第92話

 それは確かに無理だな、息子が居たとしても対抗させるほどの発言力があるとは思えん。なにせ名を聞いたことも無かったわけだから、推して知るべしってところだ。けれども呂軍師の顔色は悪くない、何かしらあるわけだ。


「ではどうする」


「されば、張遼将軍を持ち上げ、彼の発言力を増すようにさせれば、宮廷勢力が英雄の出現を拒否しましょう」


 これぞ謀略ってやつか、反対勢力は必ずいる上に特定が困難。ましてや最前線に居れば目が届かない、知略の腕は随分と伸びるものだよ。頼ってばかりでは話にならん、俺からも案を出すべきか。


「戦場で――」可能性を模索しながら思考の網を拡げつつ「張遼に遭遇したら戦わずに退くよう触れを出しているのを敢えて喧伝し、血の気が多い魏将を扇動する。その親族や親友に皇帝の侍従でも居ればどうだ」


 詳しい人物までは特定できないが、方向性の一つとして策を打ち出す。呂軍師は笑みを浮かべて一礼する。


「御意。そのように工作致します」


 請け負ったのなら目算があるものだと受け止めておくとしよう。異民族か、向こうから見ればこちらがそうだな。国が違えば民族が違う、考え方もそうだが見た目からしてどこかしら違和感があるからな。魏も呉もそういう意味では同族と言えるか怪しものだぞ。


「鐙将軍が登城いたしました」


 従卒が報告をあげて来る。呂軍師を一目見て北伐軍についての話を進めるよう頭を切り替えることにした。肩に直垂、腰には直刀を下げた鐙将軍が太守の間にやって来る。威風堂々としたたたずまいは見ていて気持ちが良い。


「鐙芝、ただ今帰着いたしました!」


 主将である鐙芝に従う将校らも共に礼をする。


「ご苦労だった。見事に交渉を成立させた功績を朝廷へ上奏することを約束しよう」


 良いところを詳らかにして認める、そういう風土をこそ大切にしたいものだ。悪いところだけを切り抜いて讒言を吐くようなやつは崖から突き落としてやりたくなるよ。


「呉皇帝孫権は対魏国戦への参加を表明しました」


 詳細を聞かされて一つ掘り下げることにする、何せ俺は武官だからな。


「して、かの国の戦力の程はどうだ」


 使者として他国に入ったら軍備を見定めるのは常識だ、その為に威勢よく見せつけるか、隠すかの二者択一が常道になっているのもまた事実。


 敵対国家に攻め込まれるかどうか、或いは引き込めるかどうかが判断の一つだ。今回については過大に見せつけるのが手立てになるだろう。


「柴桑から入ったのですが、軍船は巨大で訓練が行き届き、水兵は体格に優れ多数おりました」


 まあ水軍はそうなんだろうな、こちらと比べるのが間違っている。軍船は今日明日何とかなるものじゃない、これが国家の生命線ってならしっかりと評価されておかないと呉もこまるんだろ。


「柴桑の主将は」


「陸遜仮黄鉞上大将軍右都護江陵侯に御座います。某が見るところ、かなりの大器と思われます」


 呉の軍事トップだったなそいつは。かなりの大器か、こいつが誰をどのように見ているかの基準は必要だろう。


「諸葛丞相と比べてどうだ」


 少し意地の悪いたとえだが、これで事の程が見て取れる。


「思うに、文事は丞相に軍配が上がりましょう。ですが、こと軍事に限れば同等の能力ありと見ております」


 ふむ、孔明先生の軍事能力についてか。あれは戦略家の類であって戦術家ではない、より大きな戦場、或いは未来を読む力に長けているわけだ。つまりは俺がぶつかり負けるようなら大将軍を名乗る資格なしといえるな。鐙将軍に能力の一端を示す必要ありか。


