第66話

 刃の切っ先を魏軍の中央に向けて攻撃命令を下す。ここから先は敵を敗走させるまで止められん。速足で集団に接近して矛を振り下ろす。まだ行動にばらつきが多い、それもやむなしか。


「専属の捜索隊を百人ずつ、十組出せ!」


「承知しました!」


 こんなのは徐晃一人を討ち取れば終わる、無論逆に俺が倒れても同じだ。周囲は親衛隊がガッチリと固めていて、不意の射撃も許さない。ちらりと左後ろの『島』旗を見る。長い夢と思って随分と染まったものだな、嫌いではないがね。


 李軍と挟撃状態になるも連絡は取れない。だがこれだけ長く共に戦っている、何を欲しているのかは互いに感じられるはずだ。李軍が守ればこちらが攻める、こちらが守れば李軍が攻める。有利な場所を見つけては予備兵力を投入し被害を拡大させた。


「徐晃の本陣を見つけたぞ!」


 どこかで声が上がり、人づてに俺の耳にも入った。場所は解らんがいよいよだ。じっと待つこと十分ほど、捜索部隊からの伝令が駆け込んで来る。


「申し上げます、徐晃将軍を発見いたしました!」


 大まかに場所を指さすので目をやった。精強な部隊が居るのがわかる、あれがそうか。


「よし、そこへ先導しろ。本営を動かす、此度の勝負所だ気合いを入れていけ!」


「おおっ!」


 腹の底から大声を出して肩を怒らせると、一歩一歩を踏みしめるようにして着実に進む。山が動いたかのような雰囲気に、徐晃の本陣も馬首をこちらに向けてきた。


「牙門旗を高く掲げろ! 存在を誇示するんだ!」


 これで逃げるわけにも行くまい、さあ掛かってこい徐晃。敵の大将を目にして戦いを回避するようでは武官はやっていられなくなる。


 張合が撤退したことは知っているだろうな、だからこそここで同等の勝利を挙げねば立場がない。大きな円陣がこちらに向かって来る、真っすぐで快いな。


「警戒軍を左翼に出せ、漢中軍は中軍だ。霍の騎馬隊は右翼後方で控えに」


 円陣の一方が足を止めて交戦を行うと、丸かったのがいびつになり形が崩れる。斜線陣で防御をすると指揮から外れた部隊が乱れるぞ。


 中級指揮官が健在ならばそれでも継続して戦えるが、命令が届かなくなると独自の判断が全体を歪めて行った。こちらも崩れるがそれは承知の上、時間はこちらに味方しない。


「あいつか」


 駒を進めて短い丈の草の平野を行く。向こうからも少数の騎兵が進み出てきた。五十代後半で鉞を手にした偉丈夫。


「島将軍と見受けられる、某は魏が右将軍徐晃、ここで会ったが百年目、一騎打ち所望!」


 一騎打ちときたか、これを受けねば今後俺もやりづらくなる。矛を抱えて一人前に出る、騎乗戦闘より徒歩が好みではあるが。


「奇遇だな、俺も右将軍を名乗っている。ごたくは要らん、刃が全てを語ってくれる。行くぞ!」


 戦って勝てばそれで良い、なんて分かり易い! 馬の腹を蹴って走らせる、交差する瞬間に互いの獲物を撃ち合うと火花が散る。重い一撃だ、手が痺れそうになるぞ。


 部隊の退路も確保しながらの戦い、流石だ徐晃将軍、噂に違わぬ名将ぶり。二度目の交差でも撃ち合わせるだけで傷は無い。三度目は近くで騎馬の足を止めて何度も攻撃を繰り出し合う。これが老人の動きか、相当なものだぞ! 切っ先を真剣に睨んで汗が滴るのも構わずに必死に矛を取りまわす。


