第98話

「司馬懿に知恵で勝てると思う程、予はうぬぼれてはいない。軍事で曹真に勝てると思う程、予は将兵を抱えてもいないが」


 己の弱みを前面にだし助力の提示を求めて来る。そうだ、実際に争うのはこちらだからな。


「俺が求めるのはそのどちらでもない。曹家の、宗族としての血と正統、それにその平衡感覚だ」


 身の程を知る人物であるのが望ましい、そこにあることで他を御することが出来ればそれだけでな。誰でも良い反面、誰でも条件を満たせるわけではないぞ。他の宗族は一長一短あってはまり役ではない、最悪次点でも構わんとは思っているが。


「だとしても、両者が立ちはだかるのは必然、いかにして払いのけるつもりか」


 こちら次第ってわけだが、正直やってみなけりゃどうなるかわ解らん。言っても詮無きことだがね。


「そこだよ」


 怪訝な顔をする、中で一人だけ荀憚が含みがある微笑をした。


「司馬懿と曹真は同列だ、一枚岩ではないのが鍵だろう」


 指揮権が一本化されていない、中央に集まった権力が右にも左身も向いてしまうのは欠点だ。独裁を許さない体制は認められるべきだが、時と場合によるぞ。


 そもそもが宮廷勢力がせめぎあっているから、一大決戦で総大将がトンボ帰りするような事態に陥ったんだ。二人が協力しているならばあの戦は蜀の敗北になていただろうよ。


 双方が相手を首都から遠ざけようとしている、最前線には出て来られないってのに説明を受けて気づいた。双璧と言えば聞こえは良いが、派閥争い以外の何ものでもない。


「今さら漢という器に戻ることは出来ないのではないか」


 曹植はやはり利発だな。戻ることはできないだろうが、争いを鎮めるためには魏でも呉でも蜀でもない皇帝が立つ必要がある。


「戦争の延長線上に外交がある、示し合わせて収まるようにするためには戦いが必要だ、それも勝利という背景の。このまま地方の城を転々として人生を終えるのも否定はしない。選ぶのは誰でもない、曹植、お前だ」


 どこの誰とも知れない無礼者に呼び捨てにされて、しまいにはお前呼ばわりされる。微笑を浮かべていた陳王も真剣な顔になりここではないどこかを見据えた。


「…………先の見えぬ闇に恐怖し、行き場のない感情を抱えるのは終わりだ。予は曹操が一子、父の後継者として漢の行丞相を名乗り乱れを正す」


 家臣一同がはっとして主に向き直ると深く礼をした。立ち上がると曹植は一歩二歩前に出る。


「龍公殿、貴公は臨時政府をどこに置くべきと考えるか」


 こちらが何者かは推察しているだろうな、心を決めたなら隠すことも無い。だが聞かれなければ喋ることもないぞ。


「速やかに魏の首都に移れる場所に」


 呉でもよいが、匈奴という線は無い。亡命政権を受け入れる先はそこそこある、大義名分は多くが欲しがるからな。


「漢の行丞相を名乗る者を、蜀は受け入れるだろうか?」


 俺が誰か知っての問いかけとは意味が違ってくる、こいつは切れる男だ。実際、孔明先生はどうだろうか。


 漢室の復興を願っていたのは確かだが、今はもう蜀も皇帝を頂いているからな。俺には解らんが、おいそれと大統領が代わるようにすげかわるのは不都合か。いや、俺は俺が信じる道を行くのみだ。孔明先生はきっと全てを整合してくれる、外地に在って全てを得ればそれで構わん。


「蜀が受け入れるのは実体を伴った臨時政府のみだ。勝てば認められるが、負ければ捨てられるのみ。それでも陳王は蜀を望むか」


 いつの時代も変わらない真理、敗者は消えゆくのみだ。この期に及んで保身を求めるようなら遠慮なく切り捨てるだけ。場に緊張が走る、一世一代の大舞台が目の前で扉を開いている。飛び込むことが出来るかどうか、胆力が試されていた。おじけづくようなら二度と陽は登らない。