「一応だが俺は大将軍ということで、軍事の一切を預かる立場に在る。丞相と同等以上の軍事能力が無ければ、同格の上公とは恥ずかしくて名乗れん」


 何とも言えずにこちらをじっと見ている、わかっているさ口だけで終わらせはせんよ。


「鐙将軍、柴桑から建業へ入った時に見た軍備を報告しろ」


「はっ。街道は整備され要所にはいくつもの関所が設置されていました。首都には立派な鉄甲を纏った近衛兵が多数侍ており、数多の将軍が控えておりました」


 虚勢を張るために召集したやつらだろう、とは言え体格優れた者でなければ鉄甲は装備出来ん。装備を統一して揃えた部分で財貨を誇っているな。目についたのがそれということは、つつかれたくないところは控えめにしているはずだ。


「他の兵科はどうだ」


 印象が今一つの部分を再確認させる、見て来たのを忘れたとは言わせんぞ。


「城壁には弓手、弩兵が並び、衛兵も鉄製に矛を抱えておりました。騎兵も多数で精強さが伺えるようです」


 隠しているわけではないが、こいつが欺かれている可能性はある。弓手が存在しているのは専門の兵科が調練されている証拠だ、弩よりも遥かに育成は難しい。騎兵が多数居るのもプラスだろう。


 だが全てが満たされているはずがない、この中に偽兵が混ざっている。そして俺はその答えを知っているぞ。


「騎馬だが、馬の色はどうだった」


 目を細めて記憶を呼び起こすようにと促す。付き従う将校らが側により耳打ちした。


「鹿毛に黒毛、芦毛など様々取り揃えといったところでありました」


 ふん、やはりな。呂凱と一度視線を交わして後に目の前に視線を戻した。


「呉国は軍馬の育成が間に合っていない。弱点は陸上での機動力と衝撃力にある。魏に進出するも連携が出来ずに各個に攻められると苦戦を強いられるだろうな」


 話を聞いただけでそこまで解らねば軍のトップなどやっていられない。機動力については現代の自動車化と同じで不可能を可能に出来るかどうかが変わって来る。


「……なぜでしょうか、軍馬は多数おりましたが」


 怪訝な表情、見ただけで気づけとは言わんよ。疑問は最もだ、薄々は気づいていて確信が持てなかっただけかもしれんが。


「使者に見せつけると言うならば白馬を揃えるなりして圧倒させるだろう。だが呉は数を揃えるので精一杯だった、それは絶対数が少ないからだ」


 装備を統一することで立派と言ったのは鐙将軍、ならば馬も統一するのが立派ということになる。騎馬の能力が平均的に整えられているならば、運用もまたしやすいのは道理。


「確かにそうは言えますが、あれだけの数があるならば弱点とは思えませんが」


 首都に二千が揃っていたと報告する。それだけ聞くと成都の半数だが、見せつけるだけに集めて二千というのを忘れてはいかんぞ。


「呉の騎兵力は全国で三千を切る。なるほど数はそうだがあと一年か二年で急速に数が減っていくことになる、老衰で足も鈍っているところだろうよ」


「どういう意味でしょうか?」


 もったいぶるのもこの位にしておくとするか。将校らも雲を掴むような話に辟易としているしな。


「簡単なことだ、呉の軍馬生産力の三つに一つは蜀に流れ込んでいる。減少よりも補充が少ないんだ、退役寸前の軍馬も揃えて首都に二千が精一杯が呉の現状だ」


 三歳から五歳あたり、人間でいうところの青年層が薄くて、年寄が増えている軍馬が体力任せの作戦を遂行は出来ん。背負える荷物も、瞬発力も持久力もな。


「蜀に流れ込んでいる?」


 首を傾げてどうしてそんなことになるかの疑問を指摘してくる。そうだろうさ、そこが解らねば納得も出来まい。


「ああ、南方からの交易品を載せた船が呉に香辛料や珍品を運び込み、替わりに武具や軍馬を積んで戻っていく。そのせいあって軍馬の数が増えないようになっている」


 人手があれば増産できる武器や加工品は潤っている、技術も普及してプラスになっている部分もあるだろう。


「そのような交易を行っていたとは……しかし何故島大将軍が重要な機密情報をご存知で? 外国との交易内容など、呉国の高官しか詳細を知らぬはずでは」


 それはきっとそうだろう、だからこそ軍馬不足に気づけていない可能性があるんだ。柴桑に居るのが軍事の頂点なことも関係しているぞ。水軍に力を入れるのは間違っていない、それどころか地形を見れば正解と言えるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る