第72話

「馬謖、急ぐぞ」


「はっ」


 大まかな進路を示し南蛮騎兵を先行させた。同士討ちは気持ちの上で良くない、若い奴らには酷だろう。


 次々と現れる守備兵を防ぐのは何とかこなし、北の館付近に集まる。外には歩兵が居て屋敷を取り囲んでいた。こいつらは屋敷の守備兵ではなく監禁するための監視兵だな。


「そこを退け!」


 膝を震わせて門の前に陣取る奴らに矛を向けて一喝した。直ぐに親衛隊が襲い掛かり蹴散らしてしまう。閂が外に掛けられているのでそれを持ち上げて通りに放り投げた。両開きの門を開くと中庭にも監視の兵が居て、武器を手に身構える。


「丞相を監禁する不埒者共を排除しろ!」


 下馬した親衛隊が一斉に突入、監視兵を押しのけて道を確保した。騎馬を進めて屋敷の中を捜索する。


 外の通りは騎兵団に任せて専念、出くわす武装兵の殆どを討ち取り小さな池がある邸に足を踏み入れた。部屋の灯りが漏れる廊下に二人の男が立ってこちらを見ている。


「巨達殿!」


「寥紹か」


 十人程の護衛兵を前面に置いているだけで、殆ど無防備と言っても差し支えない。一国の最高司令官がこの待遇とは、何とも信じられない仕打ちだ。屋敷の外が非常に騒がしい、時間はあまりないぞ。騎馬したまま「孔明先生はどうした」二人に問いかける。


「島将軍、丞相はこちらです」


 奥の部屋に来るようにと寥紹が招く。ここで焦っても仕方ない、まずはあって話をするところからだ。馬を降りて奥へと行く。金属鎧をガチャガチャと鳴らして歩き、周囲を警戒する。主だった者が後ろをついてきた。


 これといって敵意は感じない、潜んでいる敵は居なさそうだ。出入り口の脇に立って畏まると寥紹は目を閉じて動かなくなる。両手で戸を開けて中を窺う。すると懐かしの後ろ姿。


