第88話

 逃げ足の速い二人が軍事のトップなわけだ。司馬懿は強敵だが、曹真には負ける気がせんぞ。ということは、司馬懿の力を削ぐのが蜀にとって最適な政略や謀略ということになる。


 とはいえ有能な将軍が多数居るんだ、一人二人の足を引っ張るよりは自国の強化を選んだ方が良いんだろうな。一方でこちらは孔明先生のみ、決して害されるわけにはいかん。


「尚書僕射を履いた二人が事実上の政治の頂点と言えます。どちらかが宮廷に残り、どちらかが遠征に出られる。恐らくは司馬懿が戦に出るでしょう」


 ん、尚書僕射ってのは国務次官輔みたいなものだったか、どうにも感覚がないからな。それにしても司馬懿を相手に戦略で勝てるかどうかは全くの不明だ。泣き言を吐いても仕方ないが。曹真が残るってのは宗族だからってことだろう、そこにつけ入る隙は無いか?


「荊州は文聘将軍、以東を張遼将軍が防衛し呉国に睨みを効かせるでしょう。揚烈将軍の公孫淵が北部の実質的な都督、遼東に屯していますが忠誠の程は疑問があります」


 確か地方豪族ってことだったな、不利になれば直ぐに裏切るだろうさ。放っておいても積極的な協力とやらはせん、そういうものだ。部族の考えはそれなりにわかるつもりだぞ。


 人口はこちらの四倍、兵力も比例する。武将の数や質まで比例しているようでは勝負にならん、特異な駒である孔明先生が手腕を一手に震える環境のみが望みか。


「長安の失陥に伴い首都を洛陽から許都に移していますが、名目上は未だに洛陽のまま。蜀軍士気の発揚のため、洛陽を奪取することが出来れば、各地の支配者らも魏を見限り蜀になびくものと思われます」


 それはどうだろうな。無意味とは言わんが名目をどうこう考えるのは一部だろう、やはり全力で頭を押さえるのが最良だ。許都とやらに皇帝がいるならばそこを一気に攻める、これしかない。


 列席している奴らを目を細めて一通り見る、誰か異見をあげるものはいないかと。控えているのか言葉を遮る者は出なかった。


「魏の南部は呉に備えるために一軍を動かせず、北部は異民族対策で動かせず、荊州の維持にも一軍が必須。残るは青州周辺と首都の二個軍、蜀の攻勢軍とほぼ同数」


 こちらの攻勢軍は全力だ、それと備えが同数ってんだから参る。それに対呉の二個軍は外交次第で動員可能だ、あっという間に二倍を相手にすることになりかねん。それをどうにかするのが外交責任者の仕事だが、それも俺なんだよな。


「外事に移ります。蜀の西部、西北部である羌族は軍勢を差し出す程の親密さ、これの心配は要らないでしょう」


 視線が銚華に集まる、それはそうだろう。黙っていても良いだろうが、口を開く。


「羌族は全力で旦那様が指揮する軍に助力をするでしょう」


 俺が指揮する限りという限定つきに不満を持つ者はいるだろうが、今はそんなことを言ってなどいられんだろう。この幕にはそもそもがそういうのは居ないが。


「北部の鮮卑、南匈奴、北匈奴、このあたりは動向が不明です。北地郡や河北郡などに出没しているとの報告もあります」


 異民族の動きなど敵対的で織り込むべきだ。どこが勝っても突っ掛かって来る、かといってそれを理由にこちらが争いをやめることは無い。北部の都市は略奪を受ける恐れが大きいな。


 南部の南蛮が絶対の味方のお陰で、南西部の心配も少ない。対異民族はきっと今までで一番安定しているだろう、だからこそ俺でも可能ってわけだ。


「呉国との対応が全ての鍵を握るものと考えられます。対魏戦線に引き出すことが出来れば勝利が見込めるように」


 呂凱が概要をまとめて後にこちらを振り返る、この先は俺に任せるってわけだ。大きく頷いて現状を認めると少しの間意見があがるのを待つ。……無しか、もっと積極的に取り組んでくれても構わないんだがな。


「乱暴なようだが敵味方の色分けをしておく。南蛮と羌族以外の異民族は敵と想定、呉はだんまりを決め込み、最悪は魏の対呉軍がこちらに殺到する。張遼が駆けつけてきた現実がある、戦とはそういうものだと考えておけ」


