第82話

「遠慮はいらんぞ、どこの軍に所属していたやつだ。死体が無くても褒美は与える」


 自爆して重傷というわけでもあるまい。端から一人ずつ目を見て行くが反応がない、最後に隣の李項を見ると一瞬だが目を逸らす。


「李項、何故言わん」


「……申し訳ございません。多くを犠牲にして己が益を甘受すると言うわけには」


 そういうことか、控えめなのは良いが功を賞されないのは全体にとって良くない。働きを無視することになるからな。


「だとしても、お前は事実を正面から見詰めなければならない立場にある。誇る必要はない、だが隠すのは許されることではないぞ。行為に対する正当な評価を蔑ろにされるのを俺は好まん」


 たとえそれが善意だとしても、見る者が、受け取る者がどう感じるか。


「以後そのように致します。まことに申し訳ございませんでした」


「言い出しづらかったのは俺の責任でもある。諸将に迷惑を掛けた、兵らに至るまで可能な限り働きを見てやって欲しい。頼む」


 兵は上官がみてくれているからこそ頑張れるんだ。そこを皆に知っていてもらいたい。時代が前後してもこれは変わらん真理だ。


 兵に数日休養を与える意味で待機を掛けた。今のうちに一度会っておかねばならんだろうな。内城の片隅、一室に徐晃の部屋がある。何をさせるわけでも無く、ただそこに滞在させているだけ。


 行くと報せて数時間おいて赴く、なんにでも準備は必要だろうからな。質素な部屋、数人が暮らせるだろう空間と、最低限の調度品があるだけ。戦時で城壁の内側に場所を確保するにはこのあたりが限界なんだろう。


「島将軍」


 部屋の主として来訪者に礼をする。俺もそれにはきっちりと反応を示し中へと入った。少しは傷も癒えたようだな。


「大分騒がしかったのではないかな。戦いがあった」


 隠しても仕方ないし、そんなことをするつもりもない。約束を守り魏の投降兵をしっかりと管理しているのだから。


「漏れ聞こえるところによると、曹洪衛将軍の軍だとか」


 二度に別けて長安を攻めてきた理由は解らんが、魏でも派閥争いがあるんだろうか。現場としてはくだらない理由で不利にさせないでほしいと強く不満をもつだろう。


「嘘か真かうちの若い奴が一太刀加えて負傷退場したようだ。少なくとも近くに姿はない」


 軍勢の大将に直接攻撃を与えた、それは戦争としての勝敗の大きな判断材料になりえる。即ち、魏軍の敗走が間違いないことを示していた。


「そう……でありますか」


 いささか元気がない返答をする。それも致し方ないだろう、友軍の負けを聞かされたのだから。


「おおそうだ、先ごろ成都に寄って来てな、俺も行衛将軍になった。雍州旗もそうだが、戦場で紛らわしくて参ったものだ」


 笑い話の一つに近況を明かす。行衛将軍とは、衛将軍の代行ってことだ。この表し方にも色々あるそうで、こいつは上位の官職を代行する時に使う文字らしい。詳しくは呂軍師に聞けってやつだな。無言で目を閉じる徐晃、何を思う。あれも教えておくか。


「魏の首都で何かが起こっているようだ。詳しくは解らんが、総大将の曹真が戦場から消えて帰還したようだぞ」


 ピクリとする。数十万を繰り出した大軍の総大将が戦争を中断して首都に戻る、これがいかに大事か。


「代わりの大都督は司馬懿だったが、こいつも直ぐに首都に戻って行った。おかげで一軍は蹴散らせたが、魏ではそれどころではないんだろう」


 ヒントはここまでだ、徐晃ならば何が起こったかを推察できるはずだ。そして己の身に起こる変化も想像できるようになる。


「一方的にやって来て悪いが、そろそろ戻らねば仕事が多くてね。今少し長安で滞在を続けて貰うぞ」


「承知致しました」


 立ち上がり部屋の外まで見送る。時間を置いてからそのうちまた来るとしよう。呂軍師がここに着くまでにはまだ十日はかかるだろうな、出来ればそれを待ってから動きたいが。


 涼州の情報が欲しい、魏延のことだ万が一にも敗北はせんだろうが戦略物資の不足は顕著だな。かといって長安に備蓄は無い、漢中周りで持ち込むしかないぞ。……陳倉までは進めておくか、数日なら長安も独自の防衛が可能だ。


「楊洪忠節将軍に陳倉への移動を命じろ」


 思い立ったが吉日、直ぐに伝令を出すように側仕えに命じる。向こうは兵力充分だ、全軍移動は不要だな。


「馬金大王、向歩兵校尉、寥長水校尉、李護忠将軍、鳳珠羽空王、霍翊立校尉、李別部司馬以下への出動を命じる。騎兵団のみで陳倉へ入るぞ」


 遊撃は即断即決が肝だ。騎兵にばかり負担を掛けるがそれは精兵の定め。この時の為に日常で優遇を受けているんだからな。


 兵団への招集が掛けられた。五営北軍騎兵、永昌騎兵、西涼騎兵、長安騎兵、親衛隊、漢中騎兵、これに南蛮騎兵集団を足すと八千前後が軽傷以下で戦闘可能。間違いなく中華で最大の戦闘力を発揮できる軍勢だぞ!


