第100話

「させられている、というのがより事実に近いはずだ。俺が出向いてそのあたりのことを知らしめてやるつもりだよ」


 書簡を送ったり、使者を行かせるよりも信じやすいはずだ。わざわざ寝言を吐きに長城を出るなどと思うようなら別だが。


「させられている、ですか?」


「ああ。司馬懿の策略に乗せられているんだ、一族丸ごとな」


 俺もそのあたりは注意すべきだな、誤解一つで国が傾きかねんぞ。司馬懿の策かは解らんが、そうなんだろう、何せ諸葛亮と司馬懿はライバルだ。漫画知識全開だな。


「詳しく教えて頂けるでしょうか?」


 何か違和感でも持ったか、だとしたら説明してやるとするか。銚華が俺を裏切ることは絶対にないしな。少し時間をかけて丁寧に事情を伝えると、切れ長の目を細め眉を伏せた。数分思案するとついには口を開く。


「鮮卑や匈奴の単于や大人らは、その子弟を人質に出させたりして反乱を防ぎ、恭順を強要することがあると聞きます。その処断の話が事実でしたら、遺体を取り戻し、生存者がいるならば保護することが出来たら旦那様に感謝をするでしょう」


 それは道理だな。俺が兵を出す先が違うと言いたいわけか、大軍を差し向ける内容でもないがどうしたらよいものやら。


 処刑したやつらの死体はどこかに埋めたんだろうな、火葬するような文化じゃない。それを掘り起こすのは出来るとして、生存者について考えてみるとしよう。


 帰順した異民族の人質を全て綺麗に捕らえたとは考えづらい、何せ毎日いつも一緒に居るわけではない。それに各所に友好的な魏の人物だっている。


 遠く長安に居ては解らんが、許に行けば見えて来る事実もあるはずだ。こういった任務に適切な人物、誰がいる? 潜入するんだ、現役の武将らではオーラが違う、何かと目立ちやすいな。


 人間性を見る判断力と、異民族にも信用される人物、それでいて万が一には死んで全てを隠し通せる……慎重にならざるを得ん。


 どちらが成功しても構わない、そういった道を行くべきだ。そうなれば許へ送った者が不満だろう、それも考慮して思い付く者は一人しか居ない。


「生存者の可能性だがどう思う?」


 少なくとも屋敷に居た奴らはまとめて処刑されただろう、俺が拘束をする側だったとしても例外は無い。恨みとは関係が近い程に濃くなる、だから関係者は全滅させるのが一番になる。


 そういう意味では鮮卑や匈奴が長城の外に居るのは浅慮というわけだが、憤慨したからと異民族だけではどうにも出来ん。意見が割れて仲間割れすらしかねん。


「魏の有力者、北方商人、調略潜伏者、無知な住人、或いは心に反発を持つ者が保護することがあるでしょう」


 失策として後に生証人を持ち出すか、次点の魏の宮廷人ってことだろうな。商人はあり得る、長城の外へ送りだせれば財宝と交換出来る見込みがあるぞ。


 調略潜伏者は蜀や呉の工作員を示しているんだろうが、それが接触しているなら俺のところにも一報がありあそうなものだな。無知な住人が相手では探しようが無い、そこはパスだ。


 処刑を知り得て反発を持つ人物、そこに何かヒントは無いだろうか。別に異民族に落ち度があったわけではない、それなのに一方的に命を奪うことに不満を持ちそうなやつか。


 そういえば崔林てやつは陳王の関連で人となりを聞いたりしたが、異民族対応についていたな。昔から真っすぐで、曲がったことが嫌いで権力者にも媚びない。可能性はあるんじゃないか? とはいえ一人で行かせるのはあまりに無謀、経由させる位の手土産は必要だ。


「銚華の助言で一つ思い付いた」


 表情も明るくうなづく。


「それは宜しゅうございましたわ。夕餉をご用意しておりますのでこちらへどうぞ」


 誘われるままに食卓へと向かう。食事を始める前に「李項を呼んでおくんだ」側仕えに命じる。軍の準備で大忙しなところを呼び出されたにも関わらず、食事が終わる前に駆け付けた。


