第62話

 翌日も陽が暮れるまで山道を行き、道を挟むようにして左右の山に拠って野営を行う。余程の阿呆でない限り、この間の道を通ろうとはしないよな。隠れているわけではない、軍旗はあちこちに翻っている。そんな場所を無事に通り抜けられるはずがない、味方でない限りは。


 向こうの野営は李封にやらせている。こちらのは羅憲に任せてみたが、上手い事設置したものだ。実は軍を指揮することが出来る……とかだったら嬉しい誤算だな。


 陸司馬は親衛隊を指揮して、全くの別行動。近くに侍ってはいるが、軍勢とは無関係に警戒を行っている。俺の安全はお前に預けているよ。


 漢中に入る前に趙雲に一言入れておこうと向かわせた伝令、無事に入城しているだろうか。兵力こそ地方を回って二万になっているが、戦えるのは半分ぐらいだろうさ。何とか警備を出来れば良いが。


 訓練すらまともに出来ていない兵士など、ごく潰しと思っていた方がいい。それでも目が付いていて、手足があれば案山子よりはマシな働きが出来る。役立たずを上手く使ってこその将軍だ、民兵に無理はさせられん。労役程度の仕事を割り振っておしまいだな。


 夕餉も行き渡り、短い自由時間。そろそろ寝ようと拡げてあった書類を片付けて、幕の火を消そうとすると騒がしさが伝わって来る。何かあったな。陸司馬に軽く視線をやった後に幕を出た。篝火を背にした立哨が振り向く。


「将軍、漢中兵が敗走中です!」


「なんだって!」


 敗走だと、最早漢中が落ちたとでもいうのか! 事実確認だ、伝令はどうなっている。山の上から道を覗いてみるが暗くてはっきりとしない。騒がしい音は聞こえて来る、偽装ではあるまいな?


「羅憲、兵百で様子を見てこい。決して戦うな、状況を確認するのが目的だ」


「畏まりました!」


 返事をすると本営の護衛兵を連れて直ぐに走っていく。うーん、もし漢中が落ちたならばこの手勢で奪還可能だろうか?


 防衛態勢が整う前に取って返せば或いは。だがしくじれば嘩萌関で防衛しつつ、間道を捜索するしかないぞ。


 張裔太守は城が落ちてもきっと逃げないだろうな、戦争の責任を取るためにその首を必要とする。太守が居なければ、次席が責任を問われるだけだ。鳳珠羽空王も武装して近くに待機し、恐らくは李封も命令を待っているだろう。ややすると息を切らして羅憲が戻って来る。


「敗走しているのは城外、南に駐屯していた兵で、漢中城左右から抜けてきた魏兵に追撃を受けている模様。漢中は健在です!」


 迸るように欲しかった情報を吐き出す。そういうことか、やはり兵力不足というわけだ。


「追撃している魏軍を挟撃する、重装備の隊を道の前後に置いて敵を逃すな。左右より押して包囲だ。李封ならば伝令を出さずとも行動を合わせて来る、羅憲はここより右手の端を兵五百で封鎖しろ」


 連絡に齟齬は出来るが、やつなら理解しているはずだ。ここは騎兵の出番じゃない、歩兵の戦場だ。


「御意!」


 伯長を五人指名して奥へと移動していく、こちらもやることをやらねばならんぞ。重要な前後の封鎖部隊、そこに手練れを送り出して柔らかい脇腹をつつく。身の周りは親衛隊が取り巻いている、指揮に集中だ。


「松明を道路に投げ込め! 魏軍に射かけろ、狙う必要はない、姿を見たら大体で構わん!」


 前衛の戦列兵は片膝をつかせて待機、手すきの奴らには投石をさせる。逃げ場は無いぞ。右手で魏兵が大渋滞を起こす。羅憲の奴がせき止めたな、圧力は半端ないはずだ。


 さあ李封押し込め! 機会を逃せば混乱から立ち直る、その前に一気に叩くんだ! 推移を見守る。ここでダメなら戦術指揮に疑問ありの評価をせねばならん、お前なら気づけるはずだ。仁王立ちのままで道に揺らめく影を見詰める。喚声が一段と大きくなった、暗夜に響く怒声が倍増する。


「射撃を中止! 戦列兵、道の脇まで進め!」


 最前列に民兵が並び、肩を寄せ合い人壁を作ってゆっくりと進む。二列目には督戦兵として、南蛮軍が控えている。戦う必要はない、それは李封がするからな。逃げて来るような魏兵が居たら押し戻すんだ、まずは勝利することを覚えさせるぞ。


