第86話 使持節仮黄鉞大司馬大将軍大都督大鴻臚領京兆尹儀同三司附馬中侯

 立ち上がると視線を孔明に向けた。まさかこんな日が来るとは思っていなかっただろう、俺が転がり込んできた時はお友達人事の一つでしかなかったからな。


「魏との戦、大儀であった。これより論功行賞をするゆえ呼ばれた者は応えよ」


 平素は官職の異動の都合から、上から下っていくが今回は違った。一律の恩賞を受ける官らを走りに、特定の功績をあげた者らを先に賞していった。ささやかな働きも言葉にされ、呼ばれた者は忠誠が満たされるかのような感覚を得る。


 上奏した内容が全て受け入れられ、李項らの昇進が認められる。望んだ号が与えられ、一部の者には官爵が付与された。一大勢力を築き上げた俺を妬ましく見つめる視線が背中に刺さっているのが解るよ。


「ここにはおらぬが鐙芝を仮節右将軍都督雍州都亭侯に任じる」


 姜維を右将軍の後任にしてやりたかったが、流石に一度にそうすると軋轢が酷いだろうと思ってね。征東将軍ってことにしたさ、こいつが居れば侵攻戦で役に立つ。鐙芝は北部の主将だ、やつなら能力も経験も充分だ。


「魏延の涼州刺史を解き、新たに持節左将軍都督永巴領荊州刺史南鄭侯とし、五百戸を加増する」


 後方地になった涼州に魏延を置いておくのは勿体ないからな。永安方面の司令官に任命して、冷将軍らを指揮下に置いて中央の要になってもらう。寥紹には南蛮刺史に返り咲いて貰い、民政を担当させる。


 あそこは兄弟が居る限り絶対安定だ。孔明先生は官職据え置きで、黄金や絹を下賜されるってことでお終いか。最後が俺だ、一番戦功を得ている。


「南蛮に於いて呉軍を防ぎ、永安の防備を整え、関中の敵を討ち、漢中を援け、雍州を回復し、曹真を始めとし張合、徐晃、曹洪らの魏将ことごとくを退け戦を蜀の勝利に導いた功績は多大だ」


 行った全てを明らかにし、一つ一つに対して功績を称賛する。これらのうち一つでも成せば充分な恩賞を得られるだろうとの説明は地均しってことか。これが丞相の仕事というわけだ。


 だまって耳を澄ませて聞き続ける、何かを見て語るわけではなく、全員の働きを熟知している。流石と思うね。


「勅令を賜りし島介を、使持節仮黄鉞大司馬大将軍大都督大鴻臚領京兆尹儀同三司附馬中侯とし、二千戸を加増する」


「謹んでお受けいたします」


 陛を登り孔明の反対に行くと皆と対面する。尊敬は孔明先生に、恨み妬みは全て俺集めれば良いさ。たかが百万人かそこらの国家の軍事最高司令官ごときで俺は怯まんぞ!


 二千石以下の官民を全て処断可能で、軍事的独断行動権限を保持、中軍外軍両方の地位を得て、総司令官になった。対外権限の国家責任者でもあり、長安一帯の政務官を継続、上公待遇を許され公主を妻に持ち、中県を領している。


「これより軍事を悉く総覧し、丞相を援け国家を支える。先の戦では勝利したが、未だに魏は遥かに強大で気を緩めることまかりならん」


 百官を見詰めて後に、段下に居る幕僚らを見た。皆が良い表情をしている。


「姜維、馬謖、李項、羅憲……」


 自身の幕下を始めとして、見どころのある青年の官を名指ししていく、それらを最前列にくるようにと命じた。何があるのかといぶかしむ奴が多い。うむ、やはりあいつらは見劣りしない、だからと贔屓もせんぞ。


