第85話

「ああ知ってる。戦闘をさせたら俺などでは敵わないこともな」


 あっさりとそんなことを認めたのを不思議に思ったのか石苞がこちらを向く。軍の大将が戦う前から敗北を認めるかのような言、良いはずがない。


「だが、戦争なら俺は誰にも負けるつもりは無い。本陣を固め『帥』旗を掲げろ、力比べをしてやろうじゃないか」


「おうよ! 今度は偵察じゃなくても活躍の場がありそうだぜ」


 そういえば結局は旗を任せてるな、まあいいか。武庫から装備を配布中だな、今回は歩兵戦闘が中心だ。


「親衛隊は弩を持って外周へ移動だ、護衛隊は盾を持て!」


 陸司馬が手持ちの兵を指揮して防衛に専念させようと配置換えを行う。待っていれば増援が得られる、時間は局地的にこちらに有利だ。日数が掛かればまた不利になるんだろうがね。


 床几に座り腕を組んで黙って見守る。俺は全体をみるのが仕事だ、張合の軍勢は敗走を続けているあちらは放っておいても良いだろう。趙雲のやつは押されているな、何とも珍しい光景だ。負傷者が多いのは否めん、自力で生き残ってもらうしかない。


 しかし早い、もう目の前にやってきたか。馬蹄を響かせて騎兵団が攻撃を仕掛けて来る。先頭を行くのは白髭をぶらさげた老人、あれが張遼か。


「我こそは張文遠なり! 蜀が総大将、島将軍の首級をもらい受ける!」


 騎射を行い本陣の防御を確かめて来る、木に薄い鉄板を張り付けた盾を翳して矢を防ぐ。抜けてきた数十の矢に当たり運悪く命を落とす者が居る。


 接近して来る騎兵団をじっと待っているだけで反撃の号令が出ない、意気地なく籠っているとみたか、それとも何か罠があるとみているか。いずれ敵を過小評価することはないだろうな。第二陣が騎射しながら牙門付近にまで接近してくる。


「親衛隊、撃て!」


 陸司馬の号令で盾を構えていた者達が一斉に盾を横にして視界を開く。するとしゃがんで待っていた親衛隊が弩を放つ。そのまま撃ち終わったものを後ろに渡して、装填済みの弩を手にして都合三回の斉射を二十秒で行った。


 熟練した長弓兵の速射とほぼ変わらない連射に、張遼の騎兵団第二陣は総崩れになる。蜀の本陣が俄かに沸いた、士気が上がり兵が装備をガチャガチャと鳴らして威嚇をする。


「怯むな、進め!」

 

 だが張遼に指揮された騎兵団は第三陣を送り出してきて、投げ槍で対抗する。これは鉄板を貼った盾では防げずに、多くの護衛兵が死傷してしまう。


 負傷者を陣の中へ引きずって行って代わりの兵が盾を拾って構えた。双方戦意が高く競り合いが続く。


「投石兵、遠投だ!」


 射撃武器を持たずに後方で控えていた兵に、即席のスリングを作り手近な石を投射させた。弧を描いた石が騎馬に降り注ぐと、棹立ちになり落馬する者が続出する。


 数分かけて弩に装填を終えると再度盾を横にして斉射を行う。危なげない防衛指揮だ、陸司馬もなかなかやるものだな。


 今まで散々戦い方を見て来ただけに、戦闘経験は高いといって差し支えない。また親衛隊や護衛隊は様々な兵科を体験させられてきていて、マルチな活躍を見せている。


 ふむ、姜維は東へ大きく迂回か。馬金大王は一直線突っ掛かっていくな。性格を表しているのか、それともそういったセオリーがあるのか。連戦続きで稼働率が下がっているこちらの騎兵団と数はどっこいだ。あっちだって長距離移動で疲労しているだろうがね。


 衝突を繰り返すうちに本陣の射程から外れて行く。戦場が完全に遠くに行くと、迂回した姜維が南から張遼軍に向かい突撃する。これが普通の奴なら総崩れを起こすんだろうが、さすが張遼といったところ。


 一隊を割いて勢いを殺して防御を固めた。もう俺の本陣を落とせるとは思って無いだろうが、まんまと張合らの撤退時間を稼がれたな。北東の山中へと魏軍が姿を消していく、残っているのは韓徳軍。戦場は大分西へと押されている、そろそろ救援してやるか。


