第93話

 陸軍の訓練度と数に目が行ってしまって、装備、それも武装が満足いくものを揃えられたら軍馬の質にまで目がいかないのは仕方あるまい。将軍には上等な騎馬が充てられるだろうしな。下からの声が聞こえなくなるのも組織の弊害だ、こればかりは大所帯になるとどうにもならん。


「簡単なことさ、交易商人を握っているのが俺だからだ。南蛮から手をまわして、交換した武装軍馬を蜀に持ち込んで過剰な物資を南国に流している」


「島大将軍がですか!」


 そう驚くなよ、戦争ってのは総合力の戦いだぞ。味方がこうも意外というなら成功していると思ってもいいものかね。


「ちょっと前からな。蜀に秘密の貿易だ、もっとも実行は兄弟がしているがな」


 孟獲大王に文句が言えるわけもなく、また蜀に有益ってことで孔明先生も目を瞑っているんだろうがね。誰も知らなければそのままで良い、黙認ってやつだ。


「むむむ……某では及びません、感服致しました」


 首を横に振って上下の差があることを認めた。こういう素直なところが心地好いやつだ。


「俺の場合は単に軍歴が長いという経験からの発想でしかない、だが鐙将軍は違う。才能があり勇気と誠実さを持った当代の筆頭だ」


 魏延もそうだが俺よりも二十歳は若い設定だからな。四十代の後半あたりか、司令官として最高の体力と精神力のバランスが保たれている男だ。


「大将軍の麾下にある一介の将軍でしかありません。何なりとご命令を」


 片方の膝をついて遜る。ここにきてようやく本題を切り出すことにした。


「鐙将軍に北部異民族討伐の主将を任せる、主要な奴らが来るまでここで待て」


「御意!」


 立ち上がると左の武官列先頭に身を置いて微動だにしなくなる。呂軍師が従卒に合図を送ると、側近の将軍らを呼びに小走りで出て行った。


 将軍号を履いている幕僚を中心とした一団が太守の間にやってきた。その中に姜維だけはいない、雍州の統治をするために別の城に滞在しているからだ。俺に一礼した後に、鐙将軍、呂軍師に礼をして向き直る。


「李中領将軍以下、ただ今罷りこしました!」


 長兄であり中では上位の官でもある李項が代表して挨拶をする。鐙将軍がいるせいかいつもと違う雰囲気があるな、緊張感があるというのは悪いことではない。今回は李項に出番はないが。


「うむ。集まって貰ったのは他でもない、軍を興す」


 端的に目的を告げる。呼吸をあけているのはその間にそれぞれが先を推測する力を養う為だ。どこへ向かっているのか、正確に捉えられているのは半分だろうか。


「呂軍師、概要を」


「御意」


 左手に侍っていた呂凱が段下に居る諸将らを見詰める。初めて顔を合わせた時にはこうまで多くがいなかった、思うところはあるだろう。


「先日魏国より使者が来た。その内容は、共に北へ向けて異民族を退けようとの提案」


 対象が異民族であると知り、今度はその可否を考える。大将軍がどのような返答をしたかを。保留して皆の意見を聞くような人物でないのは確か。呂凱が先を続ける。


「これを受けて北伐の軍を興す。鮮卑の王は歩度根、その勢力は五万を超える見込みだ」


 半身を捻りこちらを見る。誰を指名するかってことだな。


「鐙右将軍を主将に任じ、騎馬千、歩兵二万を預ける」


「謹んでお受けいたします!」


 中央に進み出て胸を張ると命令を受け取った。


「李中塁将軍、李中堅将軍、鐙将軍の副将に任じ、それぞれ騎馬五百に歩兵一万を預ける」


「お任せ下さい!」


 鐙将軍の後ろに二人が並んで勢いよく返事をする。異民族相手にこれだけで勝てるかは不明だ、これに補助戦力をつける。


「夏偏将軍、石偏将軍、それぞれに魏からの投降兵を一万預ける。ことが成った暁には正規兵としての登用を認める、戦果をあげてみせろ」


「大将軍のご命令確かに」


「おっしゃ、ついに腕の見せ所だな!」


 全滅しても痛くない兵力だ、これが計算できるようになるなら辺境の警備にでも使うようにするさ。若さはあるが鐙将軍が不調になった時に総崩れをする恐れがある、馬忠破虜将軍を呼び寄せるか? 李兄弟では主導するには経験が今一つ。しかし、ここでやらねばいつまでも出来んか。


