第55話

 この場で誰よりも階級が高いのがこいつだ、相応に報いてやらねばならんな。


「うむ、頼むぞ。奮威将軍は最前列へ」


「ははっ!」


 中央に敷いてある絨毯から、武官列の先頭へと居場所を移す。全く存在感が違うな! もう一人残っている男へ視線を戻すと、何が良いかを思案した。


「郤正、良くぞ任務を遂行した」


「お言葉ありがたく」


 そつない返事で腰を折る。書曹は二十石だったな、食うに困りはしないだろうがこいつを手元に置くとしよう。


「今からお前は右将軍記室参軍だ、俺の左へ居場所を改めろ」


「畏まりまして」


 比四百石への大抜擢だな、文書を司る参軍だ。檄文やら謀議文の起草には使えるだろう。妬みの視線が集中する、それもそうだ、殆ど全てをごぼう抜きしての躍進ではな。


「いいか、俺は能力で評価する。生まれも育ちも関係ない、武勇でも智謀でも得意とするものがあるならばそれを生かして貢献しろ。そうすれば必ず報いると約束する」


 そうだ、俺はいつもそうやってきた、知らないなら何度でも教えてやるぞ。これを機に奮起するやつがいるなら試してやる、困惑するだけならそこまでだ。


「島将軍へ申し上げます。南蛮州の各地へ現状を安堵すると文書を発してはいかがでしょうか?」


 早速の意見か、郤参軍の手腕のほどを確かめておくとしよう。


「それにより何が起こりうる?」


「旗幟が鮮明になるでしょう。李左督並びに李右督の平定の助力にもなり、戦略単位で時間の節約にもなります。ですが一つ」


「なんだ」


 ここまでは良いことづくめに聞こえるが、俺が知りたいのはその先だ。問われずとも口にしたのは褒めてやろう。


「すげ替えるべき人物も留任とならば、後に不都合が御座いましょう」


 なるほどな、それは一理ある。だが若さゆえの見通しの甘さが見え隠れする。


「それが参軍の懸念か」


「左様にございます」


 真面目な奴だ、性格による限界は存在している。それを差し引いて判断を下せばよいが、上官次第か。


「対策は幾らでもある、文書の件を採るゆえ参軍の裁量で実行するんだ」


「ありがたく。されば後学の為に対策の一端をご教示いただければと」


 教育だと思ってかみ砕いておくか、蘭智意へのそれでもあるしな。


「降ればそれで目的が果たせる。任を解くならば栄転で引き寄せれば文句も言えまい」


「栄転……」


 なるほどという表情だが、それが甘いというんだよ。チラリと蘭智意を見る、何か別の考えがありそうな感じだ。全てをここでは言わんがな。


「他は自身で考えてみるんだな。重要なのは南蛮支配を促進することだ」


 自らを貶めてでも整合をつける、呂軍師あたりなら引いた後に道中行方不明の線だって視野に入れるだろうさ。これは命がけの戦争だ、敵を騙すな、騙されるな。信義なくして国は建たん、だが謀議なくては立ち行かん。相反する全ては役割の違いで解決だ。


 さて、領内の情報更新だが、ここをはなれて長安に居る間に随分とマシになったなったものだな。蜀への輸送路の整備、都市の拡張、住民の教化、どれもどれも納得いく推移を見せている。状況を探る意味からも一つ仕掛けてみるか。


 こういった飄々とした動き、得意とするのは呂軍師だが、困ったものだな手駒が無い。自分で考えるしかないか。


「寥刺史の政務はどれもこれも非常に理にかない、国家の意志を反映してきていた。よって朝廷にその功績を上奏し、報いてくれるよう働きかける」


 これは事実だ、朝廷でも無視は出来まいよ。領地を奪われたことを非難するならば、戦争で負けたやつら全員をそうしなきゃならんしな。何より領土の防衛は刺史の守備範囲ではないぞ。ポカンとした顔のやつらが多い、こいつらは居るだけの枯れ木だ。


「某が上奏文を認めましょう。時に署名はどちらのもので?」


「ふむ、そうだな」


 名義か、謀反人と言っても官職を剥ぐだけの力しかあるまい。ゆえに中侯を使ってきた、これを継続だな。しかし侯にそういった推薦権は無いか。他に変わらず効力を持ち、寥化では手を出せない部分。


「島特進中侯で押印しておこう」


 朝議への参列権限と劉姫の夫である部分は事実で変えようも無い、これを無視するだけの力、まだやつには無いだろう。


「御意に」


 劉氏も馬氏もきっと軟禁はされても危害は加えられん、俺を除けば彼女らは利用価値が産まれるわけだからな。何より害するのは一門が大反対する、俺は憎くてもそちらは認めるだろうさ。


