第52話 第二部

 軽く肩をすくめて茶化す。口の端を上げて孟獲も「お前の方こそ何をやっているんだ」言うと、互いを抱き合い再会を喜ぶ。


「ちょっと散策のつもりが大陸縦断の憂き目にあった。終わってみれば悪くもなかったがね」


 北の果てから南の果てまで、文字通り縦断してきた。季節が変わって真夏になってしまったような感覚、気温が全く違う異世界。軍勢が交戦をする姿を目の端で確認する。関興の軍は間道に陣取り殿を引き受けていた。一応の責任を取る位はするらしいな。


「ところで女連れか?」


 浅黒い肌の銚華、南蛮ではそこまで珍しくもない。


「島介の妻で、羌族の銚華で御座います」


 武人の挨拶でそう自己紹介をした。孟獲の目が満足げに笑ったな。


「そうか、じゃあ俺の義妹だな。まずは一杯やってから話を聞こう、暫くしたら軍は退かせる」


 暫くしないと退かせる気は無いわけか、まあいいさ。


「良い酒があるんだろうな」


「ああ、兄弟が言っていた米酒を手に入れた。一杯目はそいつだな、ガハハハハ」


 大軍勢に守られながら、俺達は久しぶりの南蛮入りをすることになった。心配の種は尽きないが、今はとても心が満たされていた。


◇ 

 屋敷を与えられて三日間は泥のように眠った。疲労が蓄積していたので、身体が休息を必要としていたからだ。こんなに寝たのは何時ぶりだろうか、ようやく頭がはっきりとしてきたな。少し苦めの茶を淹れ意識を収束させる。


「さて、休んでばかりもおられんな」


 やらねばならないことが山のようにある、俺が動かねば多くが迷惑を被るぞ。一つ大きく深呼吸をして立ち上がる。まずは現状の把握からだ、兄弟のところへ行くとしよう。思い立って屋敷を出ようとすると、外で李信と李封が待っていた。


「ご領主様」


「お前達、苦労を掛けたな」


 二人が居なかったら無事にここまでたどり着けはしなかった、感謝しかない。畏まって何も言いはしないが色々と想いが渦巻いているだろうさ。


「王宮へ行く、ついてこい」


「御意!」


 昆明に置かれた南蛮の王都、標高があるお陰で熱帯地方のはずが妙に過ごしやすい。少し外へと行くと植物がのびのびと育っていて、まさに一大生産地の様相を呈している。


 南蛮随一の穀倉地帯であり、鉱脈も有している上に、防衛に有利な地形、過ごしやすいときたらここに拠点を置かない理由が無い。石柱が何本も外側に建てられ、まるでギリシャの神殿のような造りの王宮を仰ぐ。


 文化の融合と伝播か、ここに住んでいる者にとってはこれが普通なんだろうがね。警備の兵士は随分と体格が優れている奴らがついていた。近衛兵ってやつだな、孟獲大王の警護をするために、各地から集められた精兵だ。


 横に並んで出入り口を監視しているが、真っすぐに進んでいくと左右に分かれて迎え入れる。精悍な面構えだ、郷に戻ればこいつらも指導者の一人ってわけか。王宮の中にも一定間隔で衛兵が立っている、このあたりは世界も時代もさして変わらんものだ。


 結局、権力者は孤独で、常に疑心暗鬼に駆られているわけだな。少なくとも身辺警護の指揮官は敵味方の識別に全精力を傾けているぞ。目の端で兵を眺めながら最奥にまで進む。階段があり、段上には大きな身体の孟獲が椅子に横たわっていた。


「ようやく目覚めたか兄弟!」


 起き上がると軽く手を上げてこちらへ来いと招く。


「まだ夢心地だよ。こいつは一杯必要じゃないか?」


 笑いながら酒を持ってこいと煽る。台に載せられている肉を一つ掴むと豪快に食いつく。謎肉だな、まあ気にしたら負けだ。


「こちらはいつでも構わん、まずは飲め」


 さすが兄弟だ、俺が欲しいものを既に準備してあるわけか。腹が減っては戦は出来ん、遠慮なく頂くとしよう。見たことも無い果物や、力作の細工物、色とりどりの食糧を一通り口にして、茶色がかった酒を飲み干す。


「生きてる感じがするよ」


 肩をすくめて自嘲気味に一言。実際あの場に兄弟が来てくれなかったら、関興に切り刻まれていただろうな。しかし親衛隊の多くを失ってしまった、羌族もだ。


「そうだ、生きている限り負けではないぞ。やるんだろう?」


 死んでしまっては志を残すのみで、この先何も産み出せなくなるわけか。どちらが良いとは言えんが、俺にはやるべきことがある。


「ああ当然だ。売られた喧嘩は買うことにしてるんだよ」


 孔明先生の安全を確保するのが最優先だが、何もかもが闇の中だ。この先結構な時間が掛かっちまうな! それまでの間、魏が大人しくしているかは甚だ疑問ではあるが、敵が居れば孔明先生を害することもないとは皮肉だ。


