第67話

「ここで韓軍を退けるのは難しくはないでしょう。ですがこちらの兵力は別の使い道があります」


 ふむ、やはりこのまま戦争するのは無意味と知っているか。ではその先だな、こんな山中の陣も県も取られたって問題ない。


「いくつもあるだろうが、何が有効だと考える?」


 運用方法はある、俺の基準とは違うだろう部分を知りたいものだ。魏延と連絡が取れればここに兵力を置く必要はない。


「雍州です。かの地を再度まとめ、戦線全体に影響力を行使、涼州から敵を退かせる行動を」


 そうだな、やはり長安へ入らねばなるまい。問題はその手段だ、敵軍がうようよする地域をすり抜けることが出来るのは少数でしかないぞ。


「印綬は未だに未練タラタラで引っ提げている。韓軍をここに置き去りにして、涼州へ抜けるとしよう。そちらへ敵の目を引いて、最大速度で長安へ一軍を向ける」


 なにせ敵への知らせは敵の伝令を使うのが一番だからな。漢中は持ちこたえる、二か月を約束すると張裔太守が請け合った、それを信じて行動するぞ。移動も含めて迂回していては歩兵の足では時間が足りなくなる、ここは騎兵のみしか計算できん。


「島将軍の歩兵、故道を通り陳倉へ直接向かえば間に合うでしょう」


 こちらの考えを読んだ一言。何も正面からぶつかるつもりでないならば俺の歩兵は切り離しても構わんからな。それを指揮する者が居ない、李封に背負わせるには荷が重すぎるだろう。……逆か、俺が陳倉へ歩兵を連れて行けば良いわけだ。


「魏延の奴によろしく言っておいてくれ。鳳珠羽空王他の騎兵は趙将軍に預ける」


 趙雲も魏延も私心がない、こいつらを信じて騎兵団を預ける。親衛隊の半数も向こうへだな。軍旗も多く持たせてやり、西の山地を経由して涼州入りを命じる。身代わりは李封だ、影武者というわけではないがこの中では適任だろう。


「今夜にでも直ぐに。陳倉への案内人をご用意します」


「頼む」


 暗闇を進むには地元の人間が絶対に必要になる。距離的に二日か三日くらいだろうか。ついでに言えばそこが魏軍に攻略されていない保証はない、そいつを言えば全てが台無しだがな。


 夕刻から交代で睡眠をとらせて闇に備える。張軍の合流を待つのか、それとも即座に押し寄せるかで気づかれるタイミングが変わる。話を聞く限りでは、明日の朝には攻めて来るだろうが。


 夜中にこっそりと南の山地を離れて東を通る故道を目指した。そこが見えてくると下まで降りずに、街道に沿って今度は北上を始める。夜が明けたところで一休みして朝食を摂らせた、雨が降っていないので兵の状態は良好だ。


 こちらは陸司馬と羅憲くらいしか目ぼしい駒は無い、混乱するような奇襲を受けないように周辺警戒は密にさせている。わかってはいるが歩兵の動きは鈍いな。


 焦っても仕方ない、一歩一歩を踏みしめるように行軍させ夜を迎える。ここでは充分な休息をとらせ、食事も多めに与えた。この先敵に見つかればいつどうなるか分かったものではない。趙雲は祁山を越えて隴西郡に入ったあたりだろうか?


 もし魏延が最前線で指揮を執っているなら漢陽郡の螢あたりに出張ってきているはずだ、二線に居るならその北西、隴西の荻道か。まああいつのことだ、後方でふんぞり返ってることは無かろう。伝令がこちらに走って来る、何かを見つけたか。


「申し上げます、ここより西の散関にて蜀軍と魏軍が交戦中!」


 ふむ、間道にある関所か。これを援けても全体が得るモノは少ないな、正体を現すには不適切だ。


「監視だけして姿を見せるな」


 伝令を下がらせてまた行軍を再開する。そうしているうちに「前方に陳倉城が見えてきました!」待っていた報告が上がって来る。


 最初の問題はどちらの軍がその支配者かだ。小さいとはいえ要塞を一から攻めるのには時間が掛かる、掛かり過ぎる。


「陳倉には『蜀』『陳』の軍旗があります」


 ふむ、主将は不明か。戦略重要地だが城が狭いせいだろうか、だとしてもこちらのものなのは朗報だな。最も俺に好意的かは知らん。


 ここで休めねば武功までまた三日以上を進むことになる、出来れば従って欲しいものだ。行けば解るさ。


 暫く進軍させると謂水に二方面を囲まれた、二キロ幅ほどの小山が見えて来る。南側に河が流れていて、北側に街が延びるような形。東西は山地で、丁度盆地の真ん中の丘に街があるような、天然の要害だ。


 こちらに気づいたか、城壁の上に兵士が多数上がっているな。それでも二千人程度。船などあるわけが無いので、西に掛かっている橋を通って山地を進んだ。ここに糧道を確保するのは至難の業だ、水運が使えなければ干上がるのが目に見えて来る。何度も上下を繰り返して、夕方には陳倉の西にある山肌に軍を置けた。


「羅憲、ついて来い」


「はっ!」


 遠く南蛮から従い、まさかこんなところまでやって来るとは思っていなかっただろうな。城壁の上に中年の甲冑男が登って来た。西門の下まできて見上げる。こいつは堅城の誉れ高いのが頷けるぞ、かなりの被害が出るだろうな。


「ここは蜀の陳倉城だ、何やつだ」


 旗が見えていないわけではあるまいが、騙されてあっさり開門ではお粗末すぎる。


「我は蜀が右将軍右都督島介。行軍中ゆえ休息の場の提供と糧食の補給を命じる、門を開けよ」


 ここからは雍州だ、俺の指揮下にあってしかるべき土地だからな。見下しているわけではない、そういう仕事を任されているんだよ。


「島将軍は魏へ鞍替えしたと聞かされている。俺は蜀の宣威将軍督陳倉陳式、要求には応じられん」


 陳式? ああ、すると『陳』は陳倉の旗じゃなくてこいつのやつか。ちょっとした迷彩効果だな、俺じゃなくても間違えるだろう。間違えるよな?