「ここに居る者らは国の未来を担う若者たちだ。順当にいけば年長者が先に世を去るのは逃れえぬ運命。諸兄らに島介が願う、かの者らを等しく見守り、教導し、支え、時に厳しく叱り道を説いてやって欲しい。彼らは国の宝だ!」


 孔明先生も羽扇を引き寄せ礼をした。言葉を耳にした姜維がそのばで両膝をついて、両手を前に出して合わせる。頭を下げて先輩にあたる諸官に拝礼した。


「ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します!」


 青年官らが皆そのように拝礼すると、旧来の諸官が心を打たれたのか表情を冷静にし返礼する。自分こそがと思っていた者も、これからは未来をいかにしてつくるかを意識してくれたら幸いだよ。すると今度はこちらに向き直り、姜維が口を開く。


「我等若年諸官、命を懸けて国家を支える所存であります。何なりとお命じ下さい!」


 じっと姜維を見詰めて頷いてやる。解散して各自の居場所に戻るのを待ち、孔明に向き直る。


「魏で起きている一大事、皇帝の崩御だろうと見ていますが、丞相の見立てでは?」


 不確実な噂ではない、ここで敢えて口にするのは皆に緊張感を持ってもらう為だ。戦勝で浮かれている場合ではないと引き締めておく必要があるからな。


「うむ。後継者争いになっておるだろう。ならばこの混乱に乗じて動きを加速させる」


 また戦争が起きる、それも蜀が打って出る形で。戦続きで国は疲弊している、だからとやめるわけにはいかない、まるで自転車をこぐかのようだ。


「許都は函谷関からほど近い、私は長安に戻ります。時機は丞相が、実行は私が、これでいかがでしょうか」


 どのタイミングで仕掛ければ良いか、それは間違いなく孔明の方が上だからな。しかし戦場にほど近いのは俺だ、実戦なら負けはせんよ。


「我はずっとこのような日が来ると待ち望んでいた、外のことは頼むぞ介」


「はい、お任せを。孔明先生の荷を半分背負わせて頂きます」


 面白くないやつが混ざっているだろうさ、だがそんなのを気にしてなどいられん。李厳のやつ、どうするつもりか要注意だ。


「大将軍府を臨時で長安に開府することを許す。長安に丞相府の分室を置き、費偉を丞相長吏尚書僕射とする。首都との連絡を担当せよ」


「承知致しまして」


 費偉というと俺を包囲して追い詰めてきた軍事的能力もあるやつだったな。大将軍府にも席次を与えるべきだろう、何より有能な奴が俺は好きなんだ。


「私からもだ。費偉を軍師将軍とし、大将軍府の連絡事務並びに助言を許す。引き受けてくれるだろうか」


「謹んで拝命致します」


 これで後方のことは丸投げできるうえに、孔明先生に直通なわけだ。馬謖はより対魏について専念させられるぞ。扉の外が騒がしい、何かあったな。伝令が駆け込んで来る、顔色が悪いのは睡眠不足からだろう。


「何事だ騒がしい、御前であるぞ」


 文官の一人が窘める。それを完全に無視して叩頭すると声を張り上げる。


「魏皇帝崩御! 曹叡が皇位を継承し、司馬懿、曹真らが臣下を代表し輔弼することを宣言しております!」


 なるほどな、さっさと退き返して上手い事やったようだ。漢中戦どころじゃなかったわけだ、納得だよ。


「丞相、急用が出来ましたのですぐに成都をたちます。無礼をお許しください」


「追って沙汰する。頼むぞ龍将軍」


 親しみを込めてよう呼んでくれる、嬉しくて涙が出るね。


「先生もお体を大切に。李項、直ぐに出るぞ、準備を整えろ!」


「御意!」


 いまや高位の将軍になったと言うのに俺の小間使いみたいな真似をさせて悪いとは思っているよ。段を降りて扉に向けて歩く、高級武官らが十人程続いた。来た時とは感情の向けられ方が違う、成果があった受け取っておくとしよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る