第54話

 口先だけで城を明け渡しては、向こうで自由を失うからな。ではどうやって退いてもらうかを考えるとするか。安い挑発で激昂するはずもないあいつだが、俺が振れば乗って来るだろうな。


「同姓のよしみで賊将と通じたか! このような少数相手に城に籠って舌をまわしているだけとは、寥刺史とは卑怯な腰抜けだ。俺に罪があるというならば、出てきて捕えてみろ!」


 なんてしょぼい演技だよ、まあいいさ。これであいつの真意がわかる。


「ぬぬぬ、おのれ裏切り者! 馬を引け、城門を開け、私が出てあやつをひっ捕らえる!」


 少しすると門が開き、矛を手にして軍馬に乗った寥紹が一軍を引き連れ出て来た。歩騎三千か、相手に不足は無い。


「正面より迎えうつぞ、俺に続け!」


 親衛隊五十が同時に馬を走らせる、ひと呼吸だけ遅れて鳳珠羽空王が「進め!」軍を前に出す。一直線寥紹に馬を駆けさせて矛を合わせた。何ともおっかなびっくりなことだ。


「へっぴり腰で俺に敵うとでも思っているのか!」


 周囲を親衛隊で囲ませ、力比べをするかのようにして顔を近づける。


「寥紹、向歩兵校尉に兵を預ける、孔明先生の護衛を頼む。他は俺が何とかする」


「島将軍に批判的な兵を連れて首都へ退きます、どうぞご武運を」


 素早く真意をかわすと大きく矛をぶつける。寥紹が矛を取り落とし怯む。


「えーい、ここは一旦退くぞ!」


 馬首を返して雲南城へと逃げ込もうとする。これで城内へ入れってことだな!


「逃がすか、追撃しろ!」


 ぴったりとくっついて走るものだから城兵も矢を射ることが出来ない。まんまと城門を潜ると「き、北門から脱出するぞ!」寥紹が供回りに命じて城を捨てる。


 足を止めて交戦しよう者がいたら即座に切り捨て、従順なものは寥紹を守りながら北へと逃走していった。残ったのは雲南固有の兵か住民で、反抗的な者は居ない。権力者が逃げ去れば次の支配者に従う、戦国の常識ですらあるな。


「寥刺史は無様に逃げ去った、今から俺がここの主だ! 文句があるやつは名乗り出ろ!」


 騎馬兵を従えて大声で恫喝する。前の南蛮牧だっただけに顔は見知っているものが多い、南蛮騎兵が共に居ることで孟獲の意志も見え隠れしていた。


 城兵は皆武器を捨て膝をつくとひれ伏す。雲南の官吏らに帳簿の総覧を行うと、三日以内の報告を厳命した。詳細ではなく概要をいちはやく掴む、それを理解してくれればよいが。親衛隊が再度雲南に『島』の旗を翻した、反撃の狼煙が上げられた瞬間だった。



 数日の後、昆明からの後続を待って軍議を開く。南蛮州の状態確認と同時に掌握を実行、中県への使者を出し、軍備の増強、連絡の確立か、いくら手があっても足らないぞこいつは!


 まずは一番迫っていることを優先だ。李兄弟は出せん、俺の代わりを務められる者、あいつしか居ない。気分が進むわけが無い、だが他に居ないのだから仕方ない。自身を落ち着かせる為に数瞬、視線を眼前で並んでいる一人へと向ける。


