第57話
「あれが城主の羅憲です」
おっと老人かと思ったが若僧だったか。少し面白くなってきたぞ。
「何度来られようと返事は変わらぬぞ、李別部司馬よ!」
ほう、騎兵団を目にしても怖気づかずか。
「俺は使持節右将軍右都督領南蛮牧島中侯だ。名乗れ!」
これで官職を省いているんだから長いよな。城兵が動揺しているのがわかる。
「それがしは蜀の霊平県長羅憲、州刺史が交代したとは聞き及んではいない」
ふむ、こいつは頑固だぞ。もう少しひととなりを知りたい。
「寥刺史は雲南城を捨て、南蛮を捨て首都へ戻った。ゆえに俺が事後を得ている。南蛮五州、残るはこの霊平県が従っていないのみ」
詳細なんてわかりゃしないさ。それに時間の問題だ。
「そうであろうと城を明け渡すわけにはいかない。霊平の民を皇帝陛下よりお預かりした以上、蔑ろには出来ん」
うむ! 良いぞ、こいつは使える。ここで説得は困難だろう、一旦退くとしよう。
「良かろう、その場で聞け。羅県長の意志を認める、これからも蜀の為に働いてもらうぞ」
ご機嫌で大笑いして場を退く、全ての兵を退かせ山をおりた。癒笙県軍は辿り着いた直後にとんぼ返り。
「癒笙県に入り一晩休み、雲南へ戻るぞ。次の段階へ計画を進める」
陽も傾いてくる、歩兵を置いて俺達だけでも先に帰るとしよう。騎馬して街道を移動がてら今後の予定を伝える。
「ご領主様、屯している間に呉の密偵を複数捕えました。少し数が多い気がします」
呉の? 地理的にそれはあるだろうが、僻地に言う程人員を割く理由があるとしたらなんだ。こちらが攻めず、探りを入れていたなら反諜活動? 李封の軍が攻め込むように見えた可能性はあるが、違う気がするな。
「お前はどう思う」
こういうのは言い出したやつの意見を尋ねるのが一番だろう。何かしらの答えを持っているものだからな。
「交州より侵略の準備をする一環でありましょう」
「なぜだ」
離れた県を切り取り山岳を封鎖してしまえばそれまでだからな。こんな山間の県を奪ったところでなんだってことだが。
「先だって長江で水軍が撃退されました。北西の山岳路を迂回にし、巴郡南部に出現、巴東を挟撃する出城の役割を求めているのではないでしょうか」
俺が抜けてきたわけだから、一か月もあれば迂回は可能だ。永安は一本道だから防衛出来ている、下を抜けられると厳しいな。このあたりに進撃拠点があれば兵糧の供給も距離が短いか。巴東を奪われては以後の防衛が待ったなしで、首都が危険にさらされてしまう。
「可能性はある。ではどうする」
そこまで読んでいるなら考えがあるはずだ。馬の足を止めずに問う。間諜も屋外で馬上では聞き耳をたてるわけにもいかない。
「城を守るは戦術、ならば目的をくじくが戦略。もしお許しいただけるならば、霊平県を破壊し住民を山に西に移します。街道を封鎖し、山の西に塞を置いて迂回に時間が掛かるようにさせます」
「むむむ」
進路をとる意味を消失させるわけか! 確かにそうされてはそうされては呉としてはどうにもならんぞ。欠点は住民の処遇と、こちらの進撃路としても利用不能なところか。だがここを通り攻め込むことはないし、住民など少ない、どうとでも強制移住させられるぞ。封のやつ、いつの間にか視野が広くなったものだな!
