第74話

 軍兵が屯する一角、そこの屋敷に入った。姿を見た者達が全員起立して礼をする。開かれた道を進み、部屋の奥へと消えた。規律は保たれているようでなによりだ。それにしても中県の包囲は直ぐに解くだろうか、伝令がてら援軍を回しておくべきだな。こういうのにはうってつけだ。


「馬謖」


「ここに」


 編制の竹簡に目を通していたが中断して側に来る。


「中県に使者として赴け。包囲軍には即座に永安方面への増援として移動するように命じ、城には今しばらく防備を敷いているようにと伝えるんだ」


 俺の言葉では素直に聞かない恐れがあるからな、ここは孔明先生の名前を使おう。


「畏まりました。直ぐに出立致しましょう」


「丞相の軍旗を持っていけ、これは朝廷の機関命令だ、従わなければ兵卒まで全員処断すると伝えろ」


 このくらい脅しておけば攻め続けるような真似もせんだろう。それより漢中で勝たねば全てが無意味だ、俺の役目はそこにある。


 馬謖が出て行く後ろ姿を見送り腕組をする。漢中の南から出て、呂凱と挟み撃ちにするとして、やはり打撃力が足りない。密集して陣を敷いていれば届かないし、薄ければ居場所の特定に手間がかかるな。


 それに漢中城を維持するためにもやはり兵は必要だ、そもそも三十万の軍とまともに戦うならば、半数というわけには行かん。暫く黙って考えをまとめていると太陽が高く登り、昼を過ぎる。部屋に四人の校尉がやってきた時には陽が傾きかけていた。


「準備が整いました」


 側近が言葉を添える。明日に延ばしはしないよ。


「よし、これより成都を出るぞ。各隊に号令を掛けろ」


 たっぷりと三十分ほどの時間を置いて外へ出ると、軍馬にまたがり通りを行く。市中で騎馬しているのは一人だけ、伝令以外の騎乗は禁止されているからだ。


 石苞が牙門旗を囲んで後ろをついてくる。見上げると一際大きな『帥』の軍旗、統率者の存在を表している。ふん、寝ても覚めても戦争ばかり、俺の存在価値はそこにしかないわけだ。城門の外に整列している騎兵団、勇壮としか言いようがない見渡す限りの兵。


「聞け! これより我等は漢中に攻め寄せる魏の曹真を打ち負かし、蜀へ侵略して来るものを全て追い出す。苛烈な戦いになるだろう。だがここで勝たねば大切な者を失い続けることになる」


 言葉を区切り全員に視線を流し腹に力を入れる。


「我等は国の盾であり、矛である。刃を向けて来る全てを打ち倒せ! 全軍出撃だ、俺に続け!」


「応!」


 親衛隊を率いて先頭を行く。輜重は率いず各地に点在する城に寄って補給を受け、騎馬の足を生かし続けた。歩兵で二十日の行程をたったの二日で進み、嘩萌関へとたどり着く。関を固く閉ざしている国門を開門させ、暗闇を篝火の灯りを頼りに入城する。


「島将軍! よくぞご無事で」


「夏関長、ご苦労だ。首尾は」


 随分と兵が増えている、きっちりと防備を強化してくれているようだな。関所の中に入り切れない騎兵が多い、一晩だけだ我慢して貰うとしよう。騎兵団の数に驚いている守備兵が殆どだ。確かに、この数は目にすることなどないだろうな。


「周辺の民兵をかき集め、兵は二千を数えました。漢中から抜けて来る魏軍は数百単位、これを数度撃退しました」


 ふむ、その位の数が漏れて来る程度ではここは抜けん。言いつけを守り、しかと働いた者には報いる。


「うむ。夏予を嘩冠校尉に任じる。独自の判断での増員、武装の補給、関所の強化を許す」


「わ、私が校尉に! ありがとう御座います!」


 驚きでどうにかなりそうになりながらも、膝をついて感謝した。だが真面目に勤務してくれたことはこちらが感謝しているんだぞ。


「南方で軍を発見しました!」


 城壁の上で遠くを見ている兵士が声を上げた。南方だと?


「島将軍、山頂に監視所を置いてあります。夜間ゆえ狼煙が使えないので、炎で軍の存在のみを通報してきています」


 なるほど、こいつは使える奴だってのを再確認だ。しかし、南からの軍ってことは味方か?


