第90話

 成都ではなく俺のところにきた、そこにヒントがある。つまり蜀に用事があるわけじゃない、俺かこのあたりについての用事があるんだ。鐙将軍は不在で姜維のやつが何かを決めるのは難しい、ならば長安にって線かも知れん。


「俺の予想だが聞いてくれるか」


「はい、何なりと」


 にこやかに考えに耳を澄ます態度をとる。呂凱は軍師でもあるが将軍だ、この穏やかな姿勢は何だろうな。


「その満寵とやらは俺に用事があって来た、雍州についてのことがあってだ。奪ったものを返せと言うのでなければ、更なる不都合を減らそうって腹だと思うんだがどうだ」


 終わったことをグダグダ言ってもどうにもならん、これからのことを決めようってことだ。蜀が大人しくしている間に呉を潰そうって事かも知れんぞ。正解を呂軍師が決めるわけではないが、全くの見当違いだと俺が困るな。


「それは当たっているとも違っているとも言えましょう」


 目を閉じて澄ました顔で何とも反応しづらい返事をしてきた。一体どういうことだ? 呂軍師が再度口を開くまでじっと待つ、答えを急かすべきではない……そういう態度をとるべきだろうから。


「満将軍が島大将軍に用事があるのは間違いありませんが、恐らく雍州についてのことでは御座いますまい」


 ふむ、そういうものかね。雍州じゃ無ければなんだって話だ、呉についてか?


「魏が呉を討伐している間大人しくしていろとでも言いにきたか」


 蜀と呉は敵対国家、最近戦争をしたばかりで提案としては悪くない。十年前は友軍だったはずだがね。


「もしそのような提言をされてくるならば、満将軍の首を呉に届けることになるでしょう。が、決して触れては来ないでしょう」


 うーん、では何をしにきたやら。


「降参だ、俺では上手く対処できそうにない」


 両手を開いて首を振る。強がったところで得るモノは無い、皆に迷惑を掛けるだけ。呂軍師は微笑を浮かべると一礼する。


「我が主、少し意地悪をしてしまいました、申し訳ございません。満将軍は異民族、それも鮮卑や匈奴についての協議をしにやって来たと考えます」


 我が主と面と向かい告げる、そのような関係性ではないと言うのに。俺は呂軍師に何もしてやれていない、過分な呼び名は恐縮だな。しかし異民族か、確かにそれならば俺に用事があるわけだ。鮮卑は蜀の北側、匈奴は魏の北側あたりが主要な居住地だったな。


「辺境の街が略奪にあっているのは同じというわけか」


 異民族にとって漢民族は支配者が誰であっても変わりはない、獲物の一種でしかない。時代によっては協力的な王が異民族にも居たはずだが、昨今は漢室の乱れがあり交流が失われて久しいか。


「左様に御座います。北伐を共に行えば領民が安堵し、国内の安定に寄与する。悪いことばかりではない、と」


 動乱の世だ、安定こそが民が欲する何より。政治的な関係性を見なくても良いならば、俺はきっとその提案を受け入れているんだろうな。だが現状はどうだ、ここで別のことに力を使えば恐らくは蜀が魏を押すこと出来なくなる。


 孔明先生が望む未来はどちらだ? 目を閉じて考えを巡らせる、己が心に誓ったことを思い出し、民の安寧を蔑ろにしないと決めたことも。


「呂軍師はどう考える」


「お受けになられるならば使い道が御座います。ですが、お断りするならば対魏戦に全力を注げましょう。全ては我が主次第かと」


 使い道? 俺には解らない部分を感じているわけか、良いだろう会って話を聞いて決めるさ。


「解った。使者をここへ通せ。呂軍師は俺の傍に」


「御意」


 謁見の準備を整えさせると使者を招くために羅憲を遣わした。あいつには期待している、ことあるごとに経験を積ませてやるさ。小一時間もすると使者を伴って羅憲がやってきた。一礼すると太守の間の脇に控える。