 最悪を想定したいが悲観的過ぎても行かん、半々くらいのものを不都合に見立てて残りは二つに一つを不都合にすればいいだろう。何もしなくても状況は悪化する。


「糧食は長安にまでは輸送されるだろうが、最前線へは横やりが入り半分以下しか届かないことを織り込め。余剰と思っていた地方の兵は、どこからか現れた魏の別動隊に対抗するので精一杯。こちらは交代なしで、あちらは傷も少ない補充兵が延々と現れる」


 顔色が悪いな、だが長引かせるとそうなる。だからこそ衝撃力を重視して、切り結んだら止まらずに駆け抜ける必要があるんだ。


「それは流石に敵を過大評価しすぎているのではないでしょうか?」


 馬謖がまゆを寄せて苦言を呈する。一部丞相の能力を否定するかのような部分が混ざっているからだろう。己を知り彼を知れば百戦してってか。


「魏に俺と同等以上の司令官が居ればそうなるはずだ。そして司馬懿は間違いなく俺などよりも知恵が働く。遅かれ早かれ苦しい状況に追い込まれるのは必然と言える」


 頭の造りがそもそも違うんだよ。だがこちらが勝る部分もある、そこを最大限に生かすべきだ。意地の悪いものの言い様に言葉を返せずにいるな。まあそれが狙いだ、年の功ってやつだよ。


「俺達に有利な点が一つだけある」


 全員を等しく見詰める、それが何かを気づけたとしてもやはり口には出来ない。本当に俺もずる賢くだけはなったものだ。


「蜀の大将軍府には己の利益を求め、他を蔑ろにし、武将間の不和を口にするものが居ないことだ。一丸となり統率を保てるのは代えがたい武器になる。苦しい時は己を信じて仲間を信じろ」


「御意!」


 精神論でしかないが味方の力を計算できるのは大きな要素。司馬懿のやつもブレが大きな軍兵の戦力では見通しを立てづらかろうよ。


「呉との折衝が鍵になるのは俺も同感だ。誰が使者に適切だ」


 呂凱か馬謖か、はたまた姜維を抜擢するべきか。幕僚の意見を採り上げるとしよう。ところが上がって来たのは想定外の人物だった。呂凱が皆を代表して意見を述べる。


「呉への使者、是非とも鐙将軍を起用なされますよう言上致します」


 ん、どうしてあいつなんだ? まさかの武官を敵地に等しいところに送り出せとはどういう了見やら。


「あいつが弁舌がたつとは聞いたことが無いが」


 弁士ってのは話が上手いもので、いかに相手を納得させるかという存在だ。軍事指揮官が兵を率いるのとは違うぞ。


「理由は三つ御座います。鐙将軍は物怖じしない度胸と、真っすぐの性格の持ち主。弁は爽やかで信用が御座います。国家の行く末を決める一大事の任に適切な顕官でもあり、丞相に蜀呉同盟の復活を働きかけた人物でもあります」


 なるほど、それは全く知らなかった。言われてみれば思い当たる節がある、だがあと一つは何だろう?


「そこまでは解った。理由の三つめは何だ」


 ま、ここでこいつが軍師だったってことを再度気づかされることになるわけだ。にこやかにえげつないことを口にする。


「鐙将軍が雍州を離れて交渉の任についている間に、軋轢なく制度、人事、軍事などを都合よいように書き換えるのです。鐙将軍が成功すれば小さなことには文句を言わず、しくじればそもそもが意見を出すことも出来ないでしょう」


 大きく息を吐いて全てを認める。出立までに雍州都督の任、代理に姜維を指名した。俺は俺にしか出来ないなにかをやっておくことにしよう。


 翌日の朝、太守の執務室で椅子に座り前を向く。さて、何が出来て何が出来ないかを知るところから始めるとしようか。早急な判断が必要な部分を最初に潰しておこう。


 何せ体制の確立からだ、これを蔑ろには出来ん。軍勢の指揮権は今や俺に一本化されている。それが地方軍でも、国軍でも近衛軍でもだ。これは逆に言えば俺が誤った指図をすれば誰にも止められずに奈落の底ってことになりかねん。

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