第87話 第三部

 成都を出て途中、進路を徐に変更する。誰一人として何故とは問わなかった、何せ先頭を行くのが大将軍の本営だから。即ちそれが俺の意志だってことだからな。黒毛の体格が良い軍馬の背で懐かしの中城を見詰める。あちこちに戦争の傷跡が残っているのが痛々しくもあり、誇らしげでもある。


 城壁になびいている軍旗はあまりにもなじみが深いものばかり。軍勢が側によると城門が開かれて軍兵が道の左右に分かれて整列する。開かれた門の前には白髪白髭の老人。


「ご領主様のご帰還、感慨の極みで御座います」


 李長老が大勢の文武官を従えて出迎えた。表情は最初に会ったころとは違って堂々としてすっきりとした笑顔。もういつ死んでも満足だと言うのが伝わるようだった。


「俺が帰る場所をよく守ってくれた、礼を言わせてもらう」


 反逆を問われた時に無血開城をしていれば、死なずに済んだものがどれだけ居たやら。千や二千ではないはずだ。


「滅相もございません。ここはご領主様の王国にございますれば、どうぞご懸念なく。こちらに一席ご用意させていただきました、是非ともご降臨くださいますよう」


 ふむ、どこかで見たことがあると思い出しちまったよ。あいつの郷でもこうだった、嬉しいがやり過ぎには注意だな。ゆっくりはしてられんが一晩位で状況も変わるまいよ。ここは李項に華を持たせてやるとしよう。


「李項、全軍に宿営命令だ。親衛隊のみ入城させる」


「御意!」


 李項の名で全軍に命令が行き渡ると、平地に野営地を設営し始めた。その姿を見る李長老の満足そうな顔はきっと忘れん。


「陸司馬、戦傷が重い者はこのまま除隊させろ。一律二階級昇進させ、ここで指導に専念させるんだ」


「承知致しました。補充も同時に行います」


 大将軍司馬宿衛将軍に昇進させたが、いつもと何も変わらんものだな。曖昧な指示にもきっちりと沿う内容で実行してくれる、幕僚として最適だ。軍が手足のように動くのはこいつらのお陰だな。


 城壁の上で旗を振っている兵士たちに目を向けて軽く手を挙げて応えてやると、騎馬したまま入城する。他は全員下馬しているので最大の敬意を示してくれていると同義だよ。


 住民総出での出迎え。だが勘違いしてはいかん、親兄弟を失い俺を憎々しく思っている奴だって半分居る。気を抜くのは許されんぞ! 祝宴は朝まで続いた。だとしても起床時間にはきっちりと身なりを整えて座についた。俺がそうすることで、皆が従う。模範でありつづけることが俺である証明だ。


 嘩萌関で夏校尉の姿を認めると予告通り「偏将軍に任じて俺の参軍に加える」召し抱えて漢中へと入る。新たな太守が派遣されてきているはずだ。三十代だろう芯が強そうな男、というよりは頑固そうなやつな気がする。進み出て出迎えるが遜る様子は一つもない。


「漢中太守の宗預と申します。以後お見知りおきを」


「うむ、大将軍の島介だ」


 姜維に耳打ちされる「彼は元の丞相参軍右中郎将です」なるほど、そこ経由ということは何の心配もない。郎官から孔明先生が手元に引き寄せた子飼いだ。形式だけ酒宴をと誘って来るが首を横に振る。


「そうしたいところだが、早々に長安へ入らねばならん。漢中は中継地として最重要の地、宗太守のような者が赴任してくれて心強い。ここは任せる」


 眉をピクリとさせて一礼。


「ご武運をお祈りしております」


 城内に羌族兵が屯していた、もちろんそこには銚華が居る。


「旦那様、お祝い申し上げますわ」


 二人の武将らも素直に礼をした。まさか俺が最高官にまでなるとは思っていなかっただろうさ、何せ本人がそうだからな。


「夫の誉れの半分は妻のものだ。銚華の助けあってのことだからな」


 微笑で招きよせると軽く抱きしめてやる。本来ならば安全な場所で好きに暮らしていたら良いのに、ありがたいことだ。


「でしたらご褒美をねだらせて頂きますわ」


 表情を崩して例のことを思い出させる。そうだった、少しは落ち着いたんだそれくらいいいさ。軍勢を同道させ、陳倉周りで武功から長安へと入る。長安北東の高陵城に鐙芝将軍の治府を移させて州の統治を行わせた。南東五塞は陳式将軍に預けて魏軍の侵入に警戒をさせる。


