第97話

 俺がそちら側の人間だって可能性はあるからな。当たり障りのない反応、動じるはずがないこの老人が。


「陳王に司馬懿や曹仁らが取り仕切るのとは別の政府を打ち立てて貰いたい」


「別の政府?」


 想定外だったのか言葉を切り取り繰り返す。政府って考え方は春秋戦国時代からあったはずだ、解らないわけじゃないだろ。


「魏の臨時政府首班、つまりは行丞相として逆臣を排除し、戦争を終わらせ治安を回復させる役目を求める」


「むむむ!」


 しょぼしょぼの瞳を大きく開いて、とんでも要求に唸りを挙げた。丞相代行、全権代理人である。常識がある人物ならば皆が言うだろう、馬鹿なことだと。


 宣言して何でもそうなるならば、秩序など成り立ちようも無い。視線を合わせるだけで言葉を発さない、にらみ合うこと数分だろうか楊瑛が息を吐く。


「明帝が立つ前ならばと思ったことはありました……」


 なるほどな、継承者争いならば味方に付く奴が居てもおかしくない。動かなかったのではなく、動けなかったのだろうさ。司馬懿と曹仁が与しやすいとした曹叡を選んだから。裏を返せば曹植の方が統治者として優秀、そういうことだ。


「国家を覆す簒奪ではなく、あくまで取り巻きである逆賊を排除するだけ。明帝はそのままに、陳王が国政を補佐する形」


 国民感情がかなり違ってくる。甥っ子を援ける形だからな。司馬懿や曹仁に悪評があるわけでも無いだろうが、勝てば官軍ってやつだ。追い落とせばいくらでも悪名は立てられる。いかんせんそうしたくても手段がない、彼は王であっても何の権限も持っていないから。


「丞相府には誰一人姿を見せないでしょう」


 それが現実で、限界はすぐに見えてくる。ではどうしたらよいか、利を得るモノが後押しをするしかない。


「簡単に出来るなどとは思っていない。だが俺がここにやってきたのは遊びでも何でもない、本気だ」


 思い付きだと言うのは否定せんが、出来ないことを口に出しているわけでないぞ。本人の意思がどこを向いているのか、楊瑛ならば重々承知のはず。


 こんなことが政権に知れたら首が飛ぶだけでは済まない、多くのものが反逆に連座されられてしまう。


「……我が主にご意志を確かめる必要が御座います」


 可能性ありか。良いだろう、その位の時間待ってやるさ。


「ことは一大事だ、確認すると良い」


「されば城内に部屋をご用意させて頂きますので、そちらでおくつろぎくださいませ」


 深々と礼をすると場をお開きにして、家人に案内を命じると楊瑛は去って行った。


 城内で待つこと丸々二日、ようやく考えがまとまったのか陳王が謁見を許すと言ってきた。まあ生きるか死ぬかの分かれ道だ、よくぞ二日で会う気になったと褒めてやるよ。


「どれ、陸盛行くぞ」


「御意」


 部屋を出ようとすると胡周と銚華も寄って来る。羌族のいで立ちをしている銚華は男装の麗人と言って差し支えないようなシルエットになっていた。


「旦那様、私もご一緒致しますわ」


 連れて来ておいて待っていろとも言いづらいよな。


「好きにすると良いさ、俺は銚華の意志を常に尊重する」


 足を止めたのはほんの少しだけ、一瞥して先頭を進む。案内の家人は威圧感漂う四人を引き連れて謁見の間にといざなう。


 形式が整っている、豪奢な装飾の一室、その奥に朱色の刺繍がふんだんに使われた衣服を着ている青年が座っている。瞳に知性が宿っている、体つきも充分だな。絨毯のど真ん中を進んで段下に立つと彼を見上げる。


「初めてまみえる、龍公だ。貴殿が陳王曹植か」


 上下の別をつけずに不躾に話しかける、取り巻きが嫌な顔をした。だが誰一人苦言を呈さないのは気を使ってなのか、意気地がないだけか。


「予が陳王である。そなたが龍公か、なるほど立派な体躯よな」


 鷹揚な態度で王者の何たるかを示して来る。狭量ではない、かといって見合うだけの実力があるかはこれからだ。


「褒められるのは悪い気がしない。とはいえ陳王は頭が回ると聞く、これも手の内か」


 挑発だ、微笑するだけで反応を見せないが。取り巻きの中で力がありそうなやつは……あいつか。文官服を着て泰然自若としているな。目を合わせると一礼して進み出た。こいつも三十代前半あたりか。


