第96話
「……質問の答えがまだだ。組む相手とはどいつだ」
こいつだけなら拾って帰ることも視野に入れられるが、繋がり次第では捨ておく。嘘を言うようでも同じだ。目を細めてじっと見詰める。于圭は顔をあげると部屋の片隅に動き、床を引っぺがして竹簡を取り出す。隠してあったものだな、余程重要なものなんだろう。
「こちらをご覧ください」
差し出して来る竹簡を一瞥してから警戒して受け取る。手元ではなく顔に視線をやったまま巻かれたものを拡げた。
「蜀の丞相、諸葛孔明よりの書状です。いずれ魏へ攻め込むので、その際に内より反乱を起こすようにとの要請。勝利の暁には父である于禁の汚名を晴らしてくれると確約しております」
魏の名将于禁か! 国家を代表する七将軍の一人、その序列第三位。それにこれは間違いなく孔明先生の筆跡だ。さすがだな、こうやって長くのびる腕が戦況を左右させるわけか。
「そうか。事情は解った、だが俺がここで指南することは出来ん。一つ策を授けよう」
失うのは気が引けるからな、事が起きるまでは潜伏しているのが良かろう。
「魏国が守勢に回れば首都から離れた地域への目が届かず、締め付けが緩くなる。その時に兵を集め魏の軍旗を掲げろ」
「魏のですか? それでは……」
反旗を翻すと言っているのにそれはない、承知しているさ。
「時期が来るのを待て。お前なら感じられるはずだ、何が起こっているかを。それまでは大人しく己を見詰めて耐えろ」
敵が増えるのと、味方が減るのが同時に起きてこその衝撃だ。最初から目を付けられていては上手くいくものも仕損じる。
「時機を得たら?」
「陳城に入り、曹植を保護して蜀へ逃げ込め」
どうなるかはわからんがやってみる価値はある。世襲制の王朝に対する常套手段だ。
「……函谷関から雍州へ? いや、それでは魏側の地形が悪すぎる。白鹿原から北西に」
少しは先が読めるらしいな、とはいえ追っ手の騎兵に捕捉されるだろう。こちらで伏兵を用意しておくとしよう。
「長安へ入ることが出来れば最高だが、途中の城に避難しても構わん。龍公の使いだと言えば協力が得られるようにしておく」
「ですが何故曹植様?」
自由フランス政府然り、ベネズエラ臨時政府然りだ。国を割って争って目があるならば、一定の割合で反旗を翻す奴は居る。
「曹植に魏国の臨時政府首班になってもらう。首都が陥落すればそこに臨時政府を置き、各地に降伏を呼びかけさせる」
その際は司馬懿らの壟断だと嫌疑をかけるのを忘れちゃならんぞ。別に皇帝になりたいわけじゃないだろうし、孔明先生も漢の正統が復興されればそれ以上は求めないさ。
「……曹植様はご承知で?」
そこは気になるし絶対に間違えられ無いだろう、だがそうするしかないように仕向けることはできる。
「曹叡に反逆を問われて処刑されるか、蜀で臨時政府の首班になるか二つに一つだ。疑わしきは罰する、それこそが独裁者の独裁者たるゆえんだよ」
信じたい表現を使ってやる、火の無いところに煙を立たせるのは案外簡単なこと。これが出来ないようでは俺の能力不足だ。口を開こうとして首を左右に振るとひれ伏す。証を持たせてやるとしよう。懐から木片を取り出すと、筆で龍と書き込んで二つに割る。
「割り符だ。白鹿原五塞の陳式将軍に助力を求める時に提示しろ」
「有り難く」
目の前の于圭を見て最期に言葉を掛ける。
「俺は于禁を直接知らん、それでも記憶は崇拝されるべきだ。降伏することは褒められたことではない」表情が曇った、それでも前を向く青年を見詰め「だが……為した功績は否定されるものではないし、歴史に名を遺す名将であることに疑いはない」
◇
陳国に入るまでこれといって障害は無かった、後方地特有ののどかな雰囲気。ここが戦いをしている国というのが感じられない。
蜀でも今の成都周辺はこんなもんだろう、平和になれば文化が栄えるものだ。民家にもちょっとしたしゃれっ気があり、市民は表情が明るい。統治がうまく行っている証拠だ、国王が居るが政府は中央から派遣されている奴が仕切っているのは蜀と同じだろう。
食い扶持を捨て与えられているだけで、何の力も持たない、それが魏の国王だ。血統的な権威はあるがそれだけ、皇族のスペアのような扱い。この乱世で少しでも思うところがあれば、寿命を燃やすだけの生きざまに満足するはずがない。
「龍公様、陳城が見えてきました」
指さす先にあるのは中堅の規模の県城。普通と違うのは靡く軍旗の中に、朱色の物が混ざっていることだろうか。
