第99話

「魏では苴羅侯と王畔に鬱螺環らを処刑したと聞きました。彼らはまだこの事実を知らないでしょう」


 そいつは俺も知らんな。そもそも何者だそれは? という顔をしていると直ぐに「苴羅侯は軻比能の弟で大人です。王畔も鬱螺環も鮮卑の大人で、魏の宮廷に留め置かれていた者達」補足をする。


 人質を殺害したか、すでに用無しとみて密かに処分、脱走されることを恐れたわけだ。呂軍師が不確かな情報をあげて来ることは無い、それに誤報だったとしてもそれを確認するのだけで数か月かかるだろうからな。急には方向転換できんぞ。出来れば裏付けが欲しい、だがこれまた数か月か。ならば俺の動きは一つだ。


「鮮卑の部族を魏へ振り向ける。李中領将軍、俺の本軍一万を速やかに準備だ」


「はい、ご領主様!」


 一歩前へ出ると力強い返答をする。親衛隊だけで二千、護衛隊で五千、本営の兵力を入れると一万などでは枠が足りない。選抜軍を編制するにあたり、どの兵科を揃えていくかを脳内で選定し始めた。


「呂軍師、俺が長城を出ることを鮮卑に漏らせておけ」


「仰せの通りに」


 行くと解らせて出向くのが狙いだ。注目を浴びてついでに襲撃も受けるだろうが、それを跳ねのけることが出来なければ即終了だよ。


「李中衛将軍、長安の守りを命じる。姜征東将軍の指揮下に入り、雍州を維持せよ」


「ご領主様のご命令ありがたく!」


 腹心を配備するのは董丞への心遣いでもあり、万が一の陥落を防ぐ意味合いでもある。奇策で長安を失陥させられては大いに困る、李信なら慢心せずに粘り強く防衛するだろうし、姜維に反発することも無い。何せ若いやつらだ、我が強すぎると連携に不安を覚える。


 しかし、ちょろちょろと動き回るのが好きな大将だ。どっしりと構えて結果報告を待てと参謀長には良く叱られたものだが、性分なんだよな。自嘲気味に笑い目を閉じる。俺はどこまで行っても俺だ。何の遠慮もしないし、仲間を信じて懸念も無い。


「島大将軍、永州に動員態勢をとらせはしないのでしょうか?」


 馬謖が自発的に口を開く。魏延のところか、これが成功すれば戦機なのは確かだ。うまく行ってから準備させるのとでは丸々一か月は違ってくるが、上手い事進行しなければ無駄な動きになる。


 どちらが良いわけではない、むしろしくじると自爆行為になるな。それと南蛮にも通知をだすことを考えたら二か月は違ってくるか。


「検討の余地はあるが」


 馬謖の考えを知るために知っておく必要があるな。江州一体の兵力は都合五万あたりだ、守るにはそれなりだが単独で攻めるには無理がある。まあ魏を相手と思ったらの話だが。


 何も全域と戦うわけじゃない、荊州西部や南西部を目標にするなら多い位だからな。妙に自信ありげな表情をするな、いつもの馬謖とは一味違った感じがするぞ!


「動員令を発するにあたり、敢えて遅めに準備するようにします」


 遅めにだって? ……こちらの能力を低く見せるというわけか、それでいて手順の訓練にはなる。だが一旦解散をすることになりそうだ。一発で全てを整合させられると思う程抜けちゃいないが、これだけの為に実行させるとはちと弱いな。


「どういう目的で?」


 チラリと呂軍師を見るも特に反応がない、聞き出せる部分を耳にしてからということだろう。幕僚らも注目している。国家の行く末を決めかねない重大事項を少数で談義する、密室で決められることではないというのにな。


「度重なる戦で社会の基盤が揺らいでおります。事後に懸念無きように準備期間を与えることで減損を緩やかに致します」


 ふむ、動員される側への配慮か。確かに明日から一年出張だと言われても混乱するだけだ、一月あれば身辺の整理もつくだろう。攻め込まれて滅亡の危機ならばそのようなことも言ってられないが、攻勢に出るならばケアすべきだな。こいつも軍師だ、理にかなったことを進言して来る。


