第73話 使持節仮鉞右軍師行衛将軍中領軍右都督領雍州牧守京兆尹護羌南蛮校尉附馬特進中侯

「永安へは呉鎮軍将軍と兵一万を送り三万強、漢中へは趙鎮東将軍と兵三万を送り防がせております」


 古い上に不完全な情報だな。まあいいさ、真実を知る孔明先生がどう捌くかを見ておくとしよう。今の今までそうなっていたことを知らなかったものも混ざっていたようで、少しばかり騒がしくなる。


「楊洪、蜀郡太守として答えよ、首都にはいかほどの兵が居るか」


 孔明は次々に問いかけると多くの情報を得る。一旦目を閉じて後に百官に尋ねた。


「消えた兵が三万程、どこへ出動しているか知る者は居るだろうか」


 それは越俊と中県へ派遣されてる兵数だな。やはり何でも頭に入っているってことだ。幾人もがその答えを知ってはいたが口には出さない。


 誰も答えようとしないので「寥将軍は知っているだろうか」本丸へと切り込む。知らないとは言えない立場であり、正直に答えようものならば真意を問われてしまう。


「げ、現在永安と漢中方面へ増援のため移動中です」


「そうであったか。ならば構わぬ」


 素知らぬ顔で事実を変えてしまう。このあたり俺では出来ない寝技だな、真実と事実と現実にこうも差があるとは。


「曹真を討つまで魏軍は引き下がりはすまい、これを倒す為に騎兵団を派遣する」


 決定事項として皆に知らしめる、いつどこで決まったかは触れずに。大軍を発することが出来ない以上は質で勝負を仕掛けるしかない。ここで李厳が進み出る。


「各地の騎兵を集めて漢中へ送るにはかなりの時間が掛かりましょう。されば首都の騎兵を某が率いて援軍へ向かうご許可を」


 一つの大きな布石がある。この李厳、国家のナンバーツーとして劉備に事後を託された一人で、孔明先生と二人三脚をしてきた過去があった。


 今でこそ官職に開きが出来ているが、孔明が前線に出るならば首都に。逆に普段首都に居るならば江州方面で呉への警戒にあたる攻防を担当するペア。遺言を知っている重臣らがそうすべきだと頷いているのが見渡せた。


「首都の騎兵とは何をさしているのだろうか」


「五営騎兵を」


 五営騎兵とは、首都に常駐する屯騎、射声、越騎、歩兵、長水の五校尉が指揮する騎馬隊だ。これらは外軍に所属していない、さりとて禁軍でもなく、中軍と呼ばれる性質の集団。


「それであるが、龍将軍に預け北部戦線へ行ってもらうつもりだ」


 五営を動かす案は孔明から出たものではないと、行きがけの駄賃として拾っていく。黙って見ているだけで一言も発しない俺に苛立ちを隠せないようだな。


「そこの島将軍は、魏へ通じ、雍州を捨て、南蛮で刺史を追い出し、首都に刃を向けた賊臣であり――」


「だまらっしゃい!」


 指さしして非難をする李厳を叱りつける。孔明先生は一歩二歩前に出て、段下の李厳を厳しく見つめる。


「蜀は一体で魏へ対抗せねばならぬ時に、国を割り何をやっておるか! 我は情けない、このように百官を統率することも出来ずに丞相などと呼ばれているのが恥ずかしい」


 自身を卑下してどこか中空を見上げる。劉備のことを思い浮かべているのだろうとの雰囲気を醸し出した。


「言い訳を重ね妄言を紡ぐのはもうたくさんだ。我の願いは漢の正統を示し、先帝への忠義を全うすること。ここは敢えて言葉にする、この中に三十万の魏軍を相手にし勝利出来ると断言できるものがいるならば前に出よ」


 武官らが声を出すのを躊躇する、全軍を統率して勝ちに行くのには全ての軍の協力が必須。現状でそれを可能だと公言出来る者など居ない。端から端まで全員を見渡し、立候補がいないことを確認する。


