第71話

 そういえばそこに堆積してあったな。歩兵に装備を行き渡らせるのに充分、二万人分の武装だったか、糧食も溢れる位に充足する、漢中へ補給してやることも出来るな。まったく出来る男はこうも違うものかね。


「島将軍、中県の増援に李将軍をお使い下さいませ。さすれば首都で騒動が収まるまでは、必ず持ちこたえましょう」


 そうだな、こいつが帰郷すれば士気が上がる。最新情報を入れておけば籠城は成立するだろう。


「うむ。李項、お前は中県へ救援に向かえ。現地では姜維将軍が指揮を執っている。副将として防衛を強化、俺が包囲を解くまで必ず持ちこたえさせろ」


 指揮権を割ってはならん、姜維に預けた以上はあいつの下につける。たとえ本貫がある土地であろうと、指揮権を曖昧にしてはいかん。


「御意。ご領主様のお言葉通りに」


 一切の異論を挟まず、嫌な顔一つもせずに承知する。そうだよな、李項はそういうやつだ。


「山道を抜けるまでは話をしよう、色々とあったからな。聞かせてやるよ、弟らの活躍をな」


 友人に向けるような笑みを浮かべ、馬を寄せると李項の肩に軽く手を置いた。嬉しそうな表情をすると、まるで自分のことのように嬉しそうに耳を傾けて来たのが印象的だった。


 山道は存在した。途中何度も分岐があり、正しい道を辿るのはかなりの苦労がありそうだが、それでも無事に益州へと入ることが出来た。これは地図を製作させておいて、後に案内係を専門で置かなければ迷子確定だな。空模様は今一つ、蜀で晴れ間が見えるのは珍しいのでいつも通りと言えばそれまでだが。


「ご領主様、自分は行きます。ご武運を」


 馬上から挨拶をして親衛隊百のみを率いて李項が南へと騎馬を駆けていく。頼りになるようになったものだ、郷から引き立てたばかりの時は控えめで雑用の延長でしかなかったのにな。つい数年前のことだったのが妙に懐かしい、戦は人を成長させる、それも爆発的に。


「さて、俺達も行くぞ」


 鳳珠羽空王は南蛮騎兵、霍翊軍校尉には永昌騎兵に涼州騎兵を増員、羅憲には長安騎兵を与え、残りの雑多な奴らは全て直下に置いてまとめた。陸司馬は親衛隊をまとめて供回り、これは最近いつものことになっている。


 軍旗を降ろさせて益州北部を西へ向けて走った。宣漢から安漢、広漢を抜けて成都北の新都城付近に辿り着く。このあたりはもう成都の市域と言っても良い程に近い。


 真昼間に堂々と行っては通報して下さいと言っているようなものだ。ここはひとつ偵察がてら繋ぎをつけさせよう。


「馬謖、ここへ」


 こんな時の為に連れてきているんだ、こいつを使わない手はない。


「なんなりと」


 勝負どころと解っているようで、気合十分の目だ。大役を任されるのが嬉しいんだろうな。


「向歩兵校尉と繋ぎを取り、孔明先生の身辺を厳にすることと、成都の状況を探って来るんだ」


 こいつと向歩兵校尉は友人同士ってことだからな、うってつけだよ。こちらから送った兵士も抱えているはずだ、もし暴発して兵を向けられても暫くは抗戦出来る。


「畏まりました」


「もしこちらが発見され通報されるようなら首都に押し込む。いいか時間は砂金よりも貴重だ」


 こうやって口を酸っぱくして言いつけても、馬謖はきっと自分が良いと思うことを優先する。街亭で山に登ってしまったことで戦争に敗北した、泣いて馬謖を切るだぞ。


 孤軍で補給が切れる場所に陣取る、とてもじゃないが戦闘の指揮官には向いていない。そこに山があるから登ったでは話にならん、戦場のアルピニストは要らんよ。


「お任せを。丞相にも一言お伝え願えるよう、巨達殿に話をしておきます」


 巨達ってのが字なわけだ。見送ると騎馬の集団を上手い事隠せるように窪地に置いて偽装を行うとともに、兵は外縁に警備として配置した。


 巡回が現れれば不審がられる、接触しないのが最優先。どうしても近づかれてしまうなら、全員を捕えて監視下に置くしかない。交代で休息を取らせて、二時間の仮眠をさせる。真夜中に行動することになれば、そこから寝ることなど出来ないからな。


