第79話

 じっと待ち続け、ついに朝日が昇って来た、山の中央あたりでは軍旗が入り乱れていて、防御戦を突破した部隊が幾つもあることがようやく確認出来る。急速に秩序が取り戻されて、ギザギザだった最前線が整理されていく。すぐ傍に将軍が居るかどうかの差があるぞ!


「報告します、山頂付近に『帥』『司馬』『大都督』旗が確認されました!」


 恐らくそれらは旗だけで、本陣には身代わりの武将しか居ない。こんなものに二日も騙されていたとは情けない!


「呂凱へ命令だ、さっさと攻め寄せて軍旗を叩き折れ!」


「御意!」


 騎兵団を抱える姜維を山の西に置いて支援に回らせた。本営は南と南東に兵を置いて周囲の警戒を行う。


 暫くすると『呂』の軍旗が山頂へ向かい動き始める。算を乱して逃げ出す魏兵が現れ始めると、山の北側へと櫛の歯が抜けるように走っていく。最前線が崩壊する。必死に押しとどめようとする部将らが集中的に狙われて、秩序が急速に失われていった。


 眉を寄せて旗が頂上へ向かうのをじっと見つめる。やがて辿り着くと、魏軍の軍旗が大きく揺れ始める、軍旗隊と交戦が始まったのだろう。司令部と共にある軍旗隊が攻撃を受けている、軍としては由々しき事態、救援兵を向かわせる部隊が多数出て来る。


 一旦は落ち着きを取り戻した軍旗だが、今度は中腹を守る魏軍が減ってしまい、徐々に蜀の旗が山の多くを囲うようになってきた。太陽が南中する頃、ついに魏の牙門旗が倒れる。山頂に『蜀』の大旗が翻った。


「こちらの勝利だ。掃討は不要、姜維には全軍の半数を率いて魏延への増援を命じろ。呂凱は俺と共に東だ」


 山を下って来る部隊と合流する。呂凱と羅憲が眼前に来るとすぐさま報告をあげてきた。


「本陣に司馬懿らしき姿はありませんでした。あったのは軍旗のみ、捕えた者によると司馬懿は着陣したと同時に直ぐに消え去ったと」


 素早い! まさか即日取って返したとは、余程のことが起きているのは確実だ。二日か、李項の奴がギリギリ間に合うかどうかだぞ。どこを通ったかなどこの様子では不明だろうな、仕方ない各地を解放するのを目標にするか。


「解った。姜維には涼州への増援を命じた、こちらは雍州に向かうぞ」


「御意。李将軍が交戦していたら兵力不足をしているでしょう、本営機能は私にお任せを。島将軍はご自由に行動下さい」


 呂凱が全てを承知で補佐を申し出てくれる、いつも助かる。


「済まんが頼んだ。羅憲、騎兵千で先行しろ」


「ご命令確かに!」


 こちらに一礼し、その後に呂凱にも礼をして場を離れる。直ぐに馬蹄の音が聞こえてきて、一団が東へと駆けていく。


「寥長水校尉、前衛を任せる。馬足が持つなら羅憲に続いても構わん、連絡の中継だけは行え」


「行衛将軍のお言葉通りに! 北営軍の実力を示す良い機会だ、行くぞ!」


 後ろに控えている司馬らを従えて騎馬すると、東に向けてかなりの速度で駆けてゆく。駿馬を集めているんだ、重装備でもきっと追随可能だろうさ。


「馬金大王と向歩兵校尉は俺の直下だ。物資を整え二時間後に出るぞ」


 馬車を引き連れての行軍、それでも歩兵とは相当な差が出る移動速度で東へと向けて進む。時間は貴重だ、あの二日が惜しい!


「なあ大将、掃討はしなくて良かったのか?」


 石苞が実施すれば数万は余計に殺せただろうと目算を読む。それはそうなんだが、山狩りをしている間に情勢が固まるのが上手くない。


「お前は右往左往する雑兵を相手にしたいのか? それとも世に名が轟く名将に挑みたいか?」


 答えなど解り切っている、それもこの若者ならばなおさら。にやっとして「そりゃ雑魚なんて相手にしねぇよ。でも数を削るのも必要だろ」正論を付け加えてきた。


「ならどうするんだ」


 適当な内容ならばそのままやらせるのも手だと考えを引き出しに掛かる。どちらでも良いんだ、どうせ放置するつもりだったんだからな。


「魏兵の首に賞金でもかけたらどうだ」


 なるほどな、まあそれはそれで良いだろう。と思っていたら台詞の続きがあった。


「受け取りは魏兵でも可能だってな。その上で軍に志願するなら受け入れる、待遇を保証するから寝返れってわけだ」


「うむ!」


 司馬懿に見捨てられた奴らだ、こんな敵地の奥で逃げ惑うくらいなら投降することだって考えるだろう。賞金と待遇保証があれば、己の身可愛さに応じるのも居るだろう。同士討ちを誘発できるのは上手いぞ。