「そいつは寥化の勝手な言いがかりだ。俺は魏軍侵攻の報を聞きつけ、南蛮より軍を率いて防衛に駆け付けた。軍旗を見ろ、雍州牧の解任はされておらんぞ」


 合図で『雍州』の軍旗が大きく振られる。生憎このあたり出身の兵士はほぼ皆無だろうが。


「そのようなものだけで信用出来るはずもない。動かぬ証拠を見せよ、それでなければここは通さん」


 参ったな、そんなことを言われても、その証拠が印綬なんだがな。唸っていると後方から小集団が歩いてやって来る、徐晃のやつどうしたんだ? 周囲を蜀の兵士に囲まれて近づいてきた。


「島将軍、話が」


「なんだろうか」


 捕虜とは言えこいつは卿の位である将軍だ、ぞんざいな扱いはするなと命じているのを兵もきっちりと守っているようで何より。あちらからも見えているだろうが反応は無いな。


「かの陳式将軍、某と面識が。かつての漢中攻防戦で馬鳴閣道の防衛をしていた陳将軍を撃退したことが」


 撃退ときたか。しかしその漢中攻防戦は劉備が生きていた頃の話らしいな。すると陳式からしたら憎い相手だ、忘れもせんだろう。


「徐将軍、こちらへ」


 顔が見えるところまで進み出る、陳式が身を乗り出してみているのがわかる。


「某は魏の右将軍徐晃、覚えているだろうか」


「むむむ、やはり我をたばかったか!」


 どうやら覚えていたようだな。では先に進めるとしよう。


「先日、下弁の戦いで張合将軍と徐晃将軍を打ち破った。張合は取り逃がしたが、徐将軍は捕えた。これでも開門には応じんか」


 事実ここに本人がいる、動かぬ証拠になるだろう?


「そのような三文芝居に騙されるほど節穴ではないぞ!」


 そう思われても仕方ないが、誤解を解くにはどうしたものか。ここで徐晃に跪けとも言えん。


「島将軍、駆け引きをするようで心苦しいのですが、一つ提案が」


 仕草で言ってみろと促す。飲める内容ならば丸呑みするさ、捕虜を食わせる為にも糧食は必要だ、徐晃の協力が得られるならば対価を支払おう。


「某が捕虜を認めますので、何卒兵らが生きて故郷へ戻れるように取り計らいを願います」


 そういうことか。当然だ、だがこんな時代だからな不安もあるだろう。騎馬を数歩前に出し後ろを振り向く。


「勇敢に戦い降った徐軍に、島介が告げる。そなたらは我が捕虜だ。我が軍兵と同等の衣食住を保証し、一切の虐待を禁じ、労役のみを課すこととする。これに背いた者は誰であれ断罪する!」


 使持節を以てして、例えそれが麾下の武将であっても処刑だ!  徐軍の捕虜が膝をついて頭を垂れた、遊び半分で首を跳ねられても誰に文句を言うことも出来ないのが敗者の常。


「島将軍、兵らの事後をお願いいたします。この徐晃の首一つでお収め願います!」


 腰に履いていた短刀を抜くと自身の首へ刃を向け地面へと倒れ込む。徐晃! 考えるより先に手にしていた矛を振るう。切っ先がギリギリ短刀を跳ねのけて、徐晃の首筋にうっすらと赤い線が入るだけで済んだ。


「勝手に死ぬのはこの俺が許さん! 将には背負うべき責任があるのだぞ!」


 大喝して城に向き直る。


「宣威将軍陳式、雍州にあって右都督の命に従えぬとあらば逆賊とみなすが良いか!」


 両腕両膝を地につけて頭を下へ向ける徐晃を見て捕虜が事実と知った。信じられなかったが小城を奪う為だけに、卿である将軍があのような真似をすることなどない。


「門を開けよ! 島右将軍をお迎えしろ!」


 吊り橋式の門が大きな鎖の輪を鳴らして降りて来る。下を向いたままの徐晃を見て「徐将軍の決意は受け取った。約束は必ず守る、国を失い後ろ指をさされようと、血を吐いて泥を啜ろうと必ずだ」そうやって生きて来たんだ、今更信念を曲げはせんぞ! 上半身を起こして膝をつくと、両手を合わせて感謝を表す。


「国は違えど徐晃は右将軍、長剣を履いて騎馬せよ。だが軍旗は認めん」


「お言葉通りに……」


 完全に意気消沈して大人しくなる。俺はこいつが憎いわけではないからな、むしろ一人の将軍として有能であることを称賛したい。


 供回りを率いて陳倉城へと入り中を見渡す。戦城としての機能を優先して取り付けている、実戦向きのものだった。これを強化した奴はかなりの経験を持っているぞ。


 ここで一晩だけ休んで直ぐに出立。減って来ていた物資を補充し、武功へ向かう。数少ない騎兵を斥候に出して長安の状況を探らせた。


 すると城外に『夏侯』『魏』『征蜀』の軍旗があり、三万の軍で包囲しているとの報告を受ける。


「夏侯じゃまったくだな」


 唸っていると幕の隅に立っていた徐晃が一礼して進み出る。


「それは夏侯儒征蜀護軍でありましょう」


 征蜀護軍ときたか、将軍じゃなさそうだ。確か総大将の直轄軍とかそういうやつだったな。すると出兵に際して曹真の中軍を任されているわけだ。

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