第81話
どこかで大きな声が上がる。どうした! 一団が敵の中央から抜け出して東へと走っていく。派手な鎧を着た人物を乗せた馬が中央を走っている、それらを囲んで傷だらけの騎兵が一緒に走った。
あれが大将だな! くそ距離を詰めるのが早い、少数だが郭軍の騎兵が邪魔になるぞ。劉、田両軍も参戦してきたか、ここは一旦退くべきだ。
「全軍離脱の銅鑼を鳴らせ! 敵を追い出せばそれで構わん」
目的を二度も喪うとは、俺も焼きがまわったな。長安を解放できたことを喜ぶとしておこう。
◇
全軍を長安に入城させる。踏み込んだ瞬間に住民の大歓声に包み込まれた。
「島京兆尹、無事のお帰りをお祝い申し上げます」
董丞が官吏を従え出迎えてくる。鐙将軍も燦々たる姿の親衛隊を見て一礼した。
「うむ、重傷者の治療手配を急がせてくれ」
「お任せ下さいませ。直ぐに担架に乗せ医者の所へ運ばせよ」
軽傷の者達に手伝わせて兵を見送る。これで終わりではないぞ、まずは鐙芝からだな。こいつがしっかりと守ってくれたから今がある。
「鐙冠軍将軍、長安一帯の防衛ご苦労だ。挟撃の手筈も見事だった」
実際あれは助かった、早い段階で参戦してくれなければもっと死傷者が出ていただろう。
「部曲兵の働きに畏敬の念しか御座いません。一人でも多く復帰できるよう願うのみであります」
半数は息を引き取るだろう、もう半数もどこまで回復するか。生き残れば郷へ戻してやるさ、もう命を張る必要もない。
「うむ、あいつらには俺が必ず報いる。曹洪は撃退したがやることは山積しているぞ」
だとしても少し兵を休ませるか、ここに至るまで酷使し続けたからな。羅憲の奴も引き戻さねばならん。
「伯父御、追撃をかけないんですかい」
返り血は浴びているが、これといった傷も無い馬金大王が催促して来る。それはどうしたものか、もし不意打ちでも受けて失うと不都合が大きいぞ。
「それだが、あいつらは見逃す。涼州にまだ十万の軍が居るからな、そちらのほうが数が多い」
「なるほど、じゃあそっちだな」
にやりとして引き下がった。おお、頼もしい限りだよ。部将らを自由にさせて部隊の把握に努めさせ、武将は全て長安内城に集めた。情報のすりあわせだな。
軽く水浴びをしてからの軍議、現場で采配をしている董丞は参加せず。陸司馬は包帯姿が痛々しい。
「鐙将軍の報告から聞こう」
まずは現場責任者からだ。函谷関の状況もしりたいからな。
「はっ。長安が包囲されるも積極的な攻勢は遅く、雲梯や青蘭車などの攻城兵器が到着するのを待っていた様子。曹洪衛将軍は恐らく長安の攻略のみを任務としていたのでしょう」
ふむ、城一つだけを獲るのに五万を繰り出せるのが魏という国ってことだ。赤字とは言わんがそれだけでは不満が多く出るだろうよ。
「長安の南東に防御要塞になる都市が必要だな、こうも大軍を好き放題送り込まれては困るどころの話ではない」
河沿いに防御が出来ればもっと良いが、函谷関でせき止める戦略は片手落ちなわけだ。それもこれも兵站が行き届いているからであって、魏ではなく別の勢力ならばこんな遠回りに糧食を届け続けるなんて無理だ。
「相互の支援が可能な三塞でもあればかなり戦い様があるでしょう」
複数あった方が良い、出来れば五つあればな。どこまで実現できるかは孔明先生と相談だ。報告の先を促す、長安についてはあとは見た通りといったところだろう。
「函谷関方面ですが、東に敵軍一万が存在しますが攻める素振りがありません。逆侵攻への備えといったところでしょう」
そこを通ってちょっかいをかけない保証は無い、警戒するの当然だ。対抗するなら少なくても一万ってところは妥当な運用だな。戦いながら下がればそれでこちらの自由を奪える、三日もあれば増援がいくらでもやって来るだろうよ。
「北の山地からの侵入者は?」
徐晃のやつが前はそこからやってきた、今回も誰かが通ってるんだろう。今更だからどうでも良いと言えば良いが。
「確認されていません。匈奴が進出してきて通行に支障があったからかも知れません」