「魏と呉の状況報告を」


 諸外国の諜報担当、それも首都経由のものでしかないが今は最新情報をこれで我慢しておくしかない。文官が進み出て知りえる内容を吐き出す。


「呉は洞庭湖での水軍調練並びに、海岸側の都市で交易を盛んに行い国力を増しております」


 水軍は強力だ、河を越えられるかどうかの部分で防衛に致命的な差がつく。魏が攻め込めないのも大軍を渡すことができないからだな。


 何せ川幅がキロ単位である、中国が平地で高低差がない地域に住んでいると特に知っておくべきだ。山間はそもそもが通り抜け不能。


「交易についての詳細はわかるか」


「日南や合浦あたりから、南越方面の交易船と取引をしているとか」


 地図を確かめる。交州の士一族が支配者だったな、孫権への波及速度はワンクッション入るか。


「インド、マレーシア、ヴェトナムあたりを経由してこちらだな。香辛料や虎などの野生動物の牙や毛皮、あの辺りはダイヤやルビーあたりの産地だったか」


 聞いたことが無い単語で一杯だろうさ。結果として国が潤う、今はそれだけが重要だな。これをどのように邪魔をするか、ここで孟獲大王なわけだ。


「絹織物に花椒、桂皮に、八角を集めて孟獲大王のところに送れ。交州に行く前にこちらで交易を行い動きを遮断する」


「その交易品をどのようにしましょう?」


 下級官吏の頭ではそこまでだな。ゴールが見えているならわかりそうなものだが。チラッと蘭智意を見る、視線を合わせてきた。


「蘭智意将軍ならどうする」


「それらをそのまま呉へ持ち込みます。可能ならば軍馬や武具と交換して引き寄せれば良いかと」


 正解だ。丸ごと間を抜いて、その上で呉を弱らせこちらを肥やす。往復で三倍から四倍の効果だな。孟獲にそうやって道筋を示せばどうとでもするさ。


「そういうことだ。魏の状況を」


 軽く口の端をつりあげてやり話を進める。


「北方蛮族を警戒して一軍が北部へ警備に出ております。また洛陽、荊州方面にも各一軍が。曹丕は幕との折り合いが悪いのか、讒言が飛び交っている様子」


 こちらは一軍のみでも魏は五軍は出せるはずだ。動かす頭脳が仲たがいではやりづらかろう。その弱きを攻める、離間を促進か。司馬仲達というのが力を持つと孔明先生が苦労をするな。小細工するには情報が少ないが、出来ることはするか。


「狙いを定める。司馬仲達に謀反の疑いありと魏に喧伝すると共に、やつ署名の書簡を偽装してばらまくぞ。本人が気づいても曹丕やその取り巻きがどう考えるか次第で結果が出る」


 百の偽物が出てきて信じずとも、百の書簡を目にする事実が残る。一人の文官が進み出る、発言を仕草で許可してやった。


「かつて曹操は袁紹との決戦で内通の書簡を見ずに焼き払ったことがございます。これにより更なる忠義を得ました」


 なるほどパフォーマンスだなそれは。そうされれば改心せずとも暫くは大人しく従うしかない。考えているふりをしておくか。どこからか声があがるかも知れんしな。だが声はあがらなかった。残念だ。


「進言は受理するが止めはせん。曹丕が曹操以上の能力を備えているならば懸念はあるが、それならば中華はとっくに統一されているだろう。そして策を見抜き最も早く諫言するだろう司馬仲達が発言を許される内容ではないからな」


 そうなれば司馬仲達は次善の策を採る。即ち行動の自粛だ、こいつは時間稼ぎが狙いの俺に都合が良い。蜀がごたつく間に攻め込む進言も、同道も出来ぬとあっては歯噛みするだろうな。


「御意。それでは実際に司馬仲達が謀反を起こす場合の対策はどのように?」


「なに……」


 そこまでは考えていないぞ。だがこいつが実際に乗っ取るんだったか、いや息子だったか?


「お前の名は?」


「南蛮州西曹書佐の黄崇です」


 こいつもまた二十歳前後だな。もしかして孔明先生が寥刺史のところへ人材を避難させていた? だとしたら前歴を聞けばわかるか。


「元は何をしていた」


「尚書郎として成都で従事しておりました。先の大戦の後に南蛮へ異動をもうし申し出ました」


 すると孔明先生の属吏だったわけだ。同じ郎官でも尚書ってことは国事に秀でている証拠だな。

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