 深夜になり月明りも届かないような山地の繁みから、人口の灯りが近づいてくるのが見えた。鉄製の篭に油を籠めて燃やす、カンテラのようなものの光。


 それがグルグルとまわされて何かしらの合図が送られてくる。密偵に探らせると馬謖がそこにきているとのこと、直ぐに呼び寄せた。


「島将軍、馬謖戻りました」


 意外と早かったな。丸々二日くらいかかると思っていたが、超特急で全てをすませたか。


「ご苦労だ、首尾は」


「巨達殿には未明にでも仕掛けると言伝を頼みました。成都ですが、五校尉直卒の近衛が四千、成都の守備に一万、外軍が別に一万ほど御座います」


 うむ、近衛は皇帝の守護以外には決して動かん。そういう意味では歩兵校尉の兵も動かせんわけだ。外軍は成都城に侵入禁止、実際は守備兵一万のみだ。


「城門はどうなっている」


「閉門されておりますが、西門の司馬が巨達殿の手の者であり密かに開門可能です」


 何とも上手い事やったな、地元の利ってやつもあるんだろうか。首都勤務が長いとそういうこともな。


「孔明先生の軟禁場所の確認は」


「内城の北側、隔離区画にある館に」


 よし、やるぞ! 情報は七割あればあとは現地でどうとでもしてやる。


「総員起こせ、これより成都へ入城する。馬謖、先導をするんだ」


「御意!」


 仮眠をとっていた兵も全てが起こされ野営が解かれる。武装を正して簡単な食事を済ませ、整列する。まだ太陽は彼方にあり空は暗い。虫が鳴く声と馬の嘶きが響く。緑の濃い草の匂いがむわっと漂ってきた。


「成都西門より入城し、城域北の館を目指す。俺が先頭を行く、邪魔があれば押し通り、絶対に孔明先生を解放する。何が出ようとついて来い、良いな!」


「応!」


 こちらは孔明先生を無事に確保できなければ本当に逆賊呼ばわりされる。そう呼ばれようとも構わんが、無傷で自由を約束させることが出来ねば意味がない。魏の大軍を相手にするより早さも繊細さも求められる行動だ。


 新都の山を出て暗闇を動く、足元を照らすのは光量を控えめにした灯りだけ。それでも街道が整備されているので困らずに進むことが出来た。成都の西門に来ると馬謖が灯りをぐるぐると回す。するとどうだろうか、重い音を鳴らして城門が開かれた。


 馬を寄せると門司馬が礼をして迎え入れる。こいつも連れて行くべきか? いや、外軍がなだれ込まないように門を閉めさせるのが優先だな。


「軍が全て入り次第閉門だ。以後は丞相の指示を待て」


「御意!」


 西門付近の民家、たまに目覚める者が居て通りに出て来るが、騎兵を見て慌てて扉を閉めてしまう。余計なことに巻き込まれないようにする、民の自衛策だ。


「そこな集団止まれ! 暗夜に騎馬して何をしているか!」


 見つかったか、そりゃそうだよな、これを発見できないようなら城内見回りは切腹ものだ。巡回班が灯り片手に寄って来るが、思いのほか大勢なのでぎょっとした。警笛を吹くべきかどうか逡巡しているうちに進み出る。


「我々は丞相の手の者だ、大人しくそこで待機しておれ」


 何とも返答し辛い言葉を投げかける。丞相の兵というなら首都にいてもおかしくはないし、最高権力者の指示ならどこに通報するというのか。


「ですがこのような夜更けに?」


 異常を感じて食い下がる、なにせそれが仕事だから。職務熱心なことは良いことだ、時と場所を弁えられたら最高だがな。


「そのような問答をしている暇はない。羅憲、警備兵を拘束しておけ。だが決して害するな」


「御意。そやつらをひっ捕らえろ! 大人しくしていたら悪いようにはせん」


 周りを騎馬兵に囲まれて投降を呼びかけられる。ここで交戦しようものなら十秒も生きてられない、そのような見立てで見回りは矛を捨てて地べたに座り込んだ。


 一瞥して先を急ぐ。多数が動くと金属音が共鳴して、案外遠くまで届く。守備兵の一部が城内の異常に感付いて「て、敵襲!」大声で叫んだ。


「くそ、騒ぎが大きくなる前に突き進むぞ!」


 この先は邪魔者を切り捨てて構わないと命令を変更、最短距離を走る。銅鑼や警笛がけたたましく鳴らされて、成都は臨戦態勢が敷かれ始めてしまう。夜警の成都守備兵が百人単位で現れた。見慣れない騎兵の集団に矛を向けて整列する。


「侵入者がいたぞ! 警笛を鳴らせ!」


 特徴的な連続音を発して身を固くする。こちらに兵が集まる前に突破だ。


「構うな、突き進め!」


 鳳珠羽空王がいち早く目の前に居るやつらを跳ね飛ばした。反応が遅れた羅憲が口を結ぶ。

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