「陸司馬、出撃するぞ」


「御意。親衛隊に呼集!」


 騎馬して矛を手にすると居並ぶ兵に声を掛ける。弩は武庫にしまって今度は騎兵に早変わりだな。


「張遼軍を駆逐して戦いを終わらせるぞ。ここで押し出せば蜀の勝利だ、気を抜くなよ!」


「応!」


 騎兵を引き連れて牙門の手前に集まると石苞に目配せをする。


「開門しろ!」


 二列縦隊で門を出ると交戦中の騎兵らを睨む。一杯で防戦している箇所を突き崩すぞ、趙雲への救援は姜維の役目にしよう、今後の繋がりを見据えてだ。


「総員俺に続け!」


 互いが背を向けて東西の蜀軍を防いでいる箇所に、北側から突っ込む。左右から親衛兵がせり出して周りを囲んで魏兵に切り込んだ。ぐいぐいと隙間をこじ開けて行き、突き抜けた一隊が魏兵の背を切って回ると一気に崩壊を起こす。


「伝令だ、姜維に趙雲への増援を命じろ」


 戦場のバランスは一度崩れたらそう簡単には元に戻らない。一旦離脱して態勢を立て直す、張遼に出来るのは傷を浅くして退くことのみ、目的はもう果たしている。姜維軍が抜けた空間に張遼軍が走った。こうなることは予想済みだ、多くは望まんよ。


「敵軍が撤退していきます!」


 見たら解ることでも報告をあげるのが役目の者が声を出す。魏延の軍も山の手前で足を止めた、本陣に李項の軍も合流。西を見ると姜維が韓徳軍の背を攻めて、趙雲と挟撃、これを蹴散らしていた。


 終わったな。戦後処理をするために長安に暫く滞在する必要がある、永安方面の確認もしておくとするか。主軍が引き下がって行ったんだ、すぐに撤退するだろうがな。


「ご領主様、我等の勝利です」


「ああ、勝ったようだな。失った者を数えるより今は勝利を祝おう。生きている奴らをこそ大切にするんだ」


 首都へ伝令を送った。成都では蜀軍勝利の報に大いに沸いた、奇跡が起きていると天を仰ぐ者が多かったと後に耳にする。これだけ大勝利をして領土を奪っても、まだ魏の方が遥かに国力が上だってのが現実だ。呉と合わせてもまだ魏が上だろうな、やれやれだ。


 魏の軍備が解かれるまで実に三か月、その間は厳戒態勢を解かずに長安に陣取り目を光らせていた。南東の五塞設置も進めている、これが為れば一安心だと良いが。それにいつまでも登城しないわけにもいくまい。


 雍州一帯の防衛を鐙将軍に一任し、時を合わせて各地の主将が成都にと参集する。この隙を衝かれたら非常に厳しいが、軍は興す準備というのが必要だ。急報があれば騎馬で緊急帰還すればどうということはない。


 日頃の備えがあれば、という注釈付きだ。今回は動員した兵力を四人に一人残している、警戒防衛ならば充分だろう。


 ふむ、しかし派手な格好だ。姿見に映る己の身なりに小さな溜息をついた。儀礼は必要なことだが、これはどうなんだろうな。まあ今さらか。


「ご領主様、式典の準備が整っております」


「解った。陸司馬、お前にとっても晴れ舞台になるぞ」


 一礼して多くを語らない陸司馬。俺に引っ張られてこうも大身になったのをどう思っているやら。昔から全く変わらない、良いか悪いかは別にしていつものことだ。


 部屋を出ると武将らが控えていた。呂凱を筆頭にして俺を支え続けてくれたやつらがこちらを見ている。一人一人と目を合わせて後に歩みを進める。


 巨大な両開きの扉、衛兵が二人で片方ずつの扉を引っ張った。視界に広がる煌びやかな装飾の部屋、左右には文武百官が居並び、こちらを注目している。


 中央の赤い絨毯は真っすぐ奥へと伸びていて、階段の上には孔明先生が立っていた。玉座には皇帝が鎮座している。御前という奴だ。


 武官列に北軍五校尉の姿が見えるが、張裔は居ない。漢中の防衛戦を乗り切った後に世を去った。戦中だけは何とか気力で命を繋いでいたんだろう、立派な男だった。


 同じく趙雲、あいつも世を去った。韓徳軍の激しい攻めで、漢中北西の野戦陣で受けた傷が悪化、高齢だったせいもあり戦病死に至った。大きな損失だよ。


 絨毯のど真ん中をゆっくりと時間をかけて歩く。憧れ、怨嗟、畏敬、恐怖、妬み、さまざまな感情が突き刺さって来るのを感じる。慣れっこだよ、俺はどこまで行っても俺だからな。


「島介、戦陣よりただ今帰着いたしました!」


 衣を跳ねて片膝をついて段下で皇帝に頭を垂れる。それにならって幕下の武将らも同時に拝礼した。居並ぶ文武百官にも見劣りはしないぞ、現場でのたたき上げを揃えたんだからな。皇帝に代わって丞相が「頭をあげて起立せよ」表情を作らずに平らな声で促す。

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