第83話

 戦えば犠牲者も出る、かといって統率がとれている以上は放置はいただけない。このまま返さず、されど正面から相手をせずだ。包囲殲滅することが出来ればどれだけ楽かってのもある。幕に居る武将らに問いかけた。


「あれを下す名案を思い付く奴はいないか」


 ザクッとした言葉にそれぞれが視線をかわした。勝つ方法ではなく、下すとの単語を選んだ意味の解釈を。先輩方の顔色を見て、控えめに羅憲が進み出る。


「何かあるなら遠慮なく言ってみろ」


 納得いく案なら即採用だ、柔軟な発想をしてくれよ。無理な意見でも何でも良い、下からそういった発想が上がって来ることが重要だ。


「恐れながら申し上げます。魏軍が統率を得ているからこその対処難でありますれば、これを除くことこそ肝要と心得えます」


 統率を排除か。司令官の暗殺ってところか、それを出来れば苦労は少ない。問題はそれをどうやって行うかだ。


「夏侯楙をどうやって除く」


 武力で強引に排除するために決死隊を暗夜に乗り込ませるというのでも構わん。一軍を乗り込ませて司令部を蹂躙するのだってな。幕の諸将の注目を浴びて口にした台詞は想定外のものだった。


「島将軍は敵味方に信用が御座います。それを利用しての提案でございます」


 信用か、まあ全部聞いてみてからにするか。仕草で先を促す。


「夏侯楙は金に汚い亡者で御座います。黄金を与え少数を函谷関より送り出す旨を約束すれば、意地汚く軍を捨てて逃げていくでしょう」


「なに?」


 まさかだ、総大将が軍を捨てて逃げるだって? そんなことをしたらもう国には戻れないし、よしんばそれで逃げたとしてもこの先は何の役目も与えられず生涯を終えるぞ。信じられないので向歩兵校尉に視線を向けて意見を求めた。


「隣国に伝わる程の臆病者でもあり、金儲けに傾倒する姿が有名で御座います。更には関中に駐屯時は女を囲い妻とも不仲になったとも聞き及んでおります」


 見事なまでのクズ野郎じゃないか。こいつはもしかするともしかするぞ。真剣になり効果のほどを想像する。こういうことは一発勝負だ、曹軍に顔が知られているあいつが役どころだな。


「羅憲の案を採用してみるとしよう。長安へ伝令をだし、董後軍師を呼び寄せろ。それと黄金を用意しておけよ」


 これに乗るようなら夏侯楙将軍、全ての信用を失い帰郷することになる。だがそれでも一族の血を引いていて、主家の姫を妻にしている以上はお咎めなしってところだろうさ。


 能力不足の人物が総大将になってくれている方がこちらとしてはありがたいんだが、ここであの数の軍が散るなら充分だ。接触部隊を置いて武功にまで引き返すとそこで董軍師と合流する。学者のいで立ちで現れたのは、魏軍と接触しやすくするためだろうか。


「董軍師、夏侯楙と面識があるか?」


「私がここ、武功で太守をしていた頃に御座います。かの者が一帯の指揮権を持つ大将でしたので」


 ふむ、それは結構だ。だからこそこちら方面の総大将になったんだろうが、ただ飯を食って終わりとは情けない。


「話は聞いているだろうが、董軍師の見立てではどのような反応をするだろう」


 見知った人物が居るならば大きく外すこともあるまい。何より失敗して当然、こんなことで上手くいくなどとは思っていないぞ。


「安全が確保されるならば、恐らくは提案を受け入れるでしょう。ですが懸念が三つ御座います」


 懸念か。二つは何と無くわかるがまだあるという、俺が気づけない何かが。


「聞こう」


 居住まいを正して軍師である人物の言に耳を傾ける。


「一つは残された大将が指揮権を握った方がより精強になる可能性が極めて高いでしょう」


 軍事に疎い総大将がいる方がよりこちらに有利。士気が下がるだろうが戦略行動は鋭くなる、俺もそう思うよ。


「主たる武将で最高位は誰だ」


「張左将軍でありましょう」


 そうだな、あいつが次席だ。その下に長安から離れていった郭淮や程武、韓徳なんかがいるか。だが負傷しているはずだ、老骨でそれでは満足に戦うことも出来まい。実務を郭淮将軍が行うとしたら、こいつは最悪とすら言えるな。一人二役の名将だよ。