 馬の種類に騎兵の種類、人種も含めてマチマチだが壮観だ。留守を鐙将軍に任せて武功を通り西へと向かう。長距離斥候を放ちながら、時に魏の残兵を討ち取ったりもして数日移動を続ける。


「羅憲、これが将軍の視点だ。よく覚えておけ」


「はい!」


 並んで進んでいる羅憲に、総大将としての景色を感じておけと言葉を掛ける。いささか早いがいつかこの位置にお前も登って来る、思い出してもらいたいものだ、その時がきたら。


 連戦につぐ連戦で疲労が蓄積しているが、やめるわけには行かん。勝つまで戦う必要がある、職業軍人として騎兵を選択した者は特にだ。斥候が戻ったか、あれはどこの部隊だ?


「報告します! 陳倉にて魏軍と戦闘が起こっています。城は健在ですが、河の両岸が魏軍で溢れています!」


 両岸だと? 南岸に軍を置く理由は何だ。考えるのはもう少し後で良いか、まずは軍を進めよう。


「うむ、陳倉を救援するぞ。このあたりは地形の上下が激しい、西涼騎兵を先頭に立てて戦うぞ。李項、霍校尉を連れて進出しろ!」


「御意!」


 劉司馬と親衛隊一個隊を率いて足が短い馬がまとめて速度を上げた。次は自分を指名しろとの視線が熱い。


「川幅が狭い箇所を近隣の漁民に確認しておけ」


 向こう岸に渡すべきか否か。南側の平野は確か五丈原とかいうところだ、石河というのが渭水に流れ込んでいる。もし防御をするならこの石河の東岸で水際を固めれば立ち往生するはずだ。


 だが逆に西岸ならば騎兵の攻撃力を最大に生かせる。五丈原、諸葛亮が堅陣を構えて対陣した場所だったな。ということは守りに入られたら面倒ということでもある。ここは攻撃位置を確保したほうが良さそうだ。


「馬金大王、南岸に渡って魏軍を待ち受けろ。ここらで平野はそこしかないぞ」


 少しばかり標高が高いが、疾走することが出来る場所だ。いざとなれば河に飛び込めば逃げられるし、騎兵ならば心配ない。


「こちらとあちら、当たりを引ければ万歳だな。むこうは任せろ」


 数の都合で鳳珠羽空王は北岸に残らせた。北岸はこれといった防御拠点が無いんだよな、十数キロいって山に陣取るか? さすがにそれは離れすぎだな、あの丘で我慢しておくか。


「移動するぞ、北にある丘で待機だ。周囲に偵察を出しておけ」


 大雑把な指示をするだけであとは誰かが実行する。志願がなければ幕下が命令を実現させるのだが、勤勉な校尉らのお陰でその手配は無用のようだ。


 西の空に土煙が見えるな。して、両岸に軍を配置の意味は概ね想像出来たぞ。簡単なことだ、両方使わないと場所が足らないからだ。あの煙の大きさや広さ、数万の軍が移動している証。歩兵が主なことも解る。


 そこから導き出される答えは一つ、東へ撤退中だ。敗走しているわけではない、整然と行軍している。魏延のやつ、追っ手は出していないんだろうか?


 出していないことはないだろうな、だが騎兵をこちらに引いていしまったから鈍い動きになっているんだな。夏侯楙とやら、一人で逃げ出す卑怯者ではなかったわけだ。ここを素直に通して長安近くで迎撃するのはどうだ? 呂軍師の歩兵団を主力に使えるようになるぞ。


 日程的にも三日かそこら余裕がある、簡単な陣を構築しておけるのは大きい。いなごの群れが陳倉を落とすことは殆どないだろう、あそこは堅城だ。こちらの増援も居ると解っているし、士気を失うことも無い。


 陳式将軍や王連将軍が詰めている、判断を誤ることもまずないだろう。一戦して意気地を砕いて東で決戦、これにするか。


「軍団へ伝令だ。五丈原で一戦して後に、武功まで下がるぞ。長安付近で歩兵を展開して決戦を行う。鐙将軍に東側への警戒を行うように命令を出せ。馬金大王には深入りした戦いをするなと釘をさしておくんだ」


 不確定要素は長安北だな、山岳を何かが抜けてきたら混乱するぞ。荊州からの侵入があったら足止めする必要もある、そちらは二日も稼げば充分だな。



 魏軍の総数は九万前後。涼州方面の兵力の全てだろう、それに加えて韓軍が合流しているそうだ。趙雲を目の前にして士気は未だに高揚しているとの報告を受けている。


 歩兵の大軍は移動が遅い。わずか十数キロを動くのだけで一日が終わるもので、丘に陣取って翌日にようやく姿を目にすることになった。


 装備の程は上々で、さすが魏軍といったところ。休養も充分でいつ攻撃に出るのかと兵が司令部を窺う程だった。


「時間をかけても良いことは無いな。これを撃破するのも一苦労、さてどう料理したものか」

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