第58話

「漢中や涼州は耐えられるでしょうが、永安方面は支えきれますまい。増援の三万は欲するでしょう」


 冷建威将軍が一万の治安軍で防げるのは、地形を最大限味方にしても五万までだろうな。それだって陸上のみで、水軍が出てくれば全く話にならんぞ。


 防衛策が機能しているならば、呉鎮軍将軍の遊軍が駆けつけるはずだが、それだって一万そこそこのはずだ。関東の兵を集めて増援に出したとして、到着まで守り切れるかは疑問が残る。


「寥化の阿呆が停戦して防衛に兵力を向ければ良いが、そうならない場合のことを考えて動くぞ。永昌に水軍の一部を残してある、それを運んで対処の一部とする」


 はずは永昌郡に早馬を仕立てて、即座に準備をするようにだけ命令を出す。印綬は仮の南蛮牧ではなく、右将軍右都督のものでだ。


「蘭智意将軍は歩騎五千で巫城の増援に向かえ、後続に越俊三郡より二万を送る。それまで戦線を支えろ」


「御意! 直ぐに軍備を整えます!」


 時間が惜しいと一人軍議を抜け出してゆく。事の次第は続報で届けるとして、兵糧の用意はしてやらなければならない。


「ご領主様、各種支援物資の準備命令を出しております。三日後には出発できるはずです」


 李信のやつきっちりと戦が解って来たな、嬉しい限りだ。頷いて事後承諾で命令を有効にしてやる。今頃は成都の朝廷でも大騒ぎしながら対処か。孔明先生も聞き及んで、一人対抗策を練っているに違いないな。


 俺は外で動ける駒として、要所で働けるような控え方に留意する必要があるか。中県の包囲も解ければ良いが、あいつは意固地になって命令を取り下げないような気もする。国軍の温存が出来ると前向きに受け止めるとしよう。


「南蛮州の姿勢を布告いたしますか?」


 郤正記室参軍が州内への取り扱いについての是非を問う。何が起こっているかを民が知る必要はないが、各級地方の統治責任者に報せないわけにはいかん。俺の取る態度は決まっている、今更曖昧にしたり隠すこともあるまい。


「郤参軍、南蛮州は全力を以て敵を阻む。この方針に反する一切の官吏を停職処分にし、謹慎を命じると布告を。内容は任せる」


 解職するまでのことは無い、人材の離散を避ける為にも謹慎で留めるべきだ。


「御意に」


 一気に治安が乱れるぞ、準備期間が短すぎるが走らないわけにもいかない。結局兄弟を頼ることになるとは情けない限りだ。あいつは笑って気にするなって言うだけなんだろうがね。


「中南大将軍孟獲大王にも伝令を。現況報告だけで良い、あとは向こうで判断してくれるさ」


 細かいことは言わない、兄弟が思うように動いてくれればそれで良い。軍道の保持に徴兵、補充兵部隊による巡回命令。密偵の一斉取り締まりに、呉の警戒もか。そこにきて蜀軍への注意もせんとならんとは、込み入るのもほどほどに願いたい。


 今俺はどうして笑っているんだろうな。大変な時ほど笑みを絶やすな、それが指導者の義務か。


「諸官に告げる。蜀はこれより未曽有の窮地に立たされるだろう、各位の努力に期待する。それと」緊張の面持ちの者があまりにも多いので「暫くは帰れなくなる、今日は家に戻り妻を目一杯愛でておけよ」


 冗談を言い放つと一気に肩の力が抜ける。ふふ、それで良い。凝り固まっていては力は発揮出来んからな。



 蘭智意の軍が出立し、州内で徴兵が盛んに行われる。内戦ではなく国家の危機とあって軋轢は少ない、軍需物資も蔵を開いて放出する。寥紹のやつは本当に南蛮をよくまとめてくれていた、感謝の言葉しかない。困ることが無いだけの物資に人材、地方の治安も今は良好で発展の兆しがある。


「ご領主様、昆明より親衛隊が到着いたしました」


 侍っている陸司馬が、残り全員がやって来たと報告してきた。まだ傷が癒えるには早いが、この状況で昆明で寝ていろと命じるのとどちらが酷か。少なくても俺なら負傷中でも軍営に詰めるぞ。だが無理をさせてはいかん。