「郭淮将軍も同時に排除出来ねば今後が難しくなるな」


 簡単な所見だけを述べて先を続けさせる。


「二つ目は、これを断られたら、詮無き申し出をしたと島将軍の名声に傷がつくでしょう」


 失敗したら俺の威信とやらが落ちるのは解っているさ。それで指揮がし辛くなるなら敢えて行う必要がないってな。成功率が高い行動以外は部下に任せてしまうのも手だが、これに関しては俺の承認が無ければ成立しない。


「さして良い評判を得ているわけではない、そいつは気にしないことにしてる。で、三つめはなんだ」


 このくらいは俺でも解ったが、残る一つが気になる。


「さすれば三つめは、策を行い総大将夏侯楙が無傷で帰国すれば、成都で島将軍が内通したと騒ぐ輩がまた現れるでしょう」


「……ふむ」


 一番首を逃がしたことをそう見るわけか。戦に勝つことが目的だと言うのに、何ともくだらない運びだよ。だが想像もしなかった、宮廷とはそういうものかね。


 孔明先生がいるんだ、そんなことにはならないだろうが、どう転ぶか分からない。手を打っておいてからの行動をすべきってことか。


 急先鋒はどうみても李厳のやつだ、あいつが武力に訴えて迫れば困る。首都には近衛騎兵が居ない、居城の守護兵は少数、首都の守備兵次第では心もとないぞ。


「解った、孔明先生に事情を説明する使者をたてておこう。董後軍師へ命じる、夏侯楙のところへ行き利害を説いて軍陣から追い出せ。その際は郭淮将軍も同道するように指名させるんだ。上手くいけば函谷関までの安全を保障し、徐晃将軍とその投降兵も解放するって大義名分もつけてやる」


 董軍師では黄金だけでは荷が重いだろう。徐晃の奴を帰してやる口実にもなる、俺はあいつを認めてやりたいんだ。これで戻れば批判の的になるかもしれないが、より強く非難されるのは徐晃ではあるまい。


「畏まりまして」


 一礼して準備をすると幕を出て行く。それとは別に戦争の準備も必要だ。


「長安からの軍を展開するまでもう数日だ、そこの頃になれば陳倉からの軍も追いつくだろう。騎兵団はこちらに引き戻させるぞ。河向こうの馬金大王も離脱させる」


 両面で準備をさせつつ、首都での謀略を防いでか、方面軍を相手にしているだけで全力行動を何度しなきゃならんのか。こう考えると劉備ってやつは毎度よくぞ戦っていたものだ、負け続けてでも生き残り蜀に根を張ったんだ、相当な精神力の持ち主だったんだろうな。


 少しばかりほっとしている表情の羅憲。軍議が終わって手招きすると「これで上手くいけばお前が二番功績ってことにする。流石に一番は董軍師にしなきゃやならんからな」捕縛されて処刑の線すらあり得る、そこは認めておかねばいけない。


「自分などお気になさらずに」


 あんな思い付きで二番戦功を得るのが心苦しいと辞退する。その姿勢は嫌いじゃないが、俺が楽をするためにこいつには昇進してもらわないといけないからな。


「ではこうしよう。上手くいかなければ敵の司令部へ向けて、決死隊を出すから責任を取ってこい」


 挑むような口調で無茶を命じる。だが羅憲は「それならばお引き受けいたします」余裕の笑みで快諾した。こいつも苦労人だな。困難とセットでなければ評価を受けたくないとはね。


 二日後、夏侯楙が大喜びで軍を離脱してきた時には、世の中には様々な人間がいると痛感させられた。きっちりと護衛に郭淮将軍を同道させているあたり、董軍師への評価が上がった瞬間でもある。


 武功城の北西の平野に双方合わせて二十万程の軍勢が揃いにらみ合いをしていた。呂軍師の引き連れてきた歩兵を主力にして分厚い壁を形成し、帰路に就こうとしている魏軍をせき止めている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る