第76話
高将軍のところも対陣が解けて自由を得たわけだ。これで国内の遊兵は消える、スタートに立つのが遅すぎたがまずは一歩だ。
「うむ。呂軍師と合流するまでは、姜将軍を俺の副将とする」
「御意!」
あまりにも若い、それも西涼からの流入民に不信感を持つ奴らがいた。寥長水校尉が眉を寄せて進み出る。
「副将と言えども我等五営北軍の校尉らへの指揮権はないことをここで確認させて頂きたく思います」
まあな、こいつらへの指揮権は俺にしかない。そうだが兼職が多いものでね。
「無論だ。五校尉への命令権限は俺にのみ帰属する。だが姜維は行衛将軍府事右軍師でもある、手続きを踏んだ命令は俺からの命令だ、そこははき違えるなよ」
「承知致しました」
事実を否定することも出来ないので引き下がる。まあ素直に従うような気がしないが、これはこれで一つのルールだからな。この戦が落ち付いたら官爵の整理整頓を申し出ておくとするか。もう俺自身何を兼務しているのかちょっと怪しいぞ。
「銚華、済まなかった」
首を左右に振ると微笑を浮かべる。
「旦那様、このような時はよくやったと言っていただければそれだけで宜しいですわ」
強いな、全く敵わん。肩から力を抜いて息を吐く。
「ありがとう銚華。俺は妻に恵まれているよ」
畏まって引き下がると視線を隣に振る。李項は数日の帰郷だったわけだ、あちらでゆっくりと療養していれば良いものを。
「李項、親衛隊の指揮を頼むぞ」
「お任せ下さい、ご領主様。自分はその為にここに在ります」
はて、そういえば馬謖の奴はどこへいったんだ? ここに居ないと言うことは、一旦首都へ戻ったのか。
「馬謖はどうした」
それはもう素に戻って尋ねる、知っていたら誰が答えても構わないので、誰にではなく語り掛けた。返事をしたのは姜維だ。
「馬左軍師は永安方面へ向かいました」
雑多な軍をまとめる為に走ったか、それは認められるな。あちこちから集まった軍勢に、別々の指揮系統、派閥ってのがあるとしたらそれも別。何かしらの弊害は出て来るだろう。あいつならば最新事情を知っているから呉将軍を上手く補佐出来る、頂点にさえならないならば心配はない。
「あちらにも人材は必要だろうな。偵察が戻ってから軍議を開く、それまでは解散だ」
全員を解き放ってやるべきことをさせる。部屋に残ったのはわずか、銚華と陸司馬だけ。
「銚華、中県の様子を聞かせてくれ」
椅子の側に手招きして、あった出来事に耳を傾ける。激しい攻防や謀略の類、偽報や懐柔、食糧攻めなど数多の戦術が飛び交ったと聞かされる。それらを全て看破し、軍を鼓舞して城を守り切った。全ては姜維の力に拠るところが大きいと評価した。
「かの青年は大器を持っていると浅慮しますわ」
二十代の半ば過ぎでこうもやれるとは、才能の塊というわけだ。ま、そこには同意するよ、あいつは特別だ。
「そうだな、何か報いてやりたい。後で俺の持っている官を譲ってやることにするさ」
幾ら譲っても湧いて出るような気がしてる、本当だぞ? あいつなら右都督として国の半分を守らせてもきっと上手い事やる。過大評価は禁物だが、真実そう感じるんだよ。
「その入れ込みようでしたら、養子にでもなされてはいかがでしょうか」
「養子だって?」
あの養子だよな。確かに俺に子供はいないが、島維とかに姓を変えるのは容易ではないぞ。それに圧力をかけるようで話を持ち掛けるのも心苦しい。
「うーん……いや、別の形で報いてやることにする。息子同然と思うようにはするが、あいつはあいつで一人の男として身を立てているんだ、それを否定するようなことはしたくない」
「ふふ、よろしいのではないでしょうか。それでしたら、是非実のお子をおつくり下さいませ」
それはねだっているわけだよな、銚華への報いがこれってことか。何とも俺は果報者だよ、呆れているんだろうか陸司馬は話が聞こえていないような顔を作るので精一杯だ。しかしこいつも昇進に引っ張られて随分と大身になっている。独立させても良い位にな。
「嬉しい誘いを受けたと解釈しよう。伝令がやってきたら落ち着かん、ここ一番が終わってからでも構わんか」
「お言葉通りに。お気が変わられましたらいつでも寝所にお越しくださいませ、旦那様」
笑顔を残して部屋を去る、女は強い。支えられているんだって痛感するよ。
◇
偵察から戻った霍校尉を中央に置いて諸官が両脇に並ぶ。まずは無事に戻ったことを褒めておくとしよう。
「よく戻った、ご苦労だ」
戻らねば直ぐに脱走だなんだと難癖をつける奴も居るからな。実際、音信不通になった半数はそうだから仕方ない部分もあるが。
「お言葉ありがたく。報告致します、漢中近隣に曹真の主陣を確認出来ませんでした」
逃げたわけではあるまいが、主将が不在というのは解せんな。ここではなく涼州を攻める為に移動したか?