「銚華」


「はい、旦那様」


 軽甲を身に着けた彼女が脇から中央へと出て一礼する。守らねばならない妻を頼るか、どうしようもない男だよ俺は。


「防衛戦中の中県へ届け物をして欲しい、頼めるか」


 些細な荷物の為に大切な人を危険に晒す、元はと言えば己の失策だというのに。


「何なりとお申し付けくださいませ」


 従卒が盆を手にして銚華の隣へと寄る。そこには一枚の軍旗、特別な設えの刺繍が目に入った。黒字に白抜きで島、四つ星がうっすらと背景に浮かぶ、大きな軍旗。牙門旗だ。


「これを姜維に届け、俺の代理を認めると伝えるんだ」


 それだけであいつならきっと充分支えられる、そう信じている。県もまとまり担々王も指揮に従うだろう。妻に拒否して欲しいと思っている俺もここにいる、不思議なものだな。


「御意。必ずや手渡して参ります」


 二人の羌族長も一緒になり謁見の間を出て行く、少しでも早く届けることが肝要だと理解してしてくれている。やると決めたんだ、後戻りなど出来ん。


「李卑将軍」


「はっ!」


 鎧を鳴らして進み出ると片膝をついて一礼する。


「左督を命じ『南蛮』の軍旗を与える、城兵千を率いて雲南より西部全てを掌握してこい」


 恭順を示す県を回れば兵は増える、反対を示すところもあるだろうが、積極的に打って出て来ることは少なかろう。


「御意!」


 軍旗を拝領して列へ戻る。


「李別部司馬」


「ここに!」


 李信と同じように中央で片膝をついて命令を待つ。


「右督を命じ『南蛮』の軍旗を与える。同じく千を率いて東部を掌握してこい」


「ご命令通りに!」


 二人が揃うと動きを合わせて出て行く、これから暫くは独立行動が続くな。一気に幕がさびしくなる。骨進のやつも戻って行ったし、親衛隊も陸司馬の十が残るのみか。俺も直接動かねばならんぞ。軍備の増強をするにも将校が居ない、雑兵だけでは警備にもならんぞ。


「伝令!」


 赤い旗を腰に指した兵が駆けこんできた。なにがあっても最優先で報告に来られる権限を付与してある、なにせ情報は生き物だ。仕草で報告するようにと促すと、立ったまま迸るように吐き出す。


「北西部に蜀軍の姿が確認されました。兵力は凡そ三千です!」


 ふむ、反撃進軍にしては早すぎるし数が少ない。偵察だとしても随分な動きだが。


「旗印は」


「はっ、『越俊』『奮威』に御座います!」


 すると蘭智意将軍だな、さてどう出て来るか。高定太守の命だとしてこれを単純に受け入れていてはなめられる。まったく残念なことに世の中はくだらない手順というのが山のように必要だ。


「そうか。そこのお前、その軍への使者にたて」


 顔と名前が一致していない郡の役人を指名してしまう。この際互いに知らないほうがよりよいだろうな。


「どのように致しましょう」


「軍をその場に留め置いて、一人で登城させろ」


 これを拒めば一戦やむなし、ここで兵力欲しさに甘い顔をするようでは先に苦労する。彼我の戦力や基盤は比べようもない、恐らくは聞き及んでいるだろう中央の情報からも雲南のものがどう行動するかは流動的。


「奮威将軍が素直に従うでしょうか?」


 郡主簿が疑問を呈する。こいつの評価はどうだったか……毒にも薬にもならん上に席次を埋めているだけだったな。


「俺の言葉が聞こえなかったか?」


「いえ、そのようなことは。ですが一人でとは流石に――」


 性懲りもなく異見を述べるとは、軍議で俺が決めたことに逆らうのを許すわけにはいかんぞ。


「陸司馬、そいつを捕えて投獄しろ! 抗命だ」


「御意!」


 傍に立っていた陸司馬が郡主簿をむんずと掴むと無理矢理に連行する。


「しょ、将軍、お慈悲を!」


 いまさら騒いでもどうにもならん。小さく首を振って終わりにする。書曹に随分と光るやつがいたな、郤正だったか。


「郤正は前へ」


 すると列の後ろから随分と若く線が細い男が進み出た。文官を絵にかいたような優男。


「某が郤正、雲南書曹で御座います」


 まだ子供じゃないか、いや栄養不良で身体が小さいのか?


「なぜ主簿が獄に落とされたかを述べてみよ」


 どういう人物か試しに聞いてみるとしよう。僻地に飛ばされたのか、或いは志願したものか。


「班主簿は三つの罪を犯されました。一つは決定事項への不服従、一つは代案なき批判、一つは己が態度への無責任でございます」


 慈悲を乞うのも罪ときたか。だが自身の意があったなら、胸を張って獄に降るくらいはするだろうな。


「ならばお前ならどうする」


「我と一旒の旗さえあれば、将軍のお望みを叶えてみせましょう」


 堂々と考えを述べるな、若いのに感心なことだ。並み居るやつらも声をあげんとは、案山子がいくらいても役にたたん。


「郤正を使者に任じる、好きな旗を持っていけ」


「お言葉通りに」


 ゆったりと礼をすると慌てず急がずに出て行く。大物とまでは言わんが、品行方正な役割を与えれば満足いくだろうな。南蛮に来たのはそのあたりに自身の適性があると知ってのことか? 残る案山子は単純作業要員だな、ま、仕方あるまい。



 翌日、謁見の間に郤正と蘭智意がやってきた。幕に居並ぶ者たちが嫌そうな顔をする。


「蘭智意ただ今参上致しました! 高征慮将軍は、三郡を上げて島将軍の指揮下に加わります!」


 臣下の礼にも見えるような態度で宣言する。なに一つ駆け引きが無い、平身低頭、いっそ気持ちがよくなるくらいのすっきりした言動。


「蘭智意奮威将軍、ご苦労だ。今一度南蛮州をまとめることにした」


「南蛮州牧復任のお祝い申し上げます。なんなりとお申し付けください」

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