「良し採用だ。成果が上がれば報奨をくれてやる」


 笑って許可を与える。側近のうまみはこれだろうな、意見が直接上に届く。


「ならそんときゃ昇進させてくれ。いつまでも軍旗抱えて走るだけじゃ手柄も立てられん」


 牙門将軍だもんな。やる気を出させるのは上司の務めだ、こいつなら物おじもせんだろう。


「騎兵二百を預ける。軍旗は司馬に任せて、自身の判断で運用してみろ。失敗したらただじゃおかんぞ」


 人命が掛かっている笑い事ではない、真剣な表情で告げた。石苞も目を見開いて後に真面目に頷く。


「お前の手下が居たな、一人指名して軍侯に任官させろ。人選は慎重にやっておけよ」


「上等! この機会を必ず手にしてみせるぜ!」


 馬を離して取り巻きのところへと行ってしまう。ふむ、まずは後始末をしておくか。


「陸司馬、悪いが軍旗の面倒をみてくれ」


 傍で話を聞いていたので詳しくは説明しない。陸司馬も自身の補佐を一人指名して、軍旗の管理をさせる。今、こいつの補佐は三百石か、いつの間にか県令並の部下が出来る程になってるわけだ。


「どうだ陸司馬、お前もそろそろ独り立ちするか」


 そうなったらまた親衛隊から内部昇格してくるんだろうが、結構こいつは気が利くんだ。誰がなっても変わらんとは言わんが、真面目な奴が多いのは事実だな。


「いえ、自分はお傍でご領主様をお守りするのが役目。外は李将軍らがいらっしゃれば充分でしょう」


 同郷の将軍はもう充分か。俺を喪えば全てが崩壊する、何が大切か理解しているんだろうな。


「そうか」


 功績をあげたら昇進はさせるが、独立はさせない。そういう方向で考えをまとめておくとするか。中県の面々も何か報いてやらんとな。


 二日東へ移動を続ける、馬を休めて昼食を摂っていると伝令が走って来た。赤の旗、羅憲の兵だろうか。幕僚を呼び出して伝令の到着を待つ。兵士が座って食事している間を騎馬でやって来て、眼前で下馬する。


「羅帳下都督よりの報告です。子午道との交差点に李将軍の兵団はいませんでした、このまま東へ向かうとのことです!」


 李項が不在? 敵を発見して追撃でもしているのか、それとも敗走でもしているのか。死体があればその報告もある、だが無かったんだから戦場はあそこではない。


「解った、ご苦労だ」


 河の手前までは追撃出来ても、その先は船無しでは無理だ。羅憲がじきに合流するだろう。それにしても待ち伏せに成功していたら交戦していたわけだから、司馬懿はまんまと封鎖前に逃げたわけか。


 三十六計逃げるにしかずだな。一目散遠ざかる相手を倒すことは出来ない、これはどうにもならんぞ。


「連絡要員を残していないのか、そいつらが消されたのか。いずれにしても今ここでは何も出来んか」


 焦っても仕方ない、続報を待つとしよう。全員が食事を終えて休憩が終わるとまた移動を再開する。本来の待ち合わせ場所にやって来る。確かに戦闘の跡はないし敵も味方も姿がない。さて、どうしたものか。


「司馬懿を捕捉出来ていれば今頃激戦だろう、だが恐らくは奴が居るなら船の上だ。となれば俺のやるべきことは決まっているな」


 空を見上げて後に「長安へ向かうぞ!」進路を北へと変えて、連絡要員をここに残して進む。魏兵が潜んでいないかを警戒しながら先を急ぐ。二日掛けて領域に踏み入れると、遠くで土煙が上がっているのが見えてきた。


「あれは……」


 遠くて見えんが争っているんだろうな、ならば敵味方が両方いる。もうすぐ夕方、戦場に到着する頃には大分太陽が傾いているあたりだ。せめて識別だけは付けておくべきだ。どれ。


「石苞、先行して敵味方を把握しておけ」


「了解!」


 二百騎の出番だ。偵察の為に休みを抜いて本隊との距離を開けて行く。隊長の心持ちが兵士にも伝わる、きっと気合充分で進んでいるはずだ。ところが長安に近づくにつれて煙がかなり大きいことに気づかされる。おいおい、かなりの大軍が相手だぞこいつは!


 偵察から戻った、というか十騎だけが報告の為に走って来た。馬上に在るままで「長安が魏軍の大軍に攻撃されています! 城外の包囲は『曹』『衛』『都督』『郭』『雍州』『建威』『劉』『遊撃』『田』『安延』の五万、外縁では『李』『護忠』『南蛮』が交戦中です!」迸るように告げた。


 向歩兵校尉が「それは曹洪衛将軍の軍勢でありましょう」常識が欠けている俺に通訳を入れてくれる。こいつは首都の一大事に無関係なのか?


 詳しい事情は分からんが、李項の奴はこちらの増援に駆け付けていたか。それにしても衛将軍に雍州旗か、随分と奇遇だね。


「馬金大王!」


「応!」


 巨大な馬に乗った男が胸を躍らせて進み出る。


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