第89話

 失敗を減らす意味から軍師、参軍は限界まで府に任命してある。常に複数の助言者を傍に侍らせることからすべきだな。そして今は呂軍師も董軍師も、姜維の奴も忙しいわけだ。


「馬謖を呼べ、それと参軍らもだ」


 陸司馬だけは相変わらず部屋の隅に居て警備を司っている。別にあいつがやらんでも部下に任せておけばいいんだがな。呼び立ててさほど時間が経たないうちに皆が集まる。遠隔地での任務を負っている奴がまだいないからな。一応左右に並んではいるが、これといってそこまで別はないぞ。


「集まって貰ったのは他でもない、軍の運用についての意見を聞きたいからだ。遠慮なく発言することを望む」


 そういっておかないと萎縮するからな。言ってもどこまでのびのびと考えが出て来るかはわからんが。


「馬謖、現在の動員限界数の想定を」


「はっ」


 指名されて一拍おく。これについては国家機密でもある、現代では意味が解らないだろうが、戸籍数や人口の把握、都市の状況などは一部の者しか知ることが出来ない情報なのだ。


「益州と漢中、南蛮州を統合して凡そ武甲卒が九万から十万人。涼州、雍州で五万人は動員が可能でしょう。直接戦闘を行わない支援兵、輸送兵はこれらの半数ほどが目安になります」


 占領地の増大はそのまま人口の増大、それは勝てば兵力が増えると同義なわけだ。戦力は十五万、兵力は二十二万ってところか。


「魏と呉の想定を」


「魏は凡そ四十万人、呉は二十三万人が動員可能限界数であろうと丞相のお見立てでした。これには涼州、雍州は入っておりませんので、漢中以南の蜀だけの時には実に五倍の兵力差があったことになります」


 むむむ、これが現実ってやつだ。あれだけ打ち倒したってのに未だ三倍近い数を敵にしろって話だよ。だが呉と共同作戦が出来れば良いところいくわけか。ってことは司馬懿は絶対に呉を敵に回さないように工作をしている、間違いないぞ。


「それに兄弟の南蛮軍三十万が加わるわけだ。もっとも戦力は半数、冬は北で活動できんがな」


 南方の治安維持に輸送の肩代わり、決戦兵力としてピンポイントで増援可能なだけでもありがたい。特に防衛線力として期待できるのは負担が随分と減る。何より嬉しいのは裏切らない兵力ってことだ。戦況次第で右にも左にも向くような軍は始めからいらんからな。


「南蛮州の警備兵力が減るのは極めて幸運なお話です。島大将軍には丞相もとても感謝しておられます」


 大将軍府の軍師でもあり、丞相府の参軍でもあるため不思議な感覚になってしまう。背景というのは必要だが、郤正らが所在なさげにしているのはいただけん。


「俺は孔明先生が望む世界を共に支えたいと思っている。ここに居る皆が己の信じる未来の為に身を賭しているのを俺は知っている。そこには何の隔たりも無い、恥じることなく、怖じることなく励んでもらいたい」


 一人が出来ることなど知れている、それぞれの想いが集まってついには大きなことをなせる、そういうことだと受け止めて貰えるように導くのが俺の役目だろうな。


 想いを新たにして背筋を伸ばす者が散見される。若者が悩まないように善導してやりたいが、相変わらず常識は欠落したままだ。


「魏は多大な兵力を持っておりますが、その版図を維持するために兵を散らせなくてはいけません。北部に十万、南部に十万、西部に十万、首都に十万」


 そうだ、留守に民兵を当てて正規兵を半数動かせば二十万が遊軍になる。留守を一人、民兵を四人にして伍を組ませたら維持に八万で三十万が自由に使える、これが漢中攻略戦の目安だろうな。


「一つ目はそれにしょう。郤正、各地方に民兵動員時の体制を事前に整えさせる令を下せ。詳細については後程呂軍師に相談し決せよ。また軍規については董軍師とも吟味し明文化をするんだ」


「畏まりまして」


 得意な文書管理を命令されて胸を張る。得手不得手は存在する、出来ることをやらせたらいいさ。残る兵士のことは良い、浮かせた兵士をどうするかをここで決めておくとしよう。


「兵の集合と移動経路を定める。関内では県城に集まった後に嘩萌関を抜けて漢中で待機。後に将軍の指揮で陳倉経由で長安入りさせる。経路上の整備、人員の運用については黄崇が担当だ。姜維と相談して報告をあげろ」


