第51話

「軍鼓十度鳴らせ!」


 一定のリズムで十度音が響くと、一斉に歩み始める。目の前に何が居ようと現在地から十進む、約束事はそれだけ。刃の壁が押し進むと民衆はその分後ろへと下がる。


「十歩前進」


 再度十歩進むよう太鼓が鳴ると、軍兵らが進む。抵抗しようとした民兵が幾つかいたが、集団で戦うことに慣れている軍兵の攻撃を守り切れずに後退した。


「中隊ごとに個別戦闘開始」


「密集陣形に変更、百人隊前進!」


 馬上から采配を振るう俺の意志を汲み取り、李信が軍勢に命令を飛ばす。いつか自分の考えで動く時の糧にしてくれると幸いだな。ふむ、一カ所でやけに頑張る奴らが居る。軍兵の攻撃圧力を受け止めて譲らない、中々できることではないぞ。


「李封、あの場所にいる敵を粉砕してこい」


「御意!」


 率いるのは親衛隊百。交戦中の羌族歩兵の居場所を無理矢理に退かせて、鉄騎兵による集団突撃を敢行する。


 雷光が迸るかのような一撃がもたらされた。人が跳ね飛ばされて宙を舞う、蹄に踏み抜かれて即死を招く、馬上を仰ぎ見ることで恐怖を植え付ける。まるで嘘のように民兵が散り散りに逃げ惑うではないか。


「さて、そろそろ目が覚めてもよさそうなものだが」


 暫く勝手に戦闘をさせておくと、意気地なく民兵があちこちに逃げて行った。城内の掃討戦がこちらにまで聞こえて来るな。閉ざされていた城門がゆっくりと開かれる。中から騎乗した青年武者と、綺麗な軍装の兵が姿を見せた。


「我は関監軍将軍。お尋ね者の島介と見た、大人しく縛につかれよ!」


 偃月刀をこちらに向けて開口一番驚きの宣言をしてきた。助けられた礼も無しにとっ捕まれとは参るね。ま、期待はしていなかったが順序と言うものがあるだろうに。


「ふん、礼儀を弁えないのは未熟の証だ。それとも陥落寸前を見られたのが恥ずかしくて吠えたか」


 意地悪をしたくなるようなことをしたのはそちらが先だからな。羌族兵が大笑いする。関興の顔が赤くなるのが浮かぶ。


「益州郡の領民を大量に殺害し、郡都に刃を向けた罪は重いぞ!」


 声が上ずっているな。言ったモノ勝ちとはこれか? 俺が悪者になったら万事解決ってわけだ。


「統治に失敗し民の離反を招いたのは益州太守、責めるべきはその無能だろう」


 箔をつける為に赴任させたのかも知れんな。短期間で呼び戻し、より上位に据えるための通過点。


「蜀の禄をはみながら魏に鞍替えした裏切り者が何を言うか! 構わん、全員打ち倒せ!」


 軍勢に攻撃を下命、短慮にもほどがある。それでも兵は動く、与えられた役目を果たそうと。


「ご領主様、お退きを。ここは自分が時間を稼ぎます」


 まともに衝突しては結果など解り切っている。傷つき疲労した自軍と、無傷のように見える関軍。李信の言は正しい、戦闘を避ける必要がある。


「来た道を引き返す、信お前もだ。暗闇では満足に追撃も出来まいよ。全軍撤退だ!」


 馬首を返すとさっさと戦場を離脱する。何も命令を下しはしないが、焼良の西羌騎兵が後備につき騎射しながら接近を防ぐ。馬を寄せてきた骨進が「あんたはどこまでお人よしなんだ?」皮肉を投げかけてきた。


「俺自身でもわからん。だがそういうお前だってよく好き好んでついてくるものだな」


 いつでも帰還して良いのに、何故か同道したまま。断言してよい、一緒に居ても何一つこいつが得るモノは無い。視覚よりも音、軍馬を信じて闇夜を行く。うっすらと人影が見えてる程度、歩兵は必死になり駆け続けた。


「俺にも背負うものがあってな、それを見極める為にここに在る。無条件で踏み込むほど俺は抜けちゃいない」


 口ぶりはこうだが責任感はありそうだ。ま、いまはそれどころじゃないか。先頭を進む蘇陽、流石の奴でも夜中にこれでは案内は無理か。首を左右にこまめに動かしながら道を定めて行く。後方では戦いの声、追撃戦を受けるなんて久しぶりだよ。


「ご領主様、右手の山中に揺らめく灯りが!」


「む、あれは……」


 目を凝らしてそれが何かを見極めようとする。松明を片手にして向かって来るのは『蜀』『蒋』『撫軍』の軍勢。


「私は蜀の蒋碗、撫軍将軍を預かる者。島将軍、これも君命とあらばお許しを。皆の者、抵抗する者あらば切って構わぬ、全て捕えよ!」


「伏兵か! 足を速めて進むぞ!」


 こんなタイミング良く姿を現すってことは、もしかしたらあの反乱自体が想定内の事柄なのかも知れんぞ!