「それでは魏の主将はどいつだ」
誰かが代理に立っているならばその可能性もある。そうでなければ単なる未発見だろう。
「それですが『司馬』『大都督』の軍旗が御座いました」
司馬というとまさか司馬懿ってやつか? だとしたら俺などでは智謀及びもしない、何せ孔明先生と鎬を削った間柄だからな。姜維が進み出て一礼する。
「それは仮節撫軍大将軍大都督録尚書事司馬懿でありましょう。となれば曹真が任を離れる何かが起こっているということに」
三軍の総大将が任務を離れてまでしなければならないことだって? それは何だ、職場放棄も良いところだぞ。
「姜維の見立てではなんだ」
こういうことは解りそうなやつに答えさせるのが一番だ。他の奴らの顔色も見ておくとしよう。少し間を置いているのは姜維が自身の中で検討しているのか、それとも誰かの声があがるのをまっているのか。
「首都で大事が起こっているのでは?」
首都で……なるほど、それならばこんな現場よりも重要だろうさ。だが司馬懿がこちらにやって来たのは何故だ、あいつだって首都で重職を担っているんだからな。
自分でも答えを探るとしよう。大事といえば反乱や政権交代の類が多いが、反乱ならば司馬懿が鎮圧するだろう。政権交代の急先鋒だって司馬懿ってはずだな。すると別の切り口が必要になる。
あいつが首都から追い出されたって考えてみるか。すると次席やら政敵が有利になる、そんな一時的なものでも数か月、長ければ一年二年は権力を振るえるからな。
皇帝との関係性は上々、それどころか友人関係ですらあるって話だ。そんなやつを追い落とすことは可能なんだろうか? 余程のことが無い限り、讒言を退けるだろう。
他に政権が転覆するような事態というと……曹丕の崩御か! だがあいつまだ中年に差し掛かる位で若いはずだぞ。
「皇帝が病にでも罹ったか」
だとしたら辻褄があう。憶測でしかないし、速やかに状況を知ることなど出来ん。こんな時はどうとでもとれて、どちらに転んでも問題ない煽りをしておくに限る。どよめく文武の諸官。最前線に居るからこそ手に入れたこの一報、生かすも殺すも俺の判断次第。
「一戦仕掛けてその反応で推し量る。籠って一歩も出ないようなら現状維持を命じられているか、あるいは時間の推移を待っているかだ」
「もし出て戦いに臨んで来るならば?」
姜維が逆なら何なのかを指摘して来る。そこが若いって言うんだよ、まあ引っ掛けるような物言いではあるんだがね。
「急いで勝負を決めて帰還するのを窺っているんだろうさ。事と次第によってはいきなり決戦になるぞ、心を決めておけよ」
国家の権力者だ、こんな僻地でお見合いをしている時間が惜しくてたまらんだろう。そこに勝機がある。というか恐らく代理で大都督になったならば、司馬懿は勝つつもりなど無い。いち早く首都に戻れる何かが起こるように誘導して来るはずだ。
目が届かないところで一大事が進んでいるんだ、居ても立っても居られないに違いないぞ。
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