心を震わせるでしょう」


 呂軍師が苦言を呈するわけでなく、俺のわがままを認めてくれる。隠密行動ではなく、遠征しているのだ、そこは意味合いが違ってくる。


 戦争をしている、負けるのは論外だが、ただ勝てばよいわけではない。そこいらに転がっている武官ならばそこまでは求めはしない、だが俺は蜀という国を代表する軍兵の頂点だ。


 恥じるような行為は出来ようはずがない。力を見せつけて勝ち続けなければ存在価値が示せない。


「将軍が後ろに居ると解っているから兵は命を懸けられる。向かって来る全てを跳ねのけ、存在を見せつけてこそだ」


 支えてくれよ李項、俺の命はお前に預けている。今も昔もそうだったし、これからもそう在り続けるつもりで旗を見上げる。思えば俺の上司もずっとそうだった、出身が大きく響いているのは否めないが。


 指揮官は最前線にあって兵と苦難を共にする。大昔から引き継がれてきた意志、敵に降らず、味方を見捨てず、前へ進む。


「だからこそ、私は島将軍に全てを捧げ、お役に立てるよう微力を尽くします」


 幾度となく言葉にする、呂凱が求めてやまなかった存在。自身では限界があり、見えていても到達不能だったどこか。


 人には適性というものがある、本人には解らずとも必ず得手不得手は存在する。そこに運不運も絡んで来るから人は悩むし間違える。着々と築陣されてゆくのを眺めて、それぞれが出来ることを精一杯しているのを認めた。


「頼りにしているぞ、呂軍師。ところでアレの保存状態はどうだ?」


 鮮卑対策に持ってきた品、倉にしまっておくのとは違い携行するには難しい条件が伴う。いざ戦闘で使えなければ何の意味もなさない。荷駄隊の方に視線を向けてはみるものの、特に特別な扱いをしているようには見えなかった。


「皮袋に密閉し、粘土で被っております。年単位で適切な状態を保てるはず」


 ふむ、そういうものか。この時代の扱いはよくわからんが、呂軍師が言うのだからそうなんだろう。こちらの主力が乗馬歩兵で劣るんだ、その差は知恵と道具で埋める部分が大きい。腕前は低くても意のままに動く親衛隊が中心だ、戦い方に文句は言わん。


 中県には最近、大規模の訓練場が設置されて、親衛隊への選抜登用が恒常的に行われている。農民としての義務を全て免除して、意志ある者の採用を前提に。


 そこの教官は親衛隊の除隊者が主で、傷痍軍人の再就職先になっていた。たとえ戦うことが出来ずとも、後進へ経験を引き継ぐことで役に立てる、彼らも気落ちすることなく日々を生きていた。


「布の手甲を装備した兵を散らしておけ、固める必要はない。別にそいつらだけにつかわせることもないがな」


「御意」


 今晩に最初の山場が訪れるはずだ、悠長に構えている暇はないぞ!


 微風の夜。遠くで狼の類が吠えているのが耳に入って来る。今のところは夜になっても寒いことなど無く、昼間の暑さにだけ悩まされる程度。


 毛布一枚腹にかけて寝込んでいる兵士が圧倒的多数、屋根がないのが心配ではあるが、今は我慢するしかない。移動続きで野営地の設営は省略されている、何せ防御力を優先していた。


 それでも兵士は不満を訴えてこない、まだ死にたくないという共通の認識を持っているからというのもあるが、一番はやはり統制力を主軸に集められている集団だから。


 深夜三時前に休養充分で起きだす部隊が一つ、二十人ずつの小部隊に別れて陣営の外縁に、不寝番とは別に警備に立つ。外側には百メートル以上先に篝火が幾つも立てられて闇を照らしていた。


 そこで敵を防ぐ意味合いではなく、まずは発見する為だけに置かれている。簡単な逆茂木で縄張りを作っている、それとて足止めだけのもの。


 万の軍勢を囲っているのは天然の地形と土塀、高さこそないが遮蔽物としての機能は充分。弓矢の直射が防げるだけでもかなりの意味合いを持つ。


 立哨していた兵の首筋に矢が突き刺さると、警告を与える暇もなく倒れた。少数の不寝番が軒並み殺され篝火が何者かに荒らされる。巡回していた二十人隊の一つが「敵襲!」大声と警笛で危険を報せる。慌ただしい雰囲気に直ぐに目が覚めた。身を起こすと陸司馬が天幕に入って来る。


「ご領主様、鮮卑の夜襲です」


「来たか」


 想定内の攻撃など奇襲にはならん、だが早めに気づいたからと油断して良いとはいかんな。二秒で頭脳を覚醒させる。


「部将らに各所の防衛と、本部への報告を急がせろ。敵が侵入している箇所があれば本部から鉄騎兵を増援しておけ」


「御意!」


 まずは状況の確認と穴埋めから始めるとしよう。甲冑を身に着けて、水を一口含んでから本部の参謀らが集まる幕へと入った。既に呂軍師を主席にして対応策を実施しているようで、上座に座ると報告を受ける。


「島将軍、鮮卑の夜襲です。現在李将軍が防衛の指揮を執っております。外縁に侵入されておりますが、土塀を越えることかなわずに食い止めているところ」


 地理不案内、来たばかりで気が緩んでいたら少なからず被害を受けていただろう。俺が居なくても李項もいれば呂凱もいる、何一つ問題はない。主要な奴らで顔がないのもいない、きっちりと機能しているようでなによりだ。


「そうか。追い払うだけで構わん、俺がやって来たというのを確かめに来たんだろう」


 来るぞと宣伝したのはこちらだがね。まずは認識してもらわねば話にならんからな、ここでどうこうするつもりはないぞ。敵の武将を討ち取れたらそれにこしたことはないが、あちらも馬鹿ではないさ。


「敵兵は二千以下で、さほど戦力は御座いません。威力偵察でしょう、各種の兵器は使用を禁止させております」


 初見の兵器に対抗できるかどうかの温存だな、最初から奥の手をバラすことはない。それに使わずに終えることが出来たらより良い、そうもいかんだろうがね。二千で遠くやってきているわけではない、どこかに本隊があるはずだ。それを突き止める手筈はどうか。

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