「関は破られてない、蜀はしっかりと存在している。愚か者が国事を司って傾きはするだろうがな」


 痛烈な評価を下されていると知ったら、あいつらは何ていうかな。だがその評価は正しい、丞相が丞相たるゆえんはその政務能力にある、替わりはいないんだよ蜀に。


 あの国はたった一人の双肩に全てを負わせている、知らないはずがないというのに何をやってるのか。怒りがこみあげて来る、せっかく作り上げた砂の城を崩されるかのような感情だ。


「情勢を調べるのが最初だな、次いで南蛮の仕切り直し、兵を整えて……か。一年や二年はかかるぞ」


 それまで魏の侵攻を食い止めていられるか? 魏延が頑張ってくれると良いが。配置換えがあって、雍州に移れば函谷関や長安は落ちない。巴東へも遊軍が回れば呉からの攻撃も凌げるはずだ。


「そう深刻な顔をするな兄弟、なるようになるさ。誰だって始まりは一人だった、違うか」


 今でこそ多くが居るが、確かに初めは一人だったな。焦っても仕方ない、じっくりと構えるべきだ。


「そうだな。俺が助けたいのは国そのものではなく孔明先生だけだ、そんなに大事でもないか」


 人をひとり保護するだけだ、それならば特殊部隊少数でだって可能だろう。押さえるべき部分はそこだけ、蜀が崩壊しようと別にどうということはない。むろん懸念はあるが、それこそなるようになる。


「いくら魏が強大でも、地の果てまで全てを自身で支配しないと気が済まないわけでもあるまい」


「そんなことをしていたら寿命がどれだけあっても足りんだろうな」


 実際どこまで歴史を探しても、世界中を支配した組織なんて無かった。目が届かない土地を完全に掌握出来るなどと考えてもいるまいさ。酒を煽って肉をほおばる。寝て食えて、それで顔見知りが幸せならそれだけでイイ。


「だからとこちらが譲歩する必要は無いぞ」


 兄弟は俺をどこへ振り向けたいのやら。やるべきことはきっちりとやる、その上でこちらが合わせられるなら何でもやるぞ。


「俺の譲れない線は孔明先生の安全のみだ。欲を言えば少数の自由もか」


 俺の幕に連なった者と、中県の奴らは何とかしてやりたい。範囲を広げすぎると破綻する、自制はいるぞ。


「なに、簡単な方法がある、聞くか?」


 真顔になりここちらを見る。聞いたら戻れないってやつだな。孔明先生も俺の周辺も自由を得られる、その代償は何かを考えてみるか。


 邪魔者扱いされていて味方が少ない、それを解決するには味方を増やすか敵を減らすかだ。敵を減らすのが困難ということは、味方を増やすつもりだな。敵の敵が味方になるなら、魏や呉を引き込むことになる。孔明先生は受け入れないだろう、安全と引き換えに全てを失うことを。


「欲しいモノがあれば手に入れるし、守りたいならば争う。容易な道を選ぶ気は無い、抱いた理想が死体の山の先にあったとしてもだ」


 誰かに膝を折って庇護を求めることなどしない、頂点が折れるまで集団に負けはないぞ!


「ははははは! そうだ、それでこそ兄弟だ。一つ耳寄りな情報がある」


 ずいっと身を乗り出して興味をひきつけて来る。ここにきて一体どんな吉報があるのやら、もう散々に打ちのめされてるってのにな。


「そいつはだ、中県は籠城をして徹底抗戦の構えをみせ、未だに陥落せずに防衛戦を続けている」


「なんだって!」


 国軍の攻めを受けてとうの昔に落ちていると思っていたが、まだ防戦中とは! 県城は拡張されたばかりで堅牢とは言えない。城壁は低いし、堀は浅い。だが水濠を得た城域は広いし、物資は山のように備蓄している、戦う意志さえあれば支えられるな。


 しかし李家の次男坊にそこまでの能力があるかは未知数だ。担々王が県人を指揮するにしても適切とも言えん。では誰が指揮している?


「疑問を持ったな」


 こちらの思考を読み取りにやにやしている。準備出来ていたのはこの件か?


「誰が指揮を執っているんだ?」


 そんな都合よく統率者が湧いてくるようならどれだけ軍事も政治も楽かって話だよ。


「姜維という若者だ。兄弟が長安を留守にして後、廖化将軍らが動きを起こすと同時に中県に移ったようだな。何が肝になるかをきっちりと見切っている、中々の逸材」


 あいつか! やはりずば抜けた才能を持っているな。とはいっても経験が絶対的に足りない上に、若いからと反抗心を抱く者がいるだろう。中県の包囲を解くまではまだ時間が掛かる。


 司令官を送り込む? 李項が居ればそうするがあいつは負傷療養中だ。……姜維が指揮しやすい環境を作ってやる、それが肝要だ。李信も李封も今の俺に必要で手放すわけにはいかん。

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