第94話
「あとは対騎馬の防御陣の構築を訓練させるくらいか」
「ごもっともです。時に我が主、防御陣の構築とはいかがなものでしょうか」
注目が集まる、何気なく当たり前のことを口走ったつもりだったが?
「方陣だが、一般的ではない?」
そういえば漢中北で俺が使った位で他所では見かけなかった気がするが、どうなんだ? 幕僚らが顔を合わせて首を傾げる、どうやら不明の様子。
「我が主、是非とも非才の身にご教示いただきたく存じます」
呂軍師が知らんこともないだろうが、ことこまかに説明したことも無かったな。丁度良い機会だ、ここで教育を兼ねて教えるとしよう。
「うむ。騎兵の特徴であり、活用すべきところは三つある。一つはその継続的機動力、戦略的に戦場を設定可能な足だ」
戦場の設定権限があるのは大きい。その気になれば戦わずにどこまでも逃げ回れば良いわけだからな。
「二つは衝撃力。同時多発な面での攻撃に、質量が正比例して位置を占めるのに力を発揮する。体当たりでも人は簡単に戦闘力を奪われるものだ」
教科書に書いてあるかのような内容でも、皆が真剣に耳を傾ける。
「三つは高さにある。近接しての白兵戦は、歩兵に致命的な頭への攻撃を容易にさせる。また振り下ろしは威力の面でも無視できん」
打撃武器ならば行ってこいで二倍の差が産まれてしまう程に不利が生じる。斬撃で振り下ろしが有利、刺殺でようやく対等といったところ。
「これらの特徴を相殺するのが目的だ。方陣とは四辺に兵を置き、背に味方を負って戦う陣形を言う。整列した槍兵を三列置き、内角には弩兵を置いて反撃を行う。中央には予備を置き、死角を無くして狭い地域を防御するのを目的としたものだ」
高さが消失する、衝撃力が正面からのみになり対抗しやすくなる。移動を諦めることで限りなく兵科の差を埋める手立て。テルシオだな。
「それならば確かに騎馬に対抗することも可能かも知れません」
呂軍師が結果を想像して頷いている。
「何せ最後まで戦場に残っていた軍が勝者だ。崩せないと退けば敵の指揮が否定されるからな」
戦争に勝つために徹底した指揮をする、その為には時に無謀と解って攻め勝たねばならないこともある。政治も絡んだ結論ではあるが、単に戦って勝てばよいなどというのは中堅までの戦闘部隊司令だ。
「ご教示ありがたく。末端の部隊指揮官の教育を進めて行きます」
方針はなった、この先は将軍らの器量次第ってことだな。
◇
さて、思い付きを行動にするのは俺の悪い癖だと副官に言われたことがあったのを思い出したよ。苦笑して筆を置くと立ち上がる。執務室の端っこに立っている警備の親衛兵がチラッと視線だけを向けてきた。中県の出の若者で、特に李兄弟や陸司馬の覚えが良い奴だけが側に居ることを許されている。
部屋を出たところで別の親衛兵に気づかれた。内城を出ようとしたところで陸司馬がやって来て「ご領主様、おでかけでしょうか?」声をかける。ほっといてもこうやってちゃんと追いかけて来るんだからご苦労なことだ。
「ああ、ちょっと魏領にでも行ってみようと思ってな」
自分でも驚くほどの奔放ぶりだ。それを聞いた陸司馬は嫌な顔一つせずに「ご一緒致します」軽く手を振ると部下に出立の準備をさせた。同時に軍師らに使いをやるのを忘れない。
一旦屋敷に向かうと物々しい政務服を脱ぎ捨てて、身軽な旅装に切り替えた。銚華がやって来ると微笑んできた。
「お散歩でしょうか」
「お前も一緒に行くか。少し遠出になるが供は削る、そうだな俺達含めて四人までだな」
大勢で歩くと目立つ、四人でも充分多いがね。銚華は笑顔のままで「少々お時間を頂きますわ」自室へと引っ込んでいく。