「孔明先生、私が必ず勝ってみせます。どうぞやれとご命令下さい」


 ここが出のタイミングだな。覆せるのは呉車騎将軍か寥化のみ。無論俺と敵対している状態で首都を離れられるわけが無い寥化は無言、呉将軍は首都で皇帝や皇太后を護るのが役目だろうさ。


「ふむ、良かろう。島介を行衛将軍中領軍とし、五営への指揮権を与える。速やかに出撃し国家の憂いを取り除くのだ」


「拝命致します!」


 射声校尉は張太守の兼任だったな。


「射声校尉を除く五校尉は前へ」


 すると向朗歩兵校尉、楊洪越騎校尉忠節将軍、寥立長水校尉、王連屯騎校尉興行将軍が進み出た。王連将軍か、まあわだかまりなどないさ。


「可及的速やかに出撃準備を行え」


「御意」


 四名は連れだって朝廷を出て行くが、俺はもう少しここに居る必要があるな。


「やっておかねばならぬことがある。寥化将軍、我は心を病み執務を滞らせた。その病を取り除かねばまた変事は起こるであろう」


 何もかもを知っている、この場に集まる者も孔明が捕らわれていたことくらいは知っている。それをどうするのか興味があった。


「……それは……」


 階段を一歩一歩ゆっくりと降りて目の前に行く。孔明が視線を下げて寥化を見た、何せ大男だからな俺も孔明先生も。


「思うところは多々あるだろうが、全て国を憂えてのこと。水に流してまた蜀の為に邁進してはくれないだろうか?」


 寥化の手を取り優しく語り掛ける。失語症に掛かったかのように、寥化は口をパクパクとさせた。


「も、申し訳ありませんでした……」


 消え入りそうな声で俯き涙を流す。改心したならそれでいいさ。孔明が隣の李厳の前に行き同じように声をかける。


「李厳将軍。事後を託された我等がいがみ合うことを、先帝陛下はお望みにならないだろう。これからもその力を貸して欲しいと強く願う」


 視線を合わせようとはせずに目を泳がせた。それがそのうちこちらに向かう。まあな、俺が気になるのは解る。段上から降りて行き孔明先生の隣に立つ。


「島将軍」


 一言だけ。じっと目を見られるが困惑と怒り、恐れに不安、様々なことが絡み合っているように思えた。


「俺は孔明先生が望むことを叶えてやりたい。ただそれだけだ」


 仲直りして欲しいっていうなら過去は忘れることにする。その先は李厳次第だがな。


「李厳将軍、共に漢の臣として上を向こうではないか。龍将軍も恨んでなどおらぬ」


 複雑な表情を浮かべ沈黙を続ける。だがこれ以上我を張っていても好転はしないことをようやく認めた。


「……承知した」


 短く納得したことを宣言して場を収める。微笑みを残して孔明先生が段上へと戻る、それに付いて行き左に侍った。


 ――ああは言ったが不満で一杯だな、あいつは要注意だ。


 目の端で見るだけにして視線を合わせない。他にも面白くないというのがいるだろうな。


「蜀はこれで国難を乗り切れるだろう。改めて命じる、百官は魏に対抗するべく職務に励むように」


 ぎくしゃくした雰囲気は当然あったが、一つの解決を見て朝議が閉幕される。顛末を皇帝に上奏する役目は録尚書事である孔明先生の仕事だ。


「正式な任官は魏を追い払った後に。死ぬでないぞ龍」


「しぶといことで有名でしてね。数か月で戻ります、南蛮から兄弟も進出してくる予定です、治安維持の一助にお使いを」


「助かる。この働きには必ず報いる」


 笑顔でまたね、か。それでは準備をするか、昼すぎには動きたいものだな。朝廷は衛門内にある広間で議論を進める。そこは禁軍の守備範囲で、衛門の外、首都の内城、成都守備兵、その外側と細かく軍事範囲が決められている。


 俺はそのうち衛門外を守る一派以外への指揮権を得たわけだ。それは同時に責任と義務を背負っていることでもある。

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