ふむ、どうやって会いに行ったものかな。小細工は要らんが、馬鹿正直に行っても留め置かれるぞ。権限があろうが無かろうが、そこに居るのは重要人物、一定の警護は絶対に置かれている。
「陸盛、お前ならどうする?」
チラリと視線を向ける。今やこいつも蜀で中堅の将軍だ、知恵の一つもひねり出せねば役者が不足するぞ。曖昧な問いかけに表情を曇らせることも無く、手綱を引きながら周囲を眺めた。平地の中にある城、防御力は高いとは言えない。
「古来より密使というのは中枢に触れやすいもの。証ならばたてられましょう」
密使か。内容を悟られないように密かに面会する、不都合あらば捻り潰すだけ。では曹植が話を聞きたいと思える内容となんだ、そして誰の使いなのが適切だ。崔林といったか、あいつが丁度良いだろう。
「よし、俺達は今から崔林の密使だ、覚えて置け」
簡単に方針を決めると堂々と陳城へ馬を進めた。急ぐことも隠れることもせずに、昼間に城門前を通ろうとする。
「そこな方々、城内は馬を引いていただきます。ただならぬ面々、お名前と御用件を窺いましょう」
門番一つとってもそこらのガキとは違うな、知性を感じさせる物言いに騎乗したまま応じる。
「我は龍公、光禄勲司隷校尉崔林の使いとして曹植殿に会いに来た。取次を」
門衛は明らかに顔色を変えて一礼した。
「こちらで少々お待ちを」詰め所を指して自らが案内をすると言い「お前達、今からここは通行止めにする。周囲を立ち入り禁止にせよ!」
兵士らに命令すると人目が付かないところへと誘導する。機転が利くな、これで一介の兵長ってなら驚きだ。下馬して詰め所に入ると上席を占めた。四人に椅子を勧めるも、陸司馬と胡周は左右に起立して警戒している。
小一時間も待たされると「主君がお会いになられます」満足いく返答が為された。馬車が用立てられ何者が乗っているか分からないような配慮がなされて県城へと登る。辿り着くと文官服の老年者が出迎える。白髪と白髭でくしゃくしゃになった顔立ちで礼をした。
「陳王の太傅で楊瑛と申します。龍公様、良くぞおいで下さいました」
太傅か、こちらを品定めするために出て来たな。騙しとおせる自信はない、あっさりと口を割っておくとしよう。
「龍公だ。先に言っておく、崔林の使いというのは方便だ」
悪びれることなくそう言うと楊瑛は髭を扱いて小さく頷きながらこちらを見詰める。落ち着きがあるのは年の功だろう、この時代の俺よりも歳上だろうやつだ、この程度で驚きもせんか。
「左様でございますか。お話を伺いますゆえこちらへ」
何であれやってきた事実に変わりはない、まずはこちらの言に耳を傾けるとの申し出。こういう人物に導かれてきたんだ、曹植も洞察が鋭いに違いない。
四人で城内を歩むと、一室へと招かれる。貴賓室かなにかだろうか、素晴らしい調度品が並べられていた。着席を勧められると「楊殿から座られよ」年長者への配慮を返す。微笑むと「それでは御免して腰を降ろさせて頂きましょう」素直に座る。こちらでは俺だけが着席した。
「崔林の名を使ったのはこうして話がしたかったからだ、他意はない」
伯父ってことだからな、無下に断りもせんだろうと選んだだけだ。曹叡の近くで勤務している大物だ、話があると言えば都への異動だって期待するだろ。
「深く問いはしますまい」
経験が違う、か。他人へ与えるこの信頼感が、今まで渉外をしていたとわからせるな。
「一つ重大な提案を持ってきた。貴官の主君が翼を得るための」
そうだ、曹植への提言よりも太傅であるこいつを口説くべきだ。楊瑛が反対するようではそもそもが承知させることなど出来ん。髭を撫でながら言葉に隠された意味が無いかを推察し、多角的に何かを探ろうとする。
「提案ですか。お聞かせ願えますでしょうか」
それが罠ならば自らの身を挺して排除もするし、身代わりにもなる。言葉にしなくても、短い時間だけでも人となりが伝わる。
「魏の皇帝曹叡は何も言わずとも、その取り巻きは保身と権限の拡大に勤勉だ。宗族の力を削ぎ、皇帝に他を寄せ付けぬようにして国家を壟断しようと画策している。陳王は聡明で主筋の血を引いている、これが目障りと感じているのは明白」
そのせいで何度も転封させられている。事実を言っているだけなので否定はできない、かといって認めることも無いだろうが。
「明帝はしかと臣の統御をなされておられます」
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