「孔明先生、ご無事でしたか」


 椅子に座ったままの孔明がゆっくりと振り返る。手には羽扇を持ち、微かな笑みを浮かべて。


「龍将軍、迷惑を掛けて済まなかった。我が首都で不意をつかれたせいで要らぬ苦労を」


 立ち上がると向き直り、深く頭を垂れる。成都にあって部下の行動を御しえず、己の自由を奪われたのは間違いなく失策としか言えない。


「元気に生きて居られればそれだけで結構。混乱から一旦離脱しましょう」


 こういった状態で何かをしようとしても有耶無耶にされてしまう恐れがある。城外に出て態勢を立て直してから戻ってきたらいい。だが孔明は首を横に振る。


「ここで首都を離れては進退窮まった寥化将軍が誤った行動に走る恐れがある。朝廷に行きたいのだが、それを許してくれるだろうか」


 なるほど、正常な判断が出来ずに皇帝を手にかけでもしたら国家として取り返しがつかない。孔明先生は冷静だ。


「それが望みならば、私は力を貸しましょう」


 首根っこを押さえてしまえばどうにも出来まい。となると一人でも多くの証人と支持が必要になるな。


「馬謖、羅憲を率いて、朝廷に丞相が参内すると喧伝して回れ」


「畏まりました」


 一礼して立ち去ろうとするのを孔明が止める。


「幼常、我が旗を持って行くと良い、用意させてある」


「ありがとう御座います、丞相」


 側仕えが木箱から綺麗な刺繍が施された『諸葛』『丞相』の旗を取り出し持たせる。うむ、蜀でこれに刃向かう官はいるまい。


「龍将軍も使うと良い」


 これが必要になるだろうと事前に揃えてある、孔明先生は粘り強いよ。


「そうさせてもらいます。石苞、外の部隊に軍旗を示してやるんだ」


「おっしゃ、任せろ!」


 旗を巻いて抱えると意気揚々と邸の外へと向かう。こういうところは子供っぽさが抜けきらんか、まあ良い。


「暫し茶でも喫して後に動こうではないか。状況はどうなっておる?」


 広域情報の共有から始めようってことだな。取り違えを起こさないように、すりあわせをしておくのは重要だ。


「永安方面の魏軍十万は、呉鎮軍将軍の指揮で、冷将軍、蘭智意将軍、それに永昌水軍らが防いでいます。防衛軍は六万弱、持ちこたえるでしょう」


 仮に押し込まれたとしても、盆地へ抜けられる前に増援を出せばせき止められる。


「ふむ、越俊と関東兵だけでは足らないであろう。南蛮より兵を入れたか」


「ええ。涼州は魏延が防いでいます。魏軍十万を相手にしていますが、趙雲将軍が三万で増援に向かうよう命令変更をさせました」


 あのまま漢中付近で戦っていたら、魏延が参るところだったかもしれん。


「ならば盤石、隙を見せれば魏軍の背を襲うであろう」


 羽扇を手にして面白そうに笑う。戦力充分、何の心配も要らないと。


「雍州ですが、函谷関と長安一帯を鐙将軍に預けました。益州の警備兵を詰めてあります」


 その代わり各地の騎兵は全部かき集めてきている。俺が機動戦力を自由に使う為にな。


「漢中はどうなっておる?」


 一番の懸念。どこまで正確な情報かは解らないが、知っている最新の内容を説明した。


「張太守が民兵と半数の正規兵で籠城、呂凱が歩兵三万で子午道から増援に出ています。ここの戦線が一番きついでしょうが、漢中は陥落させません」


「むむむ」


 絶対的に兵力が足りていないが、稼働中の軍は全て使い切っている。どうにかして増援を送ってやりたいとの状況を理解する。


「それゆえ騎兵団のみを率いておったか。我が早々に外廷も朝廷も掌握する、漢中を頼む」


「お任せを。曹真を討ち取るには今少し戦力が不足します、追い出すだけならこれでも可能でしょうが」


 実際四千では防壁を突破するだけで精一杯だろうよ。無い物ねだりをするわけではない、ここにはあるんだよ兵力が。何を言いたいのか全てを悟る。ここで決めるわけには行かないが、どうするかは考えて置いてもらうべきだ。


「四千を増員すれば出来るか」


「やつが戦場に居るならば、首を挙げてみせます」


 じっと瞳を覗き込む。嘘偽りや慢心もない、ただただ事実を告げるのみ。


「朝議にて取り決める」


 側近が内城への道が確保されたと報告をあげて来る。ことここに至ればもう前へ進むしかない。


「行くぞ、龍将軍」


「はい、孔明先生」


 皆が騎馬すると一団となる。先頭を並んで行く二人のすぐ後ろには、大きな軍旗を抱えた石苞が続いた。道を半ば程まで行ったところで費偉や蒋碗、董允らが合流し内城へ入るまでに多くの官が従う。絨毯が敷かれた朝議の間の中央を孔明が歩む。


 李厳前将軍、寥化輔国大将軍、先頭のは誰だ? 馬謖に尋ねると小声で「呉懿車騎将軍です」と、皇太后の兄、つまりは劉禅の伯父であると耳打ちした。


 早朝未明であるにも関わらず、国家の一大事に駆け付けた文武百官が左右に整列した。幕僚らは途中で列に加わったが、俺と孔明先生はそのまま上座へと進んで皆と対面する。当然こちらには否定的な視線が集まる、わかってるよ。


「まずは諸官に謝罪をする。我が心を病んでいたため執務を行えず、寥輔国大将軍平尚書事に政務を代行させた。苦労を掛けた次第、ここに陳謝する」


 頭を垂れて不明を詫びる。そういうことにしておけとのお達しか、当人以外は落ち着いたものだ。寥化は争いに負けたことを実感しているんだろうな。


 それにしても結構な数の高級官吏がいるもんだな、馬謖のやつでも中列あたりか。政務官が多いが、武官の数人でも最前線に居れば統率がとれると言うのにな。


「魏軍が大挙して押し寄せてきておる。寥将軍、差配はどのように」


 指名され仕方なく一礼する。どう答えたものか見ものだ。

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