「厳命しておくことがある。もし鐙将軍が指揮不能な状態に陥った時は、総員撤退しろ。それが怪我でも病でもだ」


 能力の不足ではなく不慮の事故だってありえる、ここで主要な奴らを失うわけには行かん。


「副将らに徹底させます」


 自ら認めることで、懸念が無いことを示した。鐙将軍は軋轢が少ない人物だ、いずれ張遼将軍のようになるぞ! 戦術に関しては現場に任せるしかないが、それ以外で今俺がやっておけることをするぞ。


「呂軍師、鮮卑についての情報を」


 俺が解るのは全体の動きについてだけだからな。


「異民族でも匈奴、鮮卑は遊牧民の類として数えられます。広大な土地そのものが砦であり、武器でもあります。その性質上、馬との生活が密接で、戦士はもとより子供でも騎馬することが可能だといわれております」


 それが日常だと言う限り、驚くようなことでも当事者にとっては当たり前ってことだな。かつての日本兵が誰もが普通に掛け算を出来たように、世界では稀でもコミュニティごとの常識は違う。


「機動戦は相手に分があるわけだ」


「大人と子供ほどの技量の差がありましょう。長城を築いた理由を今一度お考えいただければと」


 そりゃそうだ、まともにやって勝てないから守りに徹するわけだからな。そこへ突っ込んでいけって言うんだから、きっちりとした正解を与えておくのは務めだ。


「歩兵に弩を多めに装備させる、投石を全員に習得させる」


 近接戦闘を回避するために全力を注ぐ、それ以外に戦う術はない。それでも騎馬をとめることは出来んだろうが。


「弩は長安の職人により定数を増産させ、雍州の防衛に支障がないようにさせます。投石用の布も改良の余地はあるでしょう」


 ありあわせでも充分ではあるが、専用に製造すると言うならば高性能なものや、兼用の何かを作れるだろうさ。


「現場の考案に任せる。弩は矢を多めに製造させろ、本体があって矢が不足では満足に戦えん。鉄を鋳型に流し込んで、木製鉄矢じりの手間がかかる工程を省略させろ。刺さればそれで構わん、相手は鋼鉄の鎧を着こんでなど居ないからな。加工しやすいように、鉛や錫などの金属を混ぜて作業性をあげるんだ」

 

 矢先を削ってお終い、簡易なもので厚い装甲は抜けんが、革の鎧位なら致命傷を与えられるぞ。相も変わらずアスンシオンでの知識が役に立っているな。鉄鋼精製について妙に詳しいことに違和感を得ながらも、これといった意見を挟んでくることは無かった。


「糧食の補給に困難があるのではないでしょうか」


 李項が未知の領域に踏み込む弟を気遣ってか懸念をあげて来る。それについてはそうなんだが、荷物を抱えて行動するのもまた直接的に不安があるぞ。


「守りに適した地域に貯蔵倉を作り備蓄、そこから補充する形をとるんだ。専守防衛で耐えることだけを目指したものをな」


 逆撃路は不要、何なら閉じ込められても構わないような造りを。数か月こもれば確実に援軍を送り込めるからな。


「地域を選した後に、輸送を担当したく思います。ご許可を」


 己の功を誇りたいわけではない、誰かに身内の生命線を預けるのが不安なだけだ。李項の負担が大きくなる、これを軽減する必要があるな。


「うむ。羅憲、李項の補佐に入れ。近衛軍の兵站を流用し、優先的に補給を手配するんだ」


「御意!」


 唯一近衛軍の属官である羅憲に実務を預ける。真面目な奴だ、裏方の仕事もきっちりとこなすだろう。どう運用するかをそれぞれが思案する。

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