「声を上げろ! 叫べ、敵を圧倒しろ!」


 切り結ばなくても敵の士気を下げることは出来る。大勢で腹の底から声を出させる「魏兵を殺せ!」と。いきなり湧いて出た蜀の大軍、地理不案内、暗くて見えない上に追撃して有利だったのが待ち伏せを受けた、魏軍は大混乱を起こす。


 数時間、状況も解らずその場で身を寄せて戦い続けた。太陽が暗闇を打ち払う、薄暗い夜明け、道に転がる多数の魏兵。あたりを見ても蜀の軍旗が林立し、完全に包囲されていた。絶望を知り、互いに目を合わせると矛を捨てて道に座り込む。


「勝鬨を上げろ!」


 蜀の兵士が喜びの声をあげた。民兵も初勝利で大興奮する、もしかしたら戦えるのではないかと思ってくれたら充分だな。寝不足だがここでもう一泊とも行かんだろう。


「捕虜は武装解除して嘩萌関に送れ。漢中へ向かうぞ」


 せめて飯だけは食わせてから兵を進める。一晩位ならば寝起きはなかなか頭がはっきりしなくても、一度覚醒してしまえば眠気は無い。自分の体験からこのくらいならば平気だと断定してしまう。大体にして将軍が同じように起きて動いているのだ、若者が弱音を吐くことなど出来ようはずがない。


 曲がりくねった山道を北上、やがて城が見えて来る。城外は魏軍が緩く包囲していて、南側も魏軍が駐屯していた。ふむ、これでは補給も受けられんな。あれは蹴散らして、城外陣地を一つ作っておくべきだ。


「李封、一万であれを蹴散らしてこい。南塞を置けるだけの範囲で構わんぞ」


「はい、ご領主様!」


 南蛮軍五千と地方軍の五千を率いて李封が北上を続けた。こちらはここで待機だな。民兵は観戦させておくとして、流石にあいつ一人ではきついだろう。


「陸司馬、お前も行って李封の補佐をしてやれ。親衛隊も半分連れて行くんだ」


「ご命令通りに!」


 騎兵が本陣から抜け出て前衛部隊に溶け込んでいった。城内からの呼応は半々だな、趙雲が城内に居るようなら出て来ることもあるだろうが。


 翻る軍旗に『趙』というのは無いからな。河を挟んで対陣するはずがないから、漢中より北西あたりに陣を置いているんだろう。様子を見て魏延とも協調行動出来るようにするためにはそれしかない。


 おかげで漢中周辺で兵力不足だよ。だがそれでいい、閉じこもっているようでは未来は拓けないからな。あれは孟達の軍か。忠誠心を試す為に常に最前線に置かれているんだろうな、鞍替えした武将の宿命だよ。


 真後ろから攻められた魏軍が驚いて防戦一方で押されてしまい、軍が左右に割れた。漢中城は援軍に沸いているように見える。


 俺の軍旗を見てガッカリという線も捨てきれんがね。しかし、李封のやつ、孟達軍に全く劣らんな、良いことだ。


 城の南凡そ五百メートルほどにある小高い丘を占拠する。そこに司令部を置いて『李』の軍旗を立てた。中央に余裕を持って円陣に切り替えて防衛の構え。


「よし、こちらも進むぞ」


 更に一万の増援とあって孟達軍は攻めるのをやめて撤退していく。無謀と勇気は違う、戦況が変わったなら速やかに退くのが正解だ。


 小高い丘で合流、直ぐに民兵に土木作業を命じる。元々兵など土工の方が得意な奴らが多い。


「ここに砦を置くぞ、土塀を作り木柵を置け。それが終われば塔を置いて、堀を作れ。南への道に倒木を重ねて行軍を阻害だ、ほれ急げよ!」


 敵と戦えと言われるより遥かに目算が立つ、ここでは徴兵された奴らが大いに働く。


「李封、ここは任せる。俺はちょっと城へ行って来る」


「承知致しました」


 鳳珠羽空王と羅憲に騎兵を率いさせて漢中城の南門に近づく。城壁の上から矢を射かけられても驚きはしないよ。名乗りを上げるまでもなく、城門が開いた。そこには張裔太守の姿が。病では無かったのか?


「島右将軍の援兵、ありがたく」


 多少咳込みながら両手を前に出して歓迎の意を示した。無理をしているんだろうな、休ませてやろう。


「出迎えご苦労だ。詳しい話は中でするぞ」


 そう言ってやりすぐさま内城へと進む、ここでも騎乗したままで構わないが、張裔と小声で話をするために下馬した。気を使って供回りが少しばかり離れて歩く。


「張太守、加減が優れないと聞いたが」


「面目御座いませぬ。歳でしょうか、起きているのも苦労する始末」


 やはりそうか、ここで倒れられてはこちらが困る。


「城に入ったら横になって欲しい。話はそこで、これは俺の命令だ」

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