「お呼びと聞き参上致しました!」


 こちらに一礼した後に銚華にもそうする。


「頼みたいことがある。これは中領将軍にではなく、李項という個人にだ」


「頼むなどと仰らずに、何なりとご命令を」


 躊躇なく即答する。こういうことはわかっているが、俺の気が収まらないものでね。


「うむ。許での調略に関するものだ。先の異民族処刑での生き残りの捜索保護と、遺体の回収の役目を与えたい人物が居る」


 李項に命じるわけじゃない、お前には別のことで働いて貰わなければならないからな。親衛隊の手勢からその指揮官を選定しろと言われるのかとこちらを窺っている。


「その人物とは?」


「李融長老に」


 年老いた父親を指名されて言葉を出せず、直ぐには反応せずに息を吸う。それはそうだろう、部下ならば命じることができるし、同輩ならば説得も要請も出来る。


 きっと李長老は笑って引き受けてくれるはずだ、それなのに李項を通すのはこいつに拒否する権利を与えたと同義。無論俺もそれを受け入れるつもりだ。


「ご領主様がお望みならば喜んで」


 断ればきっと李長老は残念そうな表情をして息子を叱るなり諭すなりをしただろう。李項は大切な人を失う危険を回避できたのに、自らの意志でそうしなかった。


 長城の外で今苦戦している仲間が居る、弟がいる。身内を優遇などしたら悔いが残ると考えたに違いない。


「最大限の支援を約束する。お前から伝えて欲しい、可及的速やかに長安へ登城するようにと」


「御意!」


 今までになく神妙な面持ちで引き受けると、少し身を固くして屋敷を出て行く。出来るならば自身が代わりたいと言わんばかりの背を見るのは俺も辛い。立ち上がると「済まんが出て来る。先に寝ていて構わん」外套をまとい屋敷を出ようとする。


「呂軍師の屋敷においでなら、菓子をお持ちくださいませ。直ぐに用意させます」


 微笑みと共に送り出してくれる妻に感謝しかないな!


 夜中に単身で出歩いて屋敷を見あげる。誰が住んでいるかの目印があるだけで簡素で飾り気がない造りは、住人の性格を端的に表しているようだ。


 俺は背を押してもらいたいだけなのかも知れん。小さくため息をつくと、己の発想の貧困さを呪う。正面入り口に行くと家人が出て来た。


「遅くに済まん、取り次いでもらいたい」


「だ、大将軍! お、お待ちを!」


 大慌てで家の奥に走っていく姿を見て、呂軍師の家人とは思えないと内心で少し笑ってしまった。不躾にやってきた俺がすべて悪いんだ。


 黙って一人立ったまま戻って来るのを待つ。やがて足音が聞こえてきて、先ほどの家人が「直ぐに主人が参りますので、どうぞ中においで下さい!」両目を見開いて全身を固くして案内する。


「そう緊張せずともとって食ったりはせんよ。俺もお前もただの人だ」


 何と反応して良いか解らずに家人は椅子を勧めてもう一度姿を消してしまう。背筋を伸ばして腰を下ろすと目を閉じる。

 

 ……此度の人選、李長老でなければならないと俺は考えている。何故かと言われたら言葉には出来ないが、他の者だとピンと来ないんだ。


 単に人を知らないだけとの見方もあるが、誰かに丸投げしてしまうことではないはずだ。危険は大きい、だがその見返りも大きい。


 異民族の首領らを振り向かせるには力だけでは行かん、それに事実だけでも弱い。どうしてもそれと知ることができる状況というのが必須だ。


 生き証人がいれば最高なのは間違いないが、伝聞ではなくその目で見てきた生の声が欲しい。ゆっくりと歩く音が耳に入る、傍にやって来たのを感じ取ると立ち上がった。

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