第77話

「ご領主様、さればここであの間道を通り子午道に兵を伏せては?」


 李項が進言か。どれ、深く考えを聞いてみるとしよう。


「詳細を」


「司馬大都督がもし籠るならば不都合はありません。ですが出て交戦の後に撤退するようならば、追撃では恐らく届かないでしょう」


 それはそうだ。兵力が勝っている上に統率もとれている、追撃しても食い止められてあっさり逃げられるだろうな。何せ追う側は敵を倒しながら、同じやつが走るわけだ。逃げるのは逃げる専門で距離を開けられるからな。


「だろうな」


「そこで機動力に優れる騎兵を先回りさせて、守りが薄い本陣に前からぶつけます。そうなれば正面切って戦うか、四散して姿を眩ませるしかありません」


 想像してみる。撤退中に目の前に急に騎兵が現れたら、後戻りなどするはずがない。これを倒して突破するか、散るかだ。


 身一つで逃げれば良いわけではない、それでは戻ってもケチがついて状況が悪化するおそれがあるぞ。となれば強行突破だ、血路を切り開いて魏へ戻れば恰好もつく。


「相当な圧力を引き受けることになるぞ」


 李項をじっと見つめる。ここ一番、犠牲に目を瞑って志願する者を待つ。南蛮の大男がいち早く声を上げた。


「伯父御、俺にその役目をくれ!」


 馬金大王か、だがここでは不適切だ。なにより漢中北の戦闘に勝利するのが先だからな。


「馬金大王は漢中から出撃し、正面から敵陣を攻める役目を与えるつもりだ。最高の激戦区の主力をな、どうだ」


 挑むような瞳で大男を見詰める。にやりと口元が吊り上がると「真正面からの突撃か、そっちの方が性にあってる。任せろ!」あっさりと前言を翻す。すると待っていましたと別の者が声を上げた。


「活躍の場を求める。間道を通っているので案内も不要だ」


 鳳珠羽空王か、そうだなここで一つ大手柄をあげて貰うとしよう。


「良かろう。だが五百騎では兵力が不足するな」


 他の志願者を募る、誰が手を上げるかなど解り切っていたが。提言者である李項が「ご領主様、自分へご命令を」両手を合わせて願い出る。一人では傷が心配だ、副将をつけてやろう。代理も可能で能力も充分だ。


「李項を騎督に任じ騎兵二千を預け、鳳珠羽空王、李封を副将につける。劉司馬、親衛隊を半数連れて行け」


 こんなものだろう、これ以上は蛇足だ。俺の手勢が半減するが問題ない、こんな時の為に成都から騎兵四千を引っ張て来たんだ。


「ご命令確かに!」


 鳳珠羽空王と李封が居場所を移し、李項の後ろに並ぶ。軍を分けて戦場を支配するぞ、軍団同士の連携はかなり厳しい。俺が常に居場所を詳らかにしておくのが必須だ。


 そうと決まれば司馬懿が知恵比べを始める前に仕掛けるとするか。兵は拙速を尊ぶだよ。以前は橋を抜けるのに一苦労したが、今回はそこまで橋を固めていない。増派される前にここを奪取して橋頭保を得る。


「進撃路を確保する。馬金大王、北西の橋を速やかに奪い返せ。もたついていると後続が渋滞するぞ」


 軽い煽りをして士気を高めてやる、そのままでも充分だろうが全軍に波及するように。


「弱兵相手に片腹が痛くなるような下手はない。後詰が間に合うように急がせてくれ。南蛮軍出るぞ!」


「応!」


 のっしのっしと部屋を出て行く。何とも心強いことだ、一撃で蹴散らしたら確保部隊が本当に間に合わなくなる。


「我等も出るぞ。ご領主様、それでは後程」


 李項の迂回伏兵部隊も城を出て嘩萌関に向かい、内側から急ぐ。任せておけば良い、あいつなら出来る。


「漢中へ戻る必要はないぞ。長安でもどこでも構わん」


「御意」


 司馬懿を逃がせば大軍と戦うことになる、玉を逃せば戦う意味など無いからな。そのあたりの見極めは現場判断だ。


「さて、残りは二時間後に出撃する。姜維、準備を任せる」


「はい、島将軍」


 こうやって関係を擦り込んでいく、地道な努力は無駄にはならんさ。それにしてもいつの間に大将がすり替わったやら、ごくごく最近だよな?


 漢中城壁の上から北側を見ている。おかしい、何故魏軍はこうも弱い? 馬金大王がグイグイと攻めると、左右に魏軍が割れ逃げていく。単純に強いのは認められるが、それにしても脆すぎる。


 誘い込まれているとしたら、逃げ道の確保をしてやらねばならん。何せ敵はあの司馬懿だからな。そう思い見ていると、呂凱の歩兵団の一隊が馬金大王の後方に位置取り退路の確保を行う。


 さすがだな、全域が見えている。それにしても何か策があるぞこいつは、それを明らかにするのが先決か。


 橋の周辺に前線司令部を置いている姜維も何かを感じているだろうな。左手奥に姜維、右手奥に呂凱が陣を敷いている。城の外にはもう魏軍はうろついていない、打撃を加えて来るなら外の軍にだろう。


 ではどうやってというところだな。周辺警戒は怠っていないぞ、伏兵が居て奇襲の線も昼間は無い。夜中にってならまた別だがな。腕組をしてじっと見ているだけ、一日、二日ではそんなものか。そろそろ李項の奴も間道半ばあたりだな。


「全域情報に更新はないか」


 傍らの向歩兵校尉に聞こえるように発する。あの時以来、報告をあげて来るのはずっとこいつだ。別に何の感情も無いが、距離感がどうにもつかめない。


「永安方面は防衛態勢が構築されており堅固になっております。涼州からの報告は上がって来ておりません」


 変化なし、おかしい。絶対に何かが起こっているはずだ、こうも胸騒ぎがするんだからな! 決戦に間に合わないだろうが、一応漢中へ歩兵団も引くように手配してはある。というのも、姜維が中県軍に出動を掛けてから出てきている。


 道々に伝令をだして少数でも同道するように命じてきているそうで、ここに来る頃には五千位にはなっていそうだ。だが到着は十日以上も先のこと。


 魏延の奴らが猛攻にあってる可能性はどうだ? こちらに弱兵や動員兵を集中させて、後ろがない魏延を攻める。可能性がなくもないか。永安方面に若干兵力を置きすぎている、北部戦線で兵力不足を起こしてるな。もとから少ないんだ、必ずこうはなるが。


「戦況をどう見る」


 主語を置かずに尋ねてみた。向歩兵校尉の意識がどこへ向いているのかを知る意味も含めてな。一呼吸おいてこちらの質問をかみ砕いて自問自答。


「昨今の魏軍の勢いを感じられません。何かを待っているのではないでしょうか?」


 ふむ、時間を引き延ばすだな。その警戒はしているが、目の前の軍が弱いことの答えにはなっていない。待つとしたら状況の好転が見込めるからだが、魏軍が地力で優っているのに待つ意味はなんだ。


 呉の進軍か? だとしたら南蛮周りにしかならんぞ、河を遡上してきて完全に共同軍になるなら別だが。だとしてもここで足を止めているのはおかしい。


 北部の事情は北部に起因しているはずだ。長安方面か? もしそうなら鐙将軍が厳しいぞ。いずれ目の前の魏軍が弱いなら一気に押しつぶして、他の戦線に増援を送るべきだな。

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