「待機だ、負傷者に別命あるまで控えさせておけ。だが一たび事が起きれば傷をおして戦って貰う」


「ご命令の通りに」


 意図を感じ取って速やかに引き下がる。孟獲のところでも動員が掛けられたらしい、やって来るのはまだ少し先だ。そのうち治安維持の代行を頼むことになるだろう。第二報では旗印の種類や、兵の編制や行軍速度などを携えてきた。


 三日気を失っていた最初の伝令に向こうの現状を聞き、李項にどうすべきかを含めて戻すことにした。中県が陥落せずに防戦中のことなども併せて教えておく。一人では危険なので、傷が浅い者を選んで十人の親衛隊を共につけてやった。


「高将軍から受諾の返事が来ていたな。国境に張り付いた蜀軍は動かずにいるらしい、あいつらが増援に出れば二倍の数が動かせると言うのに」


 現地の兵らに罪は無い、彼らは命令を守っているだけだからな。北部の状況も知りたいが距離があり過ぎて上手くない。あちらは魏延を信じることにしよう。慌ただしく動き回る雲南、ひっきりなしに各所から伝令が駆け込んで来る。その中に重要な報を抱えているのが混ざっていた。


「霊平県に呉軍が侵入してきました!」


 やれやれだ、火事場泥棒に忙しいらしいな。永安を呉が攻めないなら、共同軍を出す意味がない。それならば今後の為に下準備をしておくつもりなのか、それともどさくさに紛れて南蛮に手をだすつもりなのか。


「主将はどいつだ」


「交州刺史立武将軍歩協です!」


 そいつは一体何者だと黙る。すると崇黄参軍が囁いた。


「先の交州刺史立武中郎将、現在の驃騎将軍冀州牧平戎将軍広信侯歩隲の子で御座います」


 将軍が二つあるが、後者は外交官の類らしい。蜀で言うところの護羌校尉などのアレだ。なんのことはない、呉の大物の息子が功績をつみにやって来たんだろう。


 兵力は一万程、うち部曲兵が三千も居るとはおぼっちゃまなのかもな。とはいえ数は力だ、これを放置は出来んぞ。これを一つの機会と捉えて俺が動くとするか。そうなると雲南は李信に任せるしかない。


「李封に伝令を出せ、俺が行くから準備だけするようにとな。鳳珠羽空王に出動準備をさせろ」


 さてあいつは何ていうものかな。一大事だと言うのに心が躍る、余裕があるってことだと思うとしよう。


 州内で蜂起するならこの瞬間だろう、これを上手く押さえることが出来れば李信も領地経営が出来るようになる。失敗しても生きてさえいれば取り戻す、授業料だと思ってここは出撃だ。



 翌日の夕刻には霊平県の北西の山地に辿り着いた。南蛮騎兵五百に親衛隊五十、陸司馬は置いてきた。こちらには李封が居るのと、李信の護衛を密かに命じて。


「ご領主様、霊平県は一万の軍勢に包囲されております」


 偵察が状況を監視だけしている、布陣は一般的なもので特徴は無い。城を囲む軍勢を四方において、木柵で囲い補給を遮断、本営は東の小高い丘にあってそこに大将が居る。教範にでもありそうな攻めだな、山岳の隘路に検問も置いているそうだ。


「間道の調査は」


「してあります。案内出来る兵をご用意します」


 後は羅県長がどう判断するかだ。俺はあいつを殺してしまいたくない、上手い事乗ってくれれば良いが。


「それと山道の上に落石の準備もして御座います。これを除かねば追っ手も掛けられないでしょう」


「ほほう、そいつは用意が良いな」


 こいつも一皮剥けたか、己の判断で行動出来るようになれば一人前だよ。ではあの策を実行することにしよう、鈍重な歩兵一万ならば問題ない。


「明日の朝一番で間道を迂回する、お前は手勢を率いて霊平の西門に向かえ。癒笙兵を山道の西に置いて離脱支援をさせる」


 道を確保さえしておけば取り残された軍兵は戦いながらでも後退可能だ。寡兵とはいえ騎兵が五百五十居る、この衝撃力を止めるのは容易ではない。


「羅県長はどうでるでしょうか」


「どうもこうもないさ、逃げるのを承知するしかな」


 余裕の微笑を浮かべて結末を予言する。あれだけ否を張っていた人物がどうして逃げるなどと言うのか、李封には解らないようだった。夜であっても警戒だけはさせておく。睡眠時間をスライドさせてやり、全員が作戦に参加する。


