第70話
「恐らくですが、島将軍が台頭するように仕向けた丞相共々、蜀を蔑ろにしていると考えたのではないでしょうか。帝が代わられて後、蜀は激しく様変わり致しました」
そういうこともあったんだろうな、飛躍しすぎの思考って感じはするが。
「若かりし頃より顕官を拝した者、先帝への恩をお返しするために必死なのでしょう」
話せばわかるってのに、勘違いで国を割るとは。これも俺の失策だ、こちらも周りを知ろうとしていなかったからな。
「そうか。参考になった、助かるよ呂軍師」
「ははっ」
前から伝令騎兵が駆けこんで来る、さっそく敵発見の報告だな。赤い旗指物、直下の騎兵が目の前に辿り着く。
「将軍、申し上げます。この先に住む猟師ですが、子午道より益州へ通じる山道を知っているとのことです」
「山道を?」
それは俺達蜀軍が知らない道だ。これは魏の罠か、それとも幸運なのか? 呂凱と目を合わせて、話をしてみなければなるまいと頷きあう。
「大休止だ、その猟師をここへ。いいか手荒にするなよ、捕らえるのではなく招き入れるんだ」
もし本当に道があるならここを魏軍が通過した可能性がある。気づかれていないならばこちらが自由に出来る、どちらにしても確認だけはしておく必要があるぞ。
幕を整え暫し待っていると、馬に乗せられた猟師の親子がやってきた。これといって特別な雰囲気は見て取れない、本当にただの住民なんだろう。
眼前に連れられてくると席を用意されているので、おっかなびっくり勧められるまま座る。こういうのは呂軍師に任せるよ。黙って首座に腰を下ろしていると、呂凱がにこやかに切り出す。
「私は呂凱と申します。あなたがたはこのあたりの住民と聞きましたが」
威圧されずに優しく話しかけられる。目の前の食事に手を付けられるわけが無い、こくこくと頷いて肯定した。
「あっしは壁、こいつは息子の静です。ここらで猟師をしてくらしてまさぁ」
三十歳後半あたりの父親が肩をすぼめて答える。いつ殺されるか分かったものではない、そう考えるのが普通だな。
「そう硬くならずに、まずは一献どうぞ」
飲んでくれと勧めて、自らも軽く一口あおる。父親が散々躊躇した後に一口傾ける、そうすることで安心したのか表情がいくぶんか和らいだ。
「益州への山道があると聞いたのですが」
「へぇ。あっしら猟師が獣を追いかけて行くのに使う道で、三日もあれば南の平地に出られやす」
漢中経由で益州入りするなら七日以上、永安周りなら二十日ではきかんぞ。短縮出来るだけではなく、通過できる事実が大切だ。
「それは私達のような荷物が多い、山に不慣れな者でも通れるでしょうか?」
「うーん、もう一日余計にかかるかもしれねぇですが、あっしらと一緒なら多分」
確認に往復八日も使ってられんが、これは岐路になりえるな。漢中の解放をしつつ、益州にも兵を動かせる大きな手順短縮の。俺の目標は三つ、漢中、成都、中県だ。うち成都だけは自身で行かねば収まりがつかん。
「そこを魏軍が通ったかどうかはわかりますか?」
「ああ、それはねぇです。あっしらずっと近くで暮らしてますが、そんなのが通ったら気づくんで」
嘘でないならば納得いく答えだ。道も無く魏軍が伏兵しているとしたら、そこは死地だろうな。斥候を多めに出して地形を捜索させれば、数が多い程に回避可能だ。数が少ない伏兵ならば武力で跳ねられる。呂軍師へ視線を送り頷く、これを利用すると。
「報酬は金百を先にお支払いしますので、道案内をお願いできないでしょうか」
先払いと聞いて逆に変な顔をする。辿り着いたら殺すつもりではないのかと。
「へぇ……」
信頼の構築が出来ていない、だが純朴なこの時代の住人ならば深くは考えずとも良かろう。