「世に男子として生を受けたのだ、大業を為して名を残そうではないか!」


 拳を胸にあてて声を張る。楊瑛などは目頭に涙を溜めて頷いている。


「長安は陳王の臨時政府を受け入れると確信している」


 その一言で荀憚が正体を絞り込むことに成功した。素早く計算を巡らせて可否を計るのは、軍師としての存在を確かなものにする。


「荊州を抜けるに文将軍の州兵に留め置かれるのを振り切れないでしょう」


 手勢は居たとしても数百のみ、それ以上集めたら指摘を受けて詮索されてしまう。権力が無いとは、つまりはそういうことのなのだ。


「これは俺の個人的な予測だが、有用な同道者が現れる。渡河さえすれば何とかなるはずだ」


 河を渡ることが出来なばそこまで、そのくらいはしてもらうぞ。


「荀憚、策を練り進言せよ。楊瑛、予はこれより病に臥せるぞ」


 城に籠もって準備をすると宣言した。一つくらい置き土産をしてやるとしよう。


「呉も攻め込むらしい、心のどこかに留め置いていると良いかもしれんな。銚華、戻るぞ」


「はい、旦那様」


 曹植にもう一度視線をやってから踵を返す。仕込みはこれ位しにして軍備を整えるとしよう、俺がやるべきことはいくらでもあるからな!


 軍備の増強、国内の安定化、遠国との交易、後進の教育に、技術開発、国を富ませることに丸々一年を費やした。そう、魏国の皇帝が代替わりしてから一年だ。


 占領した地域の不穏な動きもかなり落ち着きを取り戻し、今現在の暮らしを認める住民が多くなった。人は現状に満足をせずとも、変わってしまい悪くなることに不安を抱く生き物で、今よりもよくなる保証が無ければ維持を求める。


 朝の会議、主要な将らが並んでいる。太守の座について各種の報告を董丞から受け、概ね納得いく内容なことにうなづく。


「鐙将軍らはどうだ」


 傍らの呂軍師に視線を向けて進捗状況を久しぶりに確認した、任せた以上は静観しているつもりで。出兵してかなり経つが勝利の報は入ってきていない。


「進出地に塞を築いて籠もっております」


 情報を小出しにするのは意図的だ、それは解っているが状況の変化は訪れんか。鮮卑の勢力と争い始めて直ぐに、東鮮卑の諸部族が諍いを始めて西部に乗り込んできた。敵の敵は味方とは言うが、全てが敵の状態でもみ合いに混ざるのは得策ではないと守りに入ったのが数か月前。


 いずれかの勝った部族と戦い勝利を収めれば最高だとは当時思ったが、今も決着がつかずに争っているのは誤算といえる。年単位で戦いを続けられたらたまったものではない。


「歩度根に泄帰泥、素利だったか」


 十数の部族を従える軻比能でも、五族を率いる規模三勢力を相手にしたら決着がつかん。引き返しても良いのだろうが、敵対するやつらを放置して結託されたら面倒だぞ。


 ということはだ、恐らくこの動きは司馬懿の術中ってことだろう。討伐する相手に調略を仕掛けて時間を稼ぐか、何でもかんでも上手くやられてはかなわん。


「また年を跨いだとしても収まることは無いでしょう」


 呂軍師のお墨付きを得る。そこまで読んでいるならば何かしらの策がある、こいつはそういう男だよ。鼻で短く笑うと「で、呂軍師の一手はなんだ」余裕の一言を投げかける。にこやかに応じると机の上にある墨壺を動かして中央に持って来た。


「異民族でも我らでも、その多くは得るモノがあるから動きます」


 机上の物をいくつか寄せてそれぞれの部族に見立てて配置した。あっという間にごちゃごちゃしてしまう。そこまででこちらの言葉を待ってじっと見詰めて来る。


 これらを取り除くのは手間も時間も掛かる、そう言いたいんだろうな。だからと放置することは出来んぞ、十万からの異民族だ。目を細めてどうしたものかと考え、ふと閃く。


「それらを取り除こうとするから困るわけだ。戦場の移動、そう言いたいのではないか?」


「ご明察です」


 長城の先で戦争をするから時間も掛かれば困りもする、こう指し示されるまで全く気付かなかった。


 もしその争いが魏の国内で行われるのならば、魏は困っても蜀は全く困らない。むしろ不安定要素があった方が戦争がしやすい。だがそうなると別の問題が産まれて来る、そもそもどうやって魏を戦場にさせるか、だ。じりじりと引っ張って移動させるのが答えでないことだけは解る。


「東鮮卑の部族らに、魏に利用されていると気づかせる?」


 何の証拠もないが確信だけはある、どうしたものかね。口だけで全てを変えられる自信は無い。奴らだって馬鹿じゃない、甘言に乗った方がより良いと考えたから動いてるんだ。

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