「申し遅れました、某、魏の光禄大夫・陳の率吏令荀憚で御座います」


 ほう、魏の光禄大夫がこんなところに居るか。あれは名誉職の無定員官職、二世だろうな。率吏令が何かは知らんが、側仕えしているんだ訳アリだろう。こちらの疑問も警戒も全てを集める、それでも動揺などせずに堂々としていたものだ。


「荀憚とは聞いたことが無いな」


 ご挨拶だよ、無礼にもほどがあるが大人しく話し合いだけをしに来たわけではないからな。


「はは、これは手厳しい。某は荀或が一子で御座いますれば、幕にて謀を巡らせるが役目でして」


 む、荀或の子かあなどるわけにはいかんな。名前倒れだとしたらそれはそれで構わんが、こいつは中央でもそれなりの扱いを受けるやつだ。秘密をどこまで持ち続けるかはどうにもわからんな。


「話は聞いているだろうがもう一度いっておこう。陳王に現在の政権への反政府活動をしてもらうつもりでやってきた。危険の代償は行丞相としての臨時政府への助力と承認だ」


 こちらは協力者であって臣下でも仲間でもないからな。いわば同盟者だ、目的を共にする利害関係が一致した同道者とでもいえるか。もちろん笑ってここで俺達を捕らえて首都へ差し出すのも選択肢だ、忠誠を示すためにやったとしても藪蛇になるだけだろうがな。


「失礼ですが龍公殿の名を耳にしたことが御座いません。魏国の宮廷でお見かけしたこともです」


 何処のどいつかってことだよな、俺から名乗るような真似はせんぞ。


「だろうな、俺も行ったことなど無いからな」


 卑屈にならずに、かといって前に出ることもせず。供回りで使えそうなのは荀憚とやらだけか、そんなものだろう。


「魏国内の有力者ではなく、蛮族とも思えません」


 手を後ろで組んでチラリと後ろの三人を見る、特徴あるのは銚華だ。男にはさほど興味を持たずに推理を進める。


「羌族の装い、となると西からの客人でしょうか。魏を割って利があるのはそれほど多くはありません。ましてやただの扇動者とも見えず、となると絞られます」


 微笑して正体が浮き彫りになって来たことを示す。どこまで人物を読めるかは置いとくとして、曹植に運営能力があるかを見極めておかねばならん。凛々しさに利発さ、落ち着きは神輿として充分だな。統率者として適任かどうかを見ておくとするか。


「どこの誰とも解らぬからこそ保身も出来よう、その先は言わぬが自身の為、そうは思わんか陳王よ」


 荀憚から曹植へ視線を移す。空気が緊張するのが感じられた、まともに取り合うべきかどうかの判断がつかないうちに引き出されてしまったことにだ。この場の頂点同士の会話だ、誰も割り込めない。


「そなたが予を選んだのか、それとも別の誰かがそうしたか」


 俺ではないと言えば背景を読むが、俺だと言えばここが全て。だが核心はそこではない。


「俺だ。だが一分の一に頼る程無計画じゃなくてね」


 再度挑発をする、他にあてなど無いのにだ。使えないようなら白紙に戻すまで、別に無理にやってもらう必要は無いからな。文官らはあからさまに嫌な表情を見せるが一切無視して曹植だけを見る。


「予が否を示して無事に城を出られると思うてか?」


 腐っても王だ、軍勢の一つくらい抱えている。近衛と儀仗兵程度でも、四人を捕らえること位は出来るだろう。


「試してみても良いぞ。だがしくじれば破滅しかない未来が待っている、それも他人任せの」


 じっと瞳を覗き込んで互いの心の奥底を読み取ろうとした。武器なき戦いは相打ちが無い、どちらかが折れるまで終わることが、終わらせることが出来ない。

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