 ドカッと太守の椅子に腰を下ろす。目の前には董丞が居て、各種の報告をあげてきた。概ね問題無し、それが総括した所見。


「さて董丞、俺は暫くここで全軍の総指揮を執ることになる、城の改築と屋敷の新築を任せても良いか」


 永続的な本営機能と、幕僚らの邸宅だ。場所は幾らでもあるだろう、無ければ城壁を延長したらいいさ。


「島京兆尹に相応しい設えにさせていただきます。お任せ下さいませ」


 そいつはきっと無骨な戦闘用の屋敷だろうさ。苦笑いをして勝手に想像を終わりにする。近隣の民政も一任して部屋に軍事幕僚を招集した。随分と増えたものだ、国を動かすんだから少ないという見方もあるか。一人一人の目を見てから一息つく。


「今は魏の混乱があり小康状態を保っているに過ぎない。余裕があるうちに善後策を検討し、戦に備える。各位の意見をあげろ」


 左手に侍っている呂軍師に全てを預けると目を閉じて聞き入ることに集中した。


「論点を幾つかに絞ります。一つは国内について、一つは魏について、もう一つはその他の勢力についてに」


 非常に分かり易いな。確かに国内国外ではなく、第三勢力についても把握をしなければならん、何せ外交責任者でもあるんだからな。元は異民族との交渉や保護を請け負っていたものだが、魏呉蜀に収束していくことで、呉との外交交渉も視野に入ってきたわけだ。


「国内政治については諸葛丞相の管轄ゆえ方針の確認を行います。南方からの多収穫が望める食糧を増産し、戦争に備えるとともに、国民の充足を計る」


 芋やバナナの類だ。単一種にすると病気で全滅する恐れがあるから、なるべく多種多様なものを隣接しないように生産させる。細かい理由までは説明できなかったが、そういった懸念をあげると頷いて理解してくれたな。あれは蒋碗とかいうやつだった。


「前線地である雍州と永安には都督を置いて軍政で統治を行い、後方地並びに南蛮州は刺史を置きその任に充てる。涼州地方の離反に注意がありますが、馬岱将軍が刺史を履き目を光らせているので心配は少ないでしょう」


 三か所同時に蜂起でもしなければ鎮められる能力は持っているはずだ。ということはそうなった時に即座に加勢できるように手筈を整えておくのが俺の仕事だろうな。


 いずれ司馬懿もこちらの采配を知る、そうなれば離反工作をしてくる。三つでひっくり返るなら、四つ、五つを目指してだ。一つを読み違えても修正が効くように、助軍を二つ配備しておくとしよう。そいつを知る官も派遣してやってだ。


「羅憲、こちらへ」


「はっ!」


 意見交換をそのままさせておき、隣に置くとメモをさせる。概要を説明して教育を進める意味も含めて。誰を指名するかというと、呉将軍の息子らってところだろう。一応遊軍の訓練所ってことで山中の僻地に待機をさせておく感じか。武平県だったか、あのあたりに適当に選ばせてだ。


「首都の統治は丞相がおられるので微塵も不安はありません。羽林軍も実戦経験を積み精強になったものでしょう」


 孔明先生に近衛騎兵団だ、これを覆す力を持つ奴は居ないだろう。問題は手が届かない場所で離反されたらってことだ、李厳のやつがどうするかを注視すべきだが。


 あいつは江州の都督でもある、そこで反旗を翻されたら厄介だぞ。だからと首都に縛り付けておくのも限界がある。それにあいつが不在の間は息子のやつが副都督として全権を握っているはずだ。


 大前提である諸葛亮生存、これが崩れたら全てが終わる。どこまで寿命があったかは覚えてないが、死んでからも暫く時代が続いたんだ、長くはないぞ。そういえばいい加減俺も寿命で没するってこともあるだろう、全くの想定外だったのはどうなんだろうな。


「物資の堆積所として各地方に重要拠点を設定しました。そこを将軍らの駐屯地として防衛を行わせています」


 弱点を隠すことではなく、守ることで補う方向だ。こいつは俺の提言だぞ。ただただ場所を死守するだけでも構わん、それだけに積極的な性格の将を任じずに、冷静で慎重な性格の奴らを張り付けた。臆病と言われる位で丁度いい。


 各自に防御要塞の増築を許可してある、勝手に城壁の積み上げをするだろうさ。万能な駒や、積極的な奴は最前線で働かせたい。


「魏の首脳部は曹真が大司馬尚書僕射侍中都督中外諸軍事、司馬懿が大将軍尚書僕射侍中都督中外諸軍事と二大巨頭政治に移り変わっております。皇帝を称する曹叡は情報が少なくその人となりすら伝わりません」

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