 だとしたら、張太守、侮れん。蒋碗ってのも確か孔明先生の幕僚、人質の様になっている可能性があるな。集団を保てるのもあとわずか、か。流石にこれはしてやられたな。暗夜数時間山中をひた走る。小さな郷に出くわした。


「ここは?」


「墳古県のようです」


 細かい切り傷や矢傷で血が滲んでいる李信が住民から聞き出して返答した。益州郡南東部、随分と南に来てしまったらしい。


「この先に北西と南東に長くのびる道があり、そこから永昌郡へ入れるようです」


 道があるならそこまで出るべきだな。河があるってことでもあるだろう、出口は呉というよりは海か。口数を減らして山道を進む、後ろを見るとかなり兵士が減っていた。


 残るは千そこそこ、何をしているんだ俺は。くよくよしても仕方ないが、自らの甘さが招いた失策は肝に銘じておく必要がある。山を下るとそこそこ開けた広い道、やれやれと下る。


 山岳に木霊して窪地にまで聞こえて来る太鼓の音。あたりを見回して警戒した。道の前後、即ち北西に『梁』の軍勢が道を封鎖し固守の構え。南東に『王』『興業』が行く手を阻むよう布陣し、攻撃の構えを見せる。


「王連興業将軍と、梁緒校尉でありましょう」


 全く知らん名前だ。それにしても上手い用兵、誰が総指揮官として動かしている? 道の中央に固まり動かない、いや動けない。来た道は追撃軍が追いついてきた。南西の山地に逃げ込むしかないが、そちらにも兵気を感じる。


「ご領主様、自分が奴らを引き付けますので少数で落ち延びて下さい」


「お前は俺を笑いものにしたいのか? それとも能力の不足か?」


「も、申し訳ございません、思慮不足でした!」


 強気の姿勢を見せたは良いが、もはやどうにもならんな。北の山地から『費』『都督』の軍旗を翻した一団が現れ、中腹辺りで止まる。北東のは『蒋』、東からは別道を通って来たのか関興が出て来る。おいおい俺だけの為に三万やそこらは居るぞ! 


「島右将軍へ申し上げる、私は費偉都督、貴公を陛下の前にお連れするように使わされました。大人しくご同道願えないでしょうか?」


 孔明先生が常日頃口にしていた後進の一人ってわけか。納得の指揮能力だ。関興が軍勢を押し出して「そのような言は無用。力づくで連れ帰れとご命令ください!」相変わらずの態度を示して来る。あんな奴でも一応指示には従うつもりがあるようだ。


「断る。俺にはやらねばならんことがある。孔明先生の力になると誓ったその日から、誰の掣肘も受けんと決めた」


 どれだけ圧力を受けようと、どれだけ不利に立たされようと、俺は俺の意志を貫く!


「されば! 丞相をお助けする為に!」


「くどい! なんと言われようと俺はこのような形で従うつもりはない!」


 孔明先生、やはり首都で捕らわれているわけか。いくらなんでも害するまでは無いだろうにしても、かなりの危機に瀕しているのには違いない。


「その気はないと言うではないか。では力づくだ! 者ども、掛かれ!」


 関興将軍がここぞとばかりに軍勢を進ませる。費偉も止めるようなことはしなかった。


「封、ご領主様を連れて離脱するんだ!」


 李信が親衛隊を引き連れて、数十倍もいる関将軍の部隊に切り込んでいく。李封が騎馬の手綱を曳いて、無理矢理に山へ向かわせようとした。


「舐めるな、島介はここに居るぞ! 全員掛かってこい!」


 これで逃げるなら死んだ方がマシだ! 軍に染まり数十年、これが限界というならそれで結構。無様な生き恥を晒すより、志を後進に残すだけだ!


 ジャーンジャーンジャーン!


 戦場に響く金属音、山肌に反射してあちこちに木霊した。道に布陣する軍だけでなく、山地の諸軍も注目する。南西の山岳から一斉に軍が進み出てきた。


「あれは!」


 色とりどりの軍旗、歩みを止めることなく前衛が山を下る。どうしてこんなところに居るんだよ!


「良くぞ言った、兄弟の敵は俺の敵だ! 蜀軍なにするものぞ、南蛮大王孟獲の軍勢三十万が相手をする!」


 『孟獲』『南蛮大王』を筆頭に、百種類の軍旗がところ狭しと林立している。足の速い南蛮騎兵がいち早く周囲を囲んで守りの態勢をとる。人が雪崩を起こしているかのような錯覚、下山する歩兵が蜀軍を飲み込んでいく。


 『都督』の旗は既になく、それぞれが撤退を始めた。費偉か、出来るやつだな。騎馬して山を下りて来る孟獲、あまりにも懐かしくて、下馬して顔を間近で見ると笑ってしまった。


「兄弟、こんなところで何をしてるんだ」

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