 中央の絨毯を堂々と歩む、老人ではあるが背丈は俺とどっこいだ、この時代大男と括られる。甲冑こそつけていないが武官のとしての風格を漂わせているぞ。


「魏の仮節鉞征東将軍昌邑侯で満寵と申します。お目通りかない有り難く存じます」


 武官の礼をとるか、ならば俺もそのように遇するまで。


「蜀が大将軍、島介だ。遠路はるばるご苦労」


 国家は違えどどちらが上位かははっきりしている、階級への敬意は払うべきだ。敬うからこそ上下の別は大切にする。実際の権力はどちらが強いか分かったものではないぞ。


「島大将軍の武勇は聞き及んで御座います。話には聞いておりましたが、まるで青年かのような色つや」


 嘘偽りがあるならば職位の説明がつかないし、年齢が本当ならば見た目の説明がつかないか。まあそうなるな。


「神仙薬で不老長寿を得ているからな。その代償で数十年分の記憶が無くなったが」


 実際はきっとタイムラグの類で俺自身が存在していなかったんだろうが、神仙のせいにしておくとしよう。どっちでも良いさ。


「ほう、左様でしたか。是非とも詳しく教示していただきたいものですが、本日は別の件で推参した次第」


 真剣な目をして胸を張り前を向く。なるほど武官であっても交渉事は可能だ、特に俺のようなやつにはこっちのほうが話を通しやすかろう。


「聞こうか」


 こちらも勿体ぶらずに耳を傾ける姿勢を前面に出す。不満があれば拒否すればいいし、疑問があれば問いただせば良い。何もまわりくどいことは無しだ。呂軍師は隣で黙って様子を窺っているのみ。


「さればお聞きを。昨今、王朝は乱れ、民は騒乱より身を退け、識者は人里を離れ隠遁し、賊が跋扈しております。国家は治安を保とうと兵を興し民を憂える。ですが四方は異民族で溢れ万民が辛い仕打ちを受けて御座います」


 これは事実だ、王朝がどこだの何だのと文句をつけるべきではない。ただじっと耳を傾ける。


「魏国が使者として、蜀国への提案が御座います。互いに手を取り合い民を安んじるべく、異民族を討伐すべく軍を興しますよう伏してお願い申し上げます」


 呂軍師の見立て通りか、流石だな。これは司馬懿の策略ってことだ、俺の弱点をきっちりと突いてきているよ。この時点での俺の返事は是だ。だがそれだけならば事前に呂軍師に相談した意味がないし、俺の存在意義がない。


「具体的にはどういう動きをするんだ」


 情報を引き出す、これから検討するでは話にならんぞ。


「魏で東部鮮卑、東部南匈奴、烏丸などへ軍を向けます。蜀では西部鮮卑、西部南匈奴へ進軍されては」


 概ね北部の異民族全てと言うわけか。当然やつらだって黙ってやられはしない、一度退けたとしても報復に来るだろう。万里の長城の一部を壊せば騎馬で侵入できる、全てを受け身でこなすのはただ事でないな。


「ふむ、提案自体は悪くない。だがこれだけで俺がうなづくと思っているか?」


 実際はうなづくつもりだがね。やる気を出させる何かは必要だ、何もないと言われても驚きも失望もせんが。


「さて、島大将軍が魏の官爵をお受けになられるならば話は違ってきますが」


「受けはせんよ、それは満将軍も解っているだろう」


 言わされている感が凄いな、こいつの考えではないのは明白だ。使者の泣き所だろうな、台本があったら従わなければならないわけだ。


「されば一つ。もし某の軍が島大将軍に戦場で相対せしめる時は三舎避きましょう」


 どういう意味だ呂軍師をチラっと見る。そうするとすっと一歩前へ出る。


「申し遅れました、軍師の呂凱で御座います。左氏伝によりますれば、かつての文公が相手を畏敬し軍を三舎退いたことに由来致します」


 俺自身への礼と取るか。黄金を積まれるより遥かに面白いじゃないかこれは。


「良かろう、その話の乗ろう。だが間違えるなよ、これは共同戦線ではなくただの同時多発な軍事作戦でしかない」


 こんなことで孔明先生に迷惑はかけてられんからな、さっさと終わらせて軍備を引き戻す。


「果断なお言葉を頂き恐縮の極みに御座います」


 お互い何の含みも無しか、一つこいつの心づもりを聞いておくとしよう。


「もし事が為って戦場で俺と満将軍が対峙したらどうする」


「速やかに三舎避くことでしょう」

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