第101話

「島将軍、ようこそおいで下さいました」


 ゆるやかに礼をして受け入れてくれる。こちらも一礼して急にやってきたことを詫びる。


「いきなりやって来てすまん。少し話がしたくなった」


 にこやかに頷くと「どうぞこちらへ。一献ご用意させていただきました」先を歩いて小部屋へと通した。そこに居るだけで安心できる存在感か、こいつこそ皆の上に立つべき奴だよ。


 先に座るようにと言われ遠慮なくそうした。陶器に少し色が付いた酒が入っていて、アルコールの匂いを漂わせていた。差し向かいで座っているので、呂凱が猪口に酒を注ぐ。手にしたそれを見詰めるとグイっとあおった。


「何か心配事が産まれましたでしょうか」


 だからやってきたと間を省いて耳を傾ける。すっとは言葉に出来ずに、注がれた酒をもう一口飲み下す。猪口を置くと視線を前に向けた。


「許都に李長老を向かわせ、鮮卑らの生き残りを捜索保護させ、状況の把握をさせるつもりだ」


 どうしてそうなったかの根拠を脳内で探る。全体の情報はまず間違いなく俺より詳細に把握している、直ぐに小さく頷いた。これだけなら俺がこうも複雑な顔をしてやってきた理由にならないことも。


「左様ですか。李融殿にはどなたから使いを?」


 年老いた身にはあまりに厳しい内容の命令になってしまう、それを誰が伝えに行ったか。無論自分でそうさせることも出来たが、そうではないと察しているようだった。


「李項にさせた」


 短く事実を答える。李項中領将軍大将軍長吏。李兄弟に与えている中将軍の呼称とは少し違った中領将軍という官職、これを元にして弟らに号を贈っている。


 長吏とは主官の代理人、この二つを兼務しているということは、即ち全幅の信頼を寄せている証拠。自由意志などありはしない、それなのに極めて残酷な命令を通させた。好き嫌いで出来ることではないのはお互い様だが、それでも俺は李項に対して申し訳ないことをしてしまった。


「海闊天空であるは君たる者の明るさではありますが、戦陣に在りて将果断の苦を為すとも。広く深い度量が求められはしますが、今は戦時で御座います。辛く苦しい道を行くのは将たる者の宿命。それは李中領将軍も承知の上」


 解ってはいるつもりなんだ、だがこればかりはいつまでたっても慣れない。慣れるつもりもないが、気落ちしない位のメンタルが欲しいものだ。


「……そうではあるんだが……」


 心が晴れないのを笑ったりはせずに、呂軍師が二度、三度頷く。


「文は拙を以て進み、道は拙を以て成ると言います。李長老ならば我らが考えている以上に上手くことを為すでしょう。ですが――」なんだと瞳を覗き込むと、真っすぐに視線を合わせてきて「その背に負う荷が重ければ、某が分かち合いましょう。祥を共につけます、必ずやお役に立つでしょう」


 呂祥将軍、呂軍師の一人息子をか! 妻を失い独り身の呂軍師だ、失いでもしたら血筋が途絶える可能性が高い、あまりにもリスクが大きすぎる申し出だぞ。


「むむ……」


「アレは私よりも才覚を得ております、ですが経験が浅く大成するかはこれからの行い次第。されば戦乱を生き抜くためにも、虎穴へと飛び込み生きて帰ることが肝要」


 時間で経験をつませる道だってあるだろうに、別に武官である必要も無いんだ、どこか後方で成長を待てばいいものを。充分に望みを通せるだけの功績も地位もあるんだ、それだっていうのに。


「そいつは矛盾しているぞ」


 呂軍師には本当に助けられる。靄が掛かっていた視界が晴れていくような感覚があるな。不備を指摘しているわけではなく、口元を吊り上げての言。


「どこが矛盾しているのか、是非ともご教示いただきたく」


 伝わったようで呂軍師も穏やかな表情で話しに乗って来た。こうしているとマリーあたりと居るのを思い出すよ、いつも無茶ばかりしたし、させたものだよ。だからと後悔は一切無い。