「承ります」


 長安に集めて後はこっちでどうするかを決めたら良いな。すると装備もこちらで手配しておく必要があるか。


「李封と羅憲とには装備の補給計画を任せる。正規兵用の統一装備だけでなく、民兵に支給するような二線装備も含めて充足を満たせるように計算をして用意だ。南蛮からの流用品も視野に入れ想定、李項に相談して報告をあげろ」


「はい、ご領主様」


 孟獲のところとの連絡の為に李封を主任に据えて、国家公務の処理に羅憲の知識をださせてだな。中央省庁に勤めていたことがあるんだ、そこは李兄弟よりも詳しいだろう。


 人を集めて、食わせて、装備をつけて戦えるようにする。次はなんだ、実戦をする時の動きを定めておく必要があるか。一から十まで口出しするやかましい大将軍だな。苦笑して先を進める。


「左右の連携、情報の共有を強化する。李信、陸盛は他軍の伝令や幕僚らと連絡を密に取れ。社会的な付き合いは呂軍師に相談し、相互の距離を詰めろ。これは次世代の将であるお前ら全員に言えることでもあるぞ」


 李中衛将軍司馬、陸宿衛将軍司馬。つまりは俺の護衛将軍というわけだ、他の軍の者から見たら俺との連絡線を保つことにもなる、邪険にされることは少ないだろう。この手の動きは呂軍師に勝てる奴は幕に居ない、年の功という意味では呉鎮軍大将軍や寥安南将軍が居てくれたらと思わないことも無いが。


「長安に大将軍府の人員や、地方からの兵が溢れて行き場がなくなっては上手くない。一時的に利用可能な離塞や屯所を設置し、速やかな運用が可能なように整備を行え。これは李覇が担当だ、董丞に相談し整えろ」


「御意」


 全体との繋がりがいまいち薄い次男坊を馴染ませる良い機会だと思おう。中県での防戦指揮には実績と定評がある、その手のことには明るいんだろう。この場に居る殆どに役目を割り振った、一人を残して。


「李項、お前は全てを監察して不足があれば補い、誤りがあれば正せ。大将軍府の全参謀並びに将軍、そして長安や雍州に限らず蜀軍全体の連絡事務の中継地として動くんだ。不明な点があれば軍師らに相談しろ」


「ご領主様の仰せの通りに」


 李中領将軍長吏。近衛軍、国軍、そして大将軍府に連なる全軍の司令部へ俺の命令を発する役どころだ。俺が総司令官とするならば、こいつは大本営の参謀長、自身の権限がないわけではないぞ。司令官兼高級副官といったところだ。丁度皇帝と侍従武官のような感じだな。


「いま出した指令だが、より良い内容が浮かべばいつでも上申してこい。俺が納得すれば九割進んでいようと白紙にさせる。だが計画段階で不備があるような案は何度でも練り直しをさせるぞ、思考こそが上に立つモノの最大の仕事だと心得ろ」


 声を合わせて返事をする。思考についてはそっくりそのまま俺への苦言でもある、間違えている暇はないからな。取り敢えず戦える状態に持っていくまでの下準備はこんなところか。


 日々戦争の準備で忙しくしているところに使者がやってきたと聞かされる。成都からかと思ったが、やってきたのは魏国から。会わないわけにはいかんのだろうな。


 ひとまずは屋敷に留め置いて、使者が何者かを確かめ呂軍師と相談するとしよう。一両日中に役所に呂凱が姿を現した。太守の椅子に座ったまま彼を見詰める、微笑を浮かべている。


「呂軍師、珍客がやってきている」


 参ったものだと呟きながらもっと近くにこいと招いた。この手のことはこれが初めてだ、落ち度がないようにしなくてはな。こちらから会いに行くことは今までも結構あったが、訪問されると落ち着かんものだ。守るより攻めが性に合ってるのとはまた違うんだろうか。


「満寵仮節鉞征東将軍昌邑侯ですな、ご存知でしょうか?」


「さあな、聞いたことが無い」


 仮節鉞を得ているんだ、それなりの人物なのはわかるが全く知らんぞ。しかし軍人が外交官を兼ねるのが普通なんだろうか。鐙将軍を送っている手前何とも言えんがね。


「曹操以来の宿将で、役人から政務官、軍人となり軍司令官を経て宮廷に入っていた御仁でございます」


 するともうそこそこの歳だろうな、下級役人からの出世ということは能力で這い上がって来たわけだ。なぜだろう、少し会うのが楽しみになって来たのは。


 すらすらと経歴を述べる呂軍師に感心しながら、どうしてここにやって来たのかを推測する。茶を飲みにきたのではないのだけは間違いない。


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