話を聞いていた陸司馬がもう一人についての考えを必死に巡らせているだろうことを脇に、行き先について考えておくことにする。
首都ってわけにはいかんな、後方地の一つである予州を目指すとするか。魏の勢力のほぼほぼ中心部だ、ここから増援が急きょ走ることは少ない。安全地帯だ、一度入ってしまえば警戒は薄い。
経路は白鹿原から渡河して陸路東へ進む。無謀と言われるだろうが、顔写真も何もない時代だ、知らんと言えばそれまで。予州の都は焦だったか、政治の中心部に用事は無い。地方の都市がより良いだろうな、こちらからならば……陳国ってのが丁度良い。
壁に掛けられている地図に目をやって暫し考えを続ける。国ってことは王が封じられているわけだ、つまり曹一族だな。事前に情報を仕入れておくのは必須か。
「ここに予州の情報を持つ官吏を連れてこい」
「御意」
将軍である陸司馬に雑用を申し付ける。彼も部下に命じて終わりにしたが、予州というヒントを得て供を決めただろう。地図を頭に叩き込む、一人になっても迷子にならないように。
ややすると銚華も用意を整えてやって来る。華美な装飾は一切無し、商人の妻か何かに思えてくるような見た目。利発な娘だよ。官吏がやって来ると恭しく首を垂れる。予州の基本情報を事細かく聞き出し予備知識を得た。
「この陳国だが、国王は誰だ」
目的地を知りえた陸司馬は目を細める。片道の距離や経路、万が一に備えての様々な備えについてだ。
「曹植陳王は曹操の子で、現在の魏皇帝の叔父にあたります。とは言え年齢はさほど変わりなく、現在三十代の後半。文学の才能に優れ、七歩の才と名声高き存在で御座います」
ふむ、確か七歩ゆくまでに詩を作れと無茶ぶりしたのに、見事にやってのけたってやつだな。歳が近くなるのはこの時代だと良くあることだろう、何せ幼い子が死ぬことが多い、可能な限り子を作り続ける結果だ。
「詳細を」
「陳王は若かりし頃より従軍し才能を開花させます。烏丸への遠征でも、漢中制圧でも、撞関の戦いでも常に総大将の傍に在り助言をしていたとか。文帝が皇太子に指名されると疎んじられ、即位と共に各地を転封させられること七年で七回、現在の地に収まったのもまだ一年前の話で御座います。噂ですが、明帝へ登城を訴えているとか」
政治への参入を希望しているわけか、だが親族経営を許さない側近が居る。司馬懿だ、曹仁も主筋が出て来ると煙たいんだろうさ。
文学の士ではあっても戦役に身を投じて現場を知っているわけだ、地方でくすぶっているのが不満か。戦争は落としどころが必要になるからな、この時代でも可能かは解らんが一つやってみる価値はある。
「陸司馬、最後の一人は決まったか」
こいつにだって手駒は居るはずだからな。
「従事の胡周をと思います。彼は焦の出身で、零陵からこちらへ避難してきた士です。案内役としても、また護衛としても有能」
零陵の士か、魏では暮らせないと逃げ出してきた奴らだからな、今更裏切ることも出来まい。何より俺は陸司馬の推薦を採る。
「よし、そいつを召し出せ。府の事後は呂軍師に預ける、行くぞ」
城を出て十分も経っただろうか、騎馬した男がこちらに追いつくと一礼する。
「胡周であります、ご指名有り難く!」
筋骨隆々で武に明るいだろうことは一目でわかる、確かに護衛としては期待できそうだ。微笑して銚華と目を合わせた。
「おう、胡周頼むぞ。俺は、そうだな龍公とでも呼んでくれ。武技指南役を糧にしていることにする」
商品を持っていない商人はおかしいからな、武術家ってならわからなくもないだろ。実際は誇れる程の強さは無いが、別に最強だけが食っていけるわけじゃない。
「ははっ!」
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