「全てを上手くこなし、生きて帰って来たとしたらどうなると思う」


 挑戦的な笑みを浮かべて身を少し乗り出す。苦しくても咲き乱れることを選んだ、戦うことを。


「異民族を扇動し魏に仕向け、島将軍が首都へ攻め込み、その全てを打ち破るでしょう」


 その通りだ、策が為れば鮮卑は怒り狂って魏に攻め込むだろう。その上で呉も魏に攻め込んで、そこでようやく対等の戦力になる。やれやれとしか言いようがない。


「概ねその通りだが、一つ致命的な誤りがあるぞ」


「致命的な……それは?」


 あの呂軍師が重大な見落としがあったかも知れないとの指摘を受けて目を細めて思考を巡らせた。だが答えは近くにある程に気付かない。


「俺が首都に攻め込み全てに勝つんじゃない、俺達が、だ」


 真顔で迫ると、同時に笑い声をあげて破顔する。そうだ、失っても命までなんて線はとうの昔に越えている。俺は前へ進み続けることしか出来ない、勝ち続けていくことしか。何一つ諦めず、何一つ後悔せず、何一つ誤らずに! 俺はこの手を汚して後ろ指を指されようと、自ら納得できる罪を負う決意がある。


「地獄の果てまでもご一緒させて頂きます。許都での行動指針の草案を速やかに準備いたします、心を鎮められますよう」


 一から調べさせるようでは手落ちになる、情報収集は呂軍師に任せよう。


「そうしてくれ。俺は対騎兵の戦術でも考えておくとする」


 目の前の敵と戦っている方が百倍マシだな!


 生まれながらの騎馬兵にどうやって対抗するか、そこに集中しなければならん。飛び道具を使うのが正解ではあるが、それにプラスして俺のスペシャルを用意出来ないようでは話にならん。人馬一体を崩すには直線的な攻めだけでは上手くない、そこを掘り下げてだな。


 待てるだけは待った、李長老に与えられた時間が少なかった、そういうことだろう。二か月の工作期間では満足に結果を出せるはずがない、何せ敵地のど真ん中だ。


 長城の手前で数日待機していたが、乗り越える命令を出した。伝令も鐙将軍の籠もる要塞に到達しているはずだ、これ以上は時間を無為に過ごしたくもない。軍営の一切を李項に任せてしまい、呂凱と共に本陣で視野を広く持ち備える。


 手入れがされていない雑木林の山林を抜けると、灌木地帯と岩場の連続。これでは農業など発展せんだろう、領土としての利用価値は低い。近隣に住めないからこそここに長城を築いたわけだ、地形に沿っただけとは言えないぞこれは。未知の獣も暮らしているかもしれない、毒を始めとした風土病の懸念もしておくべきだ。


「水あたりにだけは細心の注意を払えよ」


「はい、ご領主様。煮沸の後に利用するように命じてあります。その上で、同じ水源の物を半数以上で供用しないようにもしてあります」


「そうか」


 気が回るようになったな! 全滅を避ける意味で、半々の水を使い分けるか。頼り出来るようになった、本当に嬉しいものだ。もし病気になっても一人を抱えて撤退可能、リスクの分散は遠征時の重要課題の一つ。


 緑と茶色の木々が茂る山地を上下すること暫し、連絡要員を高山の頂上に送るのも忘れていない。複数の色の旗と、鏡の類を抱えた分隊を。隣をゆく呂凱が馬上で微笑している。


「どうだ」


 これ以上ないくらい大雑把な質問。投げかけられた側としても困ると思いきや「大変結構ではないでしょうか」前後をこれだけ省いてもしっかりと伝わっていたのに驚かされる。


 若干埃っぽい空気が木々の間を通り鼻先を通り抜けていく。北からの風で運ばれてきた砂が口の中をじゃりっとさせた。湧き水でも無ければ籠城側は干上がるな、それとわかって布陣しているとは思うが。

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