「この軍の大将、島だ。俺にとって金よりも道を知ることが優先する、殺すつもりならこんな場を持たずにしている。ここで一仕事して、その金で妻でも息子の嫁でも探してこい。その程度の話でしかない」
歯牙にもかけていないと、興味のない素振りを見せておく。実際は道を探すなんてのが出来ないからこうしているわけだが、大金ではないと言われてしまえば安心するのは立場上のこと。
「じゃ、じゃあ報酬を」
顎を小さく振ってやる。お盆に載せられた袋を手にして兵士が壁の前に立つと、目の前に置く。恐る恐る手にして中身を見てみると、砂金が詰まっていた。これだけあればもう山の中で猟師などしている必要はない。
「それではこれから案内していただけますか」
「へ、へい!」
柔和な呂凱の態度に興奮を隠せずといったところ。さて問題はこの先だよ。陸司馬に騎兵百をつけてやり、先行して道の先導を行わせる。行軍を再開させ、馬上で相談しつつだ。
「それで呂軍師はどうしたらいいと思う」
主語を抜いてざっくりと問う。課題は同じなのだ、かみ砕くことなど無い。
「漢中は私でも務まりますゆえ、歩兵はお任せ下さい。将軍は山道を抜けて首都へ向かうべきかと」
本来は北に居るはずの俺が、忽然と姿をくらまして、突然成都に出現か。軍旗を掲げずに移動すれば気づかれても正体不明。魏の騎兵と間違える可能性の方が高いな。
問題は中県だ、あまり放置していると押し込まれる恐れがある。それに軽装で補給が少ない歩兵だけでは呂凱も厳しいだろう。
「うむ。俺もそうは思うのだが、お前が大分厳しかろう」
「本来は漢中から嘩萌関を抜けてを思慮しておりました。その為、犠牲も多く戦を急ぐ予定のところ、時間を使えるならば問題ございません」
急戦は損耗が多いが、攻略するだけなら曹真など相手ではないというわけか。頼もしいことだ。何せ漢中の防衛が目的であって、敵軍を撃滅するわけではないからな。固守していたらいずれ兵糧切れで撤退する。それに少数で輸送部隊を攻撃するくらいはするだろうさ。
「そうか、すまんが頼む」
ほんとこいつには助けられてばかりだ。俺よりよっぽど総大将に向いているんじゃないか?
「それと中県もお任せ下さい。もうそろそろのはずです」
「うん、なにがだ?」
目を閉じて小さく微笑する。馬の揺れにあわせて身を上下させるが呂凱はそれ以上喋りはしなかった。子午道を右に、つまりは西へ折れるあたりの交差路に差し掛かったところでまた赤い旗の伝令がやって来る。
「報告します! 李軍が合流します!」
「ん?」
今だって南蛮歩兵隊は騎馬の後ろをついてきている。呂凱を見てもずっと変わらないまま、取り敢えず了解して伝令を戻してやった。
交差路左手から『李』『護忠』の軍旗を持った部隊が現れて近づいてくる。李項か! 呂凱は知っていたようで表情を変えようとしない。親衛隊を連れて、一人の青年が騎馬してやって来る。
「遅参ご容赦! ご領主様、李項ただ今参上致しました!」
元気な声で一礼する。思えばこいつがこんなにも側を離れていたことなど無かった。
「無事で居てくれてなによりだ。しかし良くここがわかったな」
犯人は一人しかいないがな。チラッと隣を見るが、素知らぬ顔で前を向いたままだ。まあいいさ、俺に不利になるようなことはしないだろうし。
「いずれここを通るので待っているようにと、軍師殿のご指示がありましたので」
あっさりと暴露してしまう。積もる話をしたいのも山々ではあるが、今は行軍中だ。
「そうか、実はそんな気はしていたんだ。ところであれは?」
李軍が引いている馬車の数々、やたらと多い。そのあたりが呂凱の理由なんだろうけどな。
「はっ、自分は衣学堂郷の物資堆積所より装備糧食を輸送して参りました」
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