「なるほど、他にはあるか」


 認められる部分はきっちりと評価しておく。若干弱いが納得は出来る、何せ国が疲弊し続けているからな。微かに首を縦に動かしている幕僚が居る、説得力はあるか。


「丞相は国内に未だ危険があると心配しておられます。動員をかけたことで反応を見せた箇所があれば注視すべき箇所と仰られるでしょう」


「うむ!」


 そいつは李厳のことだな。あいつがまた反乱を起こすかもしれないのを察知するために撒き餌か! こいつが孔明先生の弟子ってことを甘く見ていたな、寥化はもう無茶をすまいが李厳は別だ。


 あいつの任地が江州だから永安あたりと首都の中間地点、伝令を遮断されるだけでも一大事に陥る。なにより首都に攻め込めばあちらが先着する、事前に察知できるかどうかの部分は需要だぞ。


「左軍師の言を採る。郤正、馬謖の補佐につき動員手順の書類化を行え」


「畏まりまして」


 こうやって若者が育っていく様は嬉しいものだ。しかし李厳の奴、こちらの裏をかこうと画策するはずだ、警戒しておくべきだな。


 職務を終えて屋敷へと戻る。内城から直ぐの場所に据えられているのは董丞の心配りで、利便性も高く何より設えが美しい。これぞ中華と言えるような造りに感心しかない。


 屋敷の外には親衛隊が交代で警備に立っている、それも軍侯クラスがだ。近づいていくとこちらを認めて一礼して来る。


「ご苦労だ。夜は冷える、風邪をひくなよ。後で茶を持ってこさせる」


「ご領主様のお心遣いに感謝を申し上げます!」


 中県籠城戦の際に多くの民を恐怖に陥れた、それでも徹底抗戦をしてくれたこいつらと家族には頭が上がらん。戦では死ねと命じることがあるが、普段は出来るだけ体に気を付けていて欲しいと願うのは本心なんだ。際限なく甘い顔も出来んが、仲間だからな。


「なに、妻と子を守ってくれているんだ、俺の方が感謝だよ」


 微笑を残して屋敷へと入る。この一年で変わったこと、それは俺にも子が出来たことだ。銚華が男子を産んだ、それはもう大騒ぎだったさ。中県だけでなく、羌族の間でも三日三晩の祝祭が行われてこっちが辟易する程にな。孔明先生からも贈り物が届いたものだよ。


「お帰りなさいませ、旦那様」


「今戻った、銚華、壱の様子はどうだ」


 壱という名をつけた。島壱ってことだな、龍一の中国バージョンってわけだが、冴子になんていわれるやら。


 自分にしかわからないことで苦笑する。銚華はにこりとして「健やかに」無事を報せてくれた。実感が無いわけではないが、息子というのが解らなかった、娘なら居るが。


「近く出兵することになる、留守を頼むぞ。李信の奴を置いていく、いざとなったらあいつに従えば良い」


 そのくらいの経験は積ませた、信頼して妻子を任せられる。まあ、銚華ならば自力でどうにでも出来るだろうが。子を得たことで優先順位を誤ったり、不意を衝かれることもあるかも知れんからな。


「中衛将軍なら安心ですわ。兄のように慕っておりますもの」


 銚華から見たら李兄弟は兄貴だものな、一方であいつらからは奥方様か。これで関係が上手くいかない方がおかしいよ、更に言えば壱は未来のご領主様だ。


 多分だが、俺が死んだら壱が爵位を継ぐんだろう、一歳だろうが関係なく。銚華が総代として成人するまでは代行権限を得てか、やはり上手くいかないとは考えづらい。


「そうか。鐙将軍らだが、要塞に籠もりきりで身動きが取れないようだ。無理に進軍するよりも良いがな」


 籠城とは援軍ありきの戦術であって、解決にはならないことが殆どだ。今回も鮮卑らの食糧不足が起きなければ、ただやせ細る一手だぞ。貯蔵施設は無事のようだが、ここが奪われたら最悪な結果になりかねん。


「鮮卑同士で競り合いをしているのですね」


 こちらが鮮卑と大まかに括っているだけで、実は別々の民族なんだろうが、漢人よりは近しいんだろうさ。

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