「夜間斥候は負担が大きい、志願者は居るか」


 呼びかけると一人の男が我先にと志願する。首都の精兵はだんまりか、残念なことだ。


「夜目が利くやつらを選抜して捜索に出よう」


 鳳珠羽空王が余裕満点で胸を張る、これを退ける理由はないな。


「任せる。敵でも味方でも交戦せずにいち早く正体を報告するんだ」


 口の端を吊り上げて頷くと踵を返して関所を出て行った。ある程度先まで軍を進めて、その先から個別に偵察を放つつもりなわけだ。敵ならば伏兵として備えることもできる、関所に座して結果を待つよりも遥かに実戦向きだよ。


「他の兵は休ませておけ」


 なにも全員が気を張っている必要はない。休める時にそうさせておく、どうせ戦いになれば嫌でも全力になるんだからな。それにしても夏校尉、もしかしてもっと使えるんじゃないか?


「なあ夏校尉、漢中の状況を知っているか?」


「はっ。本営が漢中城北に在り、山より全軍を指揮している様子」


 なるほど、無線も何もない世界だ、高い場所から指揮をするのがやりやすい。大軍だからな、囲まれる心配もない。水は河があるし、食糧だけが心配なくらいか。


「お前ならどう攻める?」


 真剣に意見を求める。たかが地方の小さな関所の長に何を尋ねているのかと、首都から来ている五営校尉らは怪訝な視線を向けてきた。


「大軍を相手に正面から切り結ぶことはしません。油を染み込ませた布を多数持ち込み、食糧を焼き払います。そうすれば放っておいても逃げ帰るでしょう」


「具体的に」


 方向性は正しい、あとは実務能力だよ。発想を現実にする、そこが武将たるゆえんだ。


「夜間、山の裏側から迫り、正面側面では陽動を行います」


「それでは警戒されてしまうが」


 禅問答をしたいわけではない、真意を知りたいだけだ。


「一度はわざと失敗し、二度目も正面、側面から仕掛けようとして失敗させます。裏側からの部隊は払暁ギリギリまで動かず、警戒が緩むところで実行させます」


「うむ!」


 まさか日に三度も襲撃するとは思わないだろうし、夜明けで気が緩むところで仕掛けるわけか。これは成功率が高いぞ、俺だってそこまでされたら火くらいはつけられそうだ。これが全てでは無いだろうが、地方に縛り付けておくには惜しいな。


「夏校尉、敵を追い払ったら迎えを寄越す。俺の幕に来るんだ」


「そ、そのようなお言葉を頂けるとは、感謝の極み。ですが私は羌の出でして……」


 すまなそうに蛮族出身だと視線を下げてしまう。そうか、俺のことを知らんか、不思議でも何でもない。


「それがどうした。むしろ好都合と言うもの。俺は護羌校尉で、羌族の妻を持つ者だ。誰にも文句は言わせん」


「なんと将軍が!」


 目を見開いてこれ以上ない位に驚く。物好きが気まぐれで引き上げると言っていただけではなさそうだと、夏予が大真面目な顔で「仰せの通りに」深々と礼をした。


 ちらっとそばを見て「羅憲、これが俺のやり方だ。よく覚えておけ」一言投げかける。皆が何を思い、何を感じたか、それは後で確かめるとしよう。そろそろ一報が来るはずだ。


「伝令、伝令! 暗夜を行くのは騎兵団、二千以上の集団の模様、所属不明!」


「二千だと! 蜀を探してもそのような数の騎兵は居ないぞ」


 ということは魏の迂回部隊だろうか、嘩萌関を裏側から攻めて落とそうとのことなら運が悪い奴らだ。もう一日早ければ何とかなったものを。


 どこを抜けて来たかと言うと、あの間道だろうか。きっちりと関所を置かねばあぶなかしいなこいつは。騎兵が攻めてきてビックリというのも面白い、まさかの大軍を発見してどうするかだな。


 身構えること小一時間、関所の南に馬蹄の音が響く。一直線やって来たか、急襲するなら不意打ちに限るからな。


「応戦準備をさせろ」


 言う前から当然させているだろうが、一応だ。弓兵が城壁の上に並び、騎兵が関所の壁に張り付いて南を警戒した。


 突出して来る騎兵が旗を抱えている、松明で自ら照らして城壁の前を並行して駆けると旗が靡く。そこには『馬金大王』『南蛮』の文字が書かれていた。


 南蛮兵か! 追いついてきた本隊が門前で溜まり、一際大きな武将が声を張る。


「俺は南蛮三王を統べる馬金大王だ、島将軍の加勢にやってきた。ここを通せ!」


 城兵では何とも応じ難いが、黙っていると攻撃を仕掛けかねない勢いだった。城門の真上に居場所を移して上から声をかける。

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