第63話

 驚いた表情を見せた後に「お言葉通りに」一礼して咳込む。恐らく長くは無いんだろうな、出来れば戦が終わるまでは小康状態を保ってもらいたい。内城に入ると直ぐに寝室へと向かう。力なく横たわると一息ついた。


「情けない恰好で失礼いたします」


「養生するのは国家の為だ、何一つ後ろめたいことなど無い。漢中を維持できているのは称賛されて然るべきだと俺が認める」


 大軍と戦い陥落していない、それだけで充分な働きだ。太守の役目を果たしているし、これだけの敵を引き付けているんだ、文句などない。


「ありがたく」


 咳込んでから深呼吸して息を整える。落ち着くまで黙って待ち、こちらを向いたところで口を開く。


「趙将軍は?」


「鎮東殿は武都郡の下弁県に本営を置いておられます。夏侯楙の牽制も行えるように、中間地域に軍を進めてのこと」


 だろうな。涼州は夏侯楙で、こちらが曹真か、すると永安方面はまた夏侯尚って三点セットってわけだ。それにしたって三万では正面決戦など出来ようはずもない、糧道の攪乱に暗夜の奇襲くらいしかな。


「長安方面の情報は無いか?」


 あちらも攻められてはいるんだろうが何も聞こえてこない。もしかして陥落している?


「城門を閉ざし時機を見計らっております。雍州刺史は不在、各地がバラバラに抗戦を」


 各個撃破を待つのみか、孤独な籠城では士気の低下が著しいぞ。何とか入城して統率を得たいが、このあたりの情勢も解らずに突っ込むわけにも行かん。


 魏延に連絡が取れれば明らかになることが多いだろう。あいつが北部全域をカバーしてくれれば良いが、涼州に押し込まれているならばそれも難しい。つまるところ劣勢は悪循環するというわけだ。


「中央から軍は来ない。手持ちの軍勢で全てを行う必要がある」


 何としてでも蜀の存在を知らしめねば。だが今は直ぐに動くことが出来ん。歯がゆい思いが強い、見えているのに届かないもどかしさ。


「島右将軍、漢中は持ちこたえてみせますゆえ、どうか国をお救い下さい」


 小さくせき込みながら頭を垂れて願う。すがる相手が間違っているとは言わんが、それは首都次第だ。だが俺を頼るやつを見捨てはせん。


「嘩萌関に防衛兵力を少しだが寄せた、ここを抜けられても多少はせき止めることができるはずだ」


 城だけを守るならば何とかなる、負担を減らして心労を取り除けたら幸いだ。傍らで黙って立っている羅憲が中空を見詰める。


「この漢中、住民を動員して二か月ならば魏軍を防げます。漢中軍をお使いください、鎮東殿はもっとお困りのはずです」


 動員兵だけで守り切れる程戦争は甘くないだろうな。だがここで籠っていても勝てはしない、ならば前に進むのみだ。


「漢中軍の代わりに南蛮からの民兵団を防衛に残していく。二か月以内に必ず増援を率いて戻る、それまで蜀の国門である漢中を守ってほしい」


 訓練兵を正規兵に替えられるならば、軍隊として充分な戦力を期待できる。俺の指揮に従ってくれるかが問題だが。


「非才の身なれど、全力で。広場で訓示を行います」


 お見通しなわけか、さすが張裔太守だ。正式に指揮権の委託を受けた、不満がある者はこの時点で置いていくことにし、漢中軍一万を得て民兵五千と交代。


 李封と南蛮軍五千、漢中軍一万、霍礼翊軍校尉と永昌騎兵二百、鳳珠羽空王と南蛮騎兵五百、羅憲に陸司馬と親衛隊、益州で集めた地方の警戒軍一万。雑多な集団だな。それと夏が終われば南蛮兵は役に立たなくなる、いずれにしても時間制限はよく見ておくべきだ。


 漢中兵を抜いたことを悟られてはならん、軍旗は差し替えだな。漢中軍と警戒軍に『右』の旗を与えてひとまとめにする、これは右都督の権限で運用するとしよう。他の地域の軍旗ではあいつらも気分が良くないだろうしな。