「策を講じる、お前は今暫く雲南に戻れなくなるぞ」
「なんなりとご命令下さい!」
癒笙城に入り謀議を詰める。二人の参軍も立ち会わせ策の概要を説明すると唸りをあげて頭をたれた。
どこか自信を失ったかのような表情で、こころなし影を落としているようにも見える。こいつらはこれからの人材だ、委縮されては困るぞ。
「良いか、お前達に足りないのは能力ではない。幕に入れたのは才能があると感じたからに他ならん」
こいつは本当だぞ、そこらの同年代より頭一つも二つも抜きん出ている。ひとりずつしっかりと瞳を覗き込み、真剣に言っているのを伝えようとした。
「考えが至らんのは経験の差でしかない。俺がお前らの歳の頃は、全くだった」
苦笑いして首を横に振る。実際に誰かの下で言われたことを守るので精一杯だったさ。
「ですが十年、二十年後に将軍の考えに至るとは想像出来ません」
黄崇が肩をすぼめて下を向く。こいつは勘違いをしているぞ、新入りでは仕方ないか。
「小僧が気落ちをするな。俺は既に軍に染まり永年経つ、積んできた時間を見誤るな」
少し大げさに言ってやる、参軍らがどれほどかと思いを巡らせた。先輩である李封が二人に説明を加える。
「ご領主様は、諸葛丞相の幼少時、予章は梅県城でご縁をもたれた。その頃、既に佐司馬として防衛部隊の指揮を執っておられる」
「じょ、丞相の幼少時というと、四十余年と!」
参軍らが驚きで一杯だ。そりゃそうだろうさ、十五歳で隊長だったとしても俺が老人の計算だからな。人生五十年、六十歳までいけば長老様の仲間入りだよ。一応今、六十五歳って推定年齢になっているわけだ。実際は三十代後半にしか見えんだろうがね。
「不老長命を授かっている、だからといって仙人ではない。お前達と何一つ変わりはしない。腹も減れば、眠くもなるし死にもする。良いかこの俺が認める、胸を張り前を向け!」
「ははっ!」
一つ仕置きを終えて雲南へ帰還すると次なる報せが舞い込んでくるのであった。
◇
夜間だと言うのに寝所に伝令が大慌てでやって来る。上に衣を羽織るだけで直ぐに寝台のところへ招き入れた。目を腫らした兵、赤の旗指物がやけに乱れている、こいつは大事が起きているぞ!
「報告致します! 魏軍が荊州方面より大挙して侵入してきております!」
大雑把な第一報、だがそれだけに価値がある側面もあった。
「お前はもしかして?」
「はっ、李項将軍の手の者です! 荊州より雍州南東へ侵入、長安南を通過し漢中へ向かっている模様」
うむ! 李項の奴は無事で、こちらの動向を把握しているわけか。長躯して一睡もせず事の次第を伝えに来たわけか。だが今しばらく我慢して貰うぞ。
「魏の主将は」
「中軍大将軍都督中外諸軍事仮節鉞曹真です」
負けて昇進するとは魏も末期症状の同族経営だな。しかしそれに対抗出来ねば認めたも同然だ、寥化はともかく魏延ならば側背を攻撃するだろう。
「規模は十万か二十万あたりか」
それ以上になると後方基地として長安周辺を攻める必要がある。長距離の輸送は出来ないぞ。
「漢中方面に十万、涼州方面に十万、永安方面に十万です」
くそっ、三倍の物量ってわけか。函谷関を保持しているならば、長安南東の山間狭隘地で防衛しておけば後背地が出来たと言うのに! 懐に入り込まれてしまえば押しとどめる策はもう使えない、曹真を討ち取る案が浮上はするがどこまで進出してくるものか。
「第二報が届くだろう。お前はここで休んで構わん、直ぐに雲南で軍議を開くぞ、主だったものを招集だ!」
返事をすることも出来ずにその場で倒れてしまった伝令を、今まで使っていた寝台にまで運んでやり着替える。ここをどう捌くかで蜀の未来も俺の未来も変わるぞ。全体がギクシャクしてる今だからこその決戦兵力で攻めて来る、こいつは曹丕の度量ではあるまいな。
いち早く太守の座につくと皆が集まるのを待つ。一番乗りは陸司馬、次いで李信だった。そこからは武官を先にして文官らが集まって来た。挨拶もそこそこにまだ外が暗い中、燭台の灯りを頼りに軍議を開催する。
「魏軍が蜀に侵入してきた。三軍合わせて三十万の軍勢だ」
聞き及んだ中で最初に伝えるべき重要情報をまず開示する。どこに向かって動いているかを明らかにして、第一報であることを補足した。蘭智意が一歩進み出て意見する。そうだ、こうやって自分の考えを述べて欲しかったんだ。
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