 案内についていき、うねる間道を進んでどこかの林に出た。獣道という奴で、地図には無いし地元の猟師が知っているだけの細い道、同じところを帰れと言われてもきっと無理だ。位置が高いのか低いのかすらわからない林。兵の話では霊平城の南側に居るらしい。


「まずはメシだな」


 適当に食事を取らせる、火は無しで握り飯と干し肉に朝のうちに作ったおかずで腹を満たす。この時代にしては大盤振る舞いで、親衛隊だけでなく南蛮騎兵も大喜びで口にしている。


 ま、食うもの位満足いくようにしてやりたいものだからな。それにしても旨そうにしてる、こっちが嬉しくなるような喰いっぷりだ。


 兵士の間を歩きながら「俺の生まれ故郷では、魚をたっぷりの野菜と焼いて、味噌をつけて食うんだ」味噌を知っているはずもないが語ってやる。河魚も少ない地域で育った奴らは不思議な表情を浮かべていた。


「俺についてきたら旨いものを食わせてやる。調理方法次第ではあるが、色々と案はある」


 ここに入っていると自分の頭を指さして笑う。南蛮騎兵らもにやにやして「大将の下に居ると愉快だ。飯は旨いし、戦は激しい、最高だな」大笑いした。将軍という高い地位に居ると話しかけづらい者が殆ど、それがここにはない。身近にいる人物、その印象が極めて強い。


 一度戦いが始まれば命を懸けるが、それ以外ではこのままでも良い。だが命令違反者には一切容赦はせん。なれ合いとメリハリをつけるのとは違う。それを理解していない者も少数だが混ざっていた。それらは李封を始め、鳳珠羽空王にこってりと絞られている。


 偵察が戻って来る。ここは霊平城の南五キロ地点あたりらしい、呉軍の司令部は北東に七キロから八キロ。騎馬で向かえば駈歩で二十分前後、奇襲になるぞ。


 李封の軍は千人、西部の包囲を突き抜けるくらいなら出来る。守りを乱すのを目的にしてちょっと脅かしてやるとしよう。全員騎乗を命じる。騎射する者は短弓を、それ以外は矛を手にして武装待機。


「丘の上に居る呉の小僧に挨拶をしに行くぞ。歩兵が五千程いるだろうが、狙うのは司令官の幕のみだ。その後は撤退部隊の援護に回る、引き際を間違えるなよ!」


 敢えて軍旗を立てずに持つようにさせる。林から姿を現し、整然と並んで包囲軍の南側を駆けた。こちらを目にして指さす者も居るが正体不明で何もしない。上官に報告すると目を凝らしてどこの部隊か首を捻る位の間抜けっぷり。


 ここに呉軍以外が居るとしたら味方じゃなかろうに。半分以上進んだところで軍旗を掲げさせる。『島』『南蛮』の軍旗が翻ると呉軍に動揺が起こる。


「進め!」


 二重、三重に司令部を囲むように兵士がいる。それらを敢えて真正面から衝突するように進んだ。逃げ遅れた兵が騎馬に跳ね飛ばされ、踏みつけられて即死する。


「しょ、蜀軍の奇襲だ!」


 今さらになり警告を発する、ないよりはマシだが遅すぎる! 俺も矛を左右に振るって雑兵を刈り取った。周囲を親衛隊が囲んで防御の態勢になると、丘から霊平城を見る。李封の部隊が到着したようだな、包囲軍が乱れている、こちらに増援に来る奴らも居るな。


 司令部が攻撃を受けていれば助ける、当然と言えば当然だがそうなれば持ち場が空っぽになる。どちらが優先するか、それを判断するのは指揮官次第。行動にばらつきが出て来るのは必然。


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