異民族か。まあこちらにとっては嬉しい誤算ってところだ。大体の状況を飲み込めた、あとはさっきの戦いについてだ。
「李項の報告を」
「はっ! 子午道で兵を伏せる為に移動の最中、北東の空に土煙が上がっているのを確認しました。急いで間道を抜けるものの、騎馬の集団が通りぬけた後でした」
司馬懿だろうか。戦場から遠ざかる騎兵団、少なくとも蜀軍のものではないぞ。
「追いかけるかどうかのところ、長安に出入りしている商人が城が包囲されているとの情報を持ってきました。工房と取引がある者なので顔を知っていた経緯が。不確実な追撃より救援を優先した次第です」
そうだったか。もしかしたら大金星を挙げていた可能性はあるが、長安騎兵が混ざっている軍に居るんだ、この判断は認められる。
「うむ、李将軍の判断を支持する。長安を失陥しては一大事、その商人にも褒美を出してやる」
自発的な協力者を厚遇する、噂になれば統治にプラスだ。鐙将軍の手勢だけで守り切れるってなら面白くないんだろうが、そうそう兵力に余裕はないはずだ。視線を石苞に向ける、言いたいことがあれば言えと。
「俺は敵の伝令を片っ端から張り倒した。後半から敵の動きが鈍ったのはそれが原因だろ」
多分そうだ、本陣がズレても回復できなかったのはそれのせいだな。
「少数の兵力でどうしたら多大な効果を挙げられるかを良く考えたんだな。功績を認める、楽しみにしておけ」
「おっしゃ!」
素直なのは悪くないぞ。取り敢えずは羅憲らが合流するまでは待つとしよう。
◇
先行騎兵団が長安に入城したのはそれから二日後だった。交戦した跡が見える、向こうで何に出くわした。
「羅憲ただ今帰着いたしました」
「ご苦労だ、どうだった」
武将らが控えている中、絨毯の中央に立っている羅憲が悔しそうに言葉を紡ぐ。
「魏軍の歩騎集団一万数千を発見したので急接近して仕掛けました。その頃には軍船が既に彼方へ行ってしまっていたのですが、河を渡れずに屯していた奴らを相手にして押し切れずに退くことに」
それだけの軍勢では仕方あるまい、むしろ良くぞ仕掛けた。指を咥えて見ているだけでは勇気の欠如と罵られただろう。
「そうか。そのあたりだとまた文聘が出たか?」
もう固定ボスかって位に現れるからな、まあ任地だもの当然だが。
「『文』の軍旗はありましたが、討逆旗はありませんでしたので別人でしょう。『宣徳』の若い武将を討ち取りました、残念ながら死体は回収出来ずです」
うーん、文聘の階級が下がりでもしない限りその号にはならんだろうし、若いとは言えんからな。だとしても武将を討ち取ったなら勝ちといっても差し支えあるまい。
「それが何者か分かるやつは居るか」
全員に問いかける。呂凱がいれば知ってそうだが、まだ合流には日数がかかる。長安に滞在していた董遇が進み出る。
「それは文聘将軍の子の、文厚将軍でしょう。荊州では名の通った人物です。文聘将軍が統治行き届き民に恩徳を与える人物として讃えられ、その褒美として従子に宣徳の号が下賜されたものです」
ほう、それは良いな! そうか、あの文聘の息子ってなら価値があるぞ。
「そうか。羅憲の功績を認める。真偽のほどはそのうち伝わるだろう。あと一息、涼州の魏軍を叩けばこの戦いのめどが立つ。ここで気を抜かずに各位の奮戦に期待する」
皆が一斉に礼をする。そうなると李項がそのまま追いかけたら良いところ行ってたことになる、惜しいことをしたな。たらればを言っても仕方ない、その船に司馬懿が居たかもわからん。一つ一つ状況を改善する、今できることを全力で行うぞ。
「ん、そう言えば曹洪を切ったのは誰だ。今回の一番功績だぞ」
大切なことを確認せずに終わるところだった。兵士の手柄ならば黄金と食糧をくれてやる。何故か誰も名乗り出ない、そんなはずはないのにどうして?
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