 訓示を終えると、日を跨いで移動を行う。城外に築いた簡単な砦は漢中に残る正規兵二千が詰めて守ることにして、南門から西回りで戦場を離れた。


「島将軍、後方に魏の接触部隊が」


 羅憲が監視をされていると指摘して来る。どこに行くのかを調査する、当然だな。千程の監視兵か、どこかで撃破する必要があるぞ。


「二日位は様子を見ておこう、その後は鳳珠羽空王に蹴散らすようにさせる」


 北西へ向かっているとだけ魏軍が知って、その後は長安へ走れば逆をつける。何せこちらの偽情報は疑ってかかるが、密偵なりの報告はそれなりにすっと飲み込んでくれる。


 そのあたりの機微を理解してくれれば良いが。今のところは出来ることを直ぐにしないのに疑問を持っているといったところか。四方五里に斥候を出してどこに布陣をしているかを探らせた。山中を進むこと二日、下弁県の直ぐに東にある河池県に魏の軍勢を見つけることが出来た。


「山間に陣取る魏軍は凡そ二万、軍旗は『徐』『王』の旗を掲げていました!」


「確か徐晃と王忠とかいうやつらだったな。一つ手土産だ、それを叩くぞ」


 後方の接触部隊を蹴散らすように命じて後に地形を読む。北東方面、三日月型の街道が取り囲んでいる山地。包囲して攻めると上手くない、北部へ逃げ道を残しつつ三面から攻めるぞ。趙雲ならばこちらの動きを見て西から攻めてくれるはずだ、南と東から押すぞ。


「李封、南蛮軍五千を率いて河池東の山岳に伏せろ。俺が南から追い立てる、北を開けておくのを忘れるなよ」


「畏まりました」


 さて、二万の軍を俺が動かすわけだが、間を取り持ってくれる部将は居ない。二十の大隊を個別に指揮する形ってわけだ。


 取り違えを起こすと混乱する、部隊に番号を割り振っておくか。それと羅憲を秘書として動きを学ばせる、これだな。ん、そう言えばあいつは読み書きが出来るんだろうか? 王平のやつは出来なかったからな。


「羅憲、一つ聞くが字は書けるか?」


 とても将軍と幕僚がするような話題ではないが、重要事項だぞこれは。


「焦周先生に師事していましたので不自由なく」


「そうか」


 出来るならそれで良い。その先生は一体何者やら。文官としてやっていけるのに政務官として地の果てで県長をやっていた、そこで戦いをしていたわけだから大したやつだ。


 馬上に在って他愛もない話を続ける、そのうち後方の接触部隊は散り散りになって逃げて行った。


「よし、針路を変えるぞ。霍礼翊軍校尉、後をつけて来られないようにここで警備を行い、明日追いついて来い」


「承知致しました!」


 鳳珠羽空王を引き戻して司令部に置く。席次ではこの南蛮王が二番だ、王では解りづらいが将軍と同格と見ている。何せ太守と同じように、行政官として万の住民を得ているわけだからな。


 曲がりくねった山道を苦労して歩き続ける、道というのがどれだけ有り難いかが身に染みるね。二日でようやく目的の場所に辿り着いた。李封の奴はあと半日はかかるだろうか、どちらにしても戦闘で時間はかかる、すぐに仕掛けたってかまわないな。


 軍旗をおろさせて山林から北を臨む。さて向こうはまだ気づいてはいないようだが、昼と夜、いつ仕掛けるべきだろう。


「羅憲、お前ならどうやって攻める?」


 意見は聞いておこう、何かしら名案が飛び出す可能性もあるからな。こういったことは頭脳が幾つあっても良い、百度に一度だけの頭しかないやつでも、その一度で戦況をひっくり返すことがあるからだ。


 質問されて周囲を見渡し、木に手を当てて上を見る。何かありそうだな、こいつは楽しみだ。急かすことはせずに考えがまとまるまで待ってやる、するとこちらに向き直る。


「魏軍は山の中腹やや上に陣取っています。これは水源と防御効果を鑑みての配置でしょう」


 純粋に防御するだけなら高地は極めて有利だ、それでいて後ろが無い頂上ならば最高とすら言える。問題は水と食料。食べるものは何とかなるとして、水だけはそうそう確保しておけない。


 なにせ置いておくと淀んで腐ってしまう、万の人間が生活出来るようにするためには大量に水がいる。運ぶのが大変で、邪魔をされても何とかなるギリギリがあの中腹ということだ。


「だろうな、どちらにでも変化出来る位置だな」


 頂点の感覚でしかないが、徐晃という歴戦の将軍ならば間違えることはない。


「夜間に裾野で山火事を起こします」


 ふむ、すると普通ならばその場を離れるだろう。これが戦争で、対陣中でなければの話だ。木の乾燥具合を確かめていたわけか、これならばそこそこ燃えるだろうな。


「多少は延焼するはずだ」


「蜀軍の焼き討ちと考えるでしょう。それは趙鎮東将軍の陣でも見えます」

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