「猛将と聞いていたが納得だ。もう五十歳をとっくに超えているだろうに、やるではないか」


 もし三十代の若さがあれば俺では太刀打ちできなかったな。互いの力を正しく読み取れることは強さのうちでもある。


「解せん。聞くところによると島将軍は齢七十を臨むはず、何かの間違いか?」


 まあ実際はそういう計算になるんだが、解せないのは納得だ。


「間違いではない、俺は不老長寿を天より認められている。黄巾の乱より戦場に在り続けて久しいものよ」


 途中の記憶は全くないがね! 大きく矛を振り回して馬の足を狙った。棹立ちになって徐晃が落馬する、だがすかさずこちらの馬も胸を切られて真横にひっくり返る。


 互いに立ち上がると両手で武器を持ち対峙する。こうなると長柄は要らん、銃剣は無いがまだ剣の方が扱いやすい。矛を捨てて腰に履いている剣を片手に持つ。


「矛を自ら捨てるとは、諦めでもしたか」


「俺はこいつの方が得意でね」


 もっと得意なのは殴り合いだ、ここでは発揮出来そうにないが。じりじりとすり足で距離をはかる、絶対に鉞の方が先手になる、それを凌いで懐に入るのが絶対だ。


 目線を切らずに戦場の喧騒を雑音の一種としてにらみ合う。誰一人この戦いには割り込んでこない、もしそんなやつがいれば切り捨てられても文句は言えない。呼吸を見極めろ、鼓動を感じろ、今までの全てをここで吐き出すんだ!


 鉞の軌道を一秒に何度も想定する。どこからならば反撃に出られるか、戦士の感を研ぎ澄ませる。互いの呼吸が重なった瞬間、同時に踏み出した。徐晃が鉞を袈裟掛けに振り下ろす、剣を同じ方向から当てて斜めにいなした。


 くるりと刃先を反対にして地面に穂先をぶつけて、力任せに斜め下から振り上げて来る。ここだ! 鉞の柄に片足を乗せて、もう片方で地面を蹴った。


「なに!」


 身体がふわりと飛んで数メートル先に着地する。一方で徐晃は右に体勢が開き切ってしまっている。僅かな距離を詰める為に走る、体勢を整えようとするも人間は右利きが多い、そのせいで鉞を構えるのに不都合が出た。その数瞬で全てが決まる。


 剣を振りかぶると、徐晃は両手で鉞を頭上に翳す。それを待っていた! 剣は形だけ、本命は止まらずにいる足だ。唾が掛かりそうな位顔が近づくと、右足で徐晃の左膝を斜め上から踏み抜いた。膝の内側から斜め外に向けて、既に腰を落として斬撃に構えていたので尻もちをつく。


「ぐぁ!」


 折れはせずとも痛めてしまって暫くはまともに歩けまい! それでも座ったまま鉞を振るう。上半身だけではさしたる威力は出ない、避けようとせずに左袖の鉄甲で防いで、右手の剣の切っ先を目の前に突き出してやる。


「ここまでだ! お前の負けだ徐晃!」


「……無念」


 鉞を手放して両膝を地に着けて首を差し出す。負けを認めて助命も乞わず、なんて潔いやつだ。


「殺しはせん、徐将軍は俺の捕虜だ。敗軍の将は兵を故郷へ返すまでの全責任を負っている、拒否は許さんぞ」


 将軍の命は自分だけのものではない、いなく成れば皆が困る。徐晃は苦虫を噛みしめたような顔で「それが役目と言うならば、甘んじて捕虜の汚名を受けよう」うなだれて認めると、兵らもがっくりと戦意を失う。


 駆けてきて縄を打とうとする兵に「徐将軍は捕虜を認めた、辱めるような真似をするな愚か者が!」一喝すると平伏して退く。


「徐将軍、立って兵の武装解除命令を」


 助け起こそうとする側近を差し止めると、自らの足で立ち上がる。激痛が走っているはずだ、それなのに痛そうな素振りはしないか。


「全軍に告げる、戦闘を中止し武器を捨てよ。この戦、我等の負けだ」


 その後、急速に戦いが終息していった。残るは一軍、こいつが一番厄介だろうな。


 軍陣を放っておいて、南の山地へと居場所を移した。徐晃の命令で軍の半数が武装解除に応じ捕虜となる、残る半数はこの場を退き韓軍へと移った。


 凡そ三万弱か、張軍も合流すれば仕切り直しになるが、『趙』の軍旗を盛んに打ち立てたせいでこちらに向かって来る。


 趙雲の残兵には軍陣を守るようにさせてあるが、こちらもほぼ同数の兵力だ。防衛に徹することになれば負けはないが、時間が惜しい。あちらの主将は前に出て来るだろう、それを討ち取りたいがそうそう上手くもいくまい。これが戦だ、局地戦で幾ら勝っても全体で負けては意味がないぞ。


「趙将軍、戦況をどう見る」


 ザクッとした質問に、老将軍が所見を述べる。俺なんかより遥かに真面目に戦乱を生き抜いてきた、意見はあるだろう。

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