第47話

 東から駆け付けて来たのは『荊州』『文』『討逆』の軍勢だった。一度戦ったことがある、それも昨年の話。


「文聘将軍のようだな。さっさと長江を渡って先を急ぐぞ」


 まともに相手をしている暇はないからな。呉の奥底までは追っても来ないだろ。


「船を下ろせ! 先行部隊出ろ! 次は物資を載せるんだ!」


 李封別部司馬の交通整理で渡河が行われる。俺の本陣は四番で渡河か、河向うに防備が整ってからだな。


「銚華行くぞ」


「はい、旦那様。焼良、こちら岸で最後まで敵を防ぎなさい」


 うなずくと焼良は西羌騎兵を率いて魏軍を迎撃に出た。騎馬していればそのまま河に飛び込むだけだ、殿は適切だな。


「麻苦、渡河の指揮をしなさい」


「任されよう。渡った奴らの面倒をみてやってくれ」


 羌族歩兵の指揮官が渡河と防御を整合させるべき詳細な命令を練り上げる。銚華はしっかりと羌の奴らを掌握しているようだな。俺を殺せと命じたら、きっとあいつらは銚華に従うだろう。だがそれで結構、精々彼女に見捨てられないように働くとしよう。


 微笑を浮かべて馬の背でご機嫌になる。一体どうしたものだとチラチラ見られているのは無視して、この先どうするかの大雑把な行動を考えてみた。武陵では俺の動きはどう映るか。そもそも情報の詳細まではこの速度で入る可能性は低いな。


 それでも未確認の武装集団がうろついていれば目立つ、わかったとしても呉では兵力が不足している、そうそう討伐に出て来ることもないだろう。これが河を使っているなら話は別だ、嬉々としてやって来るぞ。なにせ水戦では魏でも勝つのは非常に難しいはずだ。


 適性は間違いなく存在している。呉に水上戦をさせたら極めて手強い。身動きが取れない遡上戦以外は恐らく、魏でも蜀でも圧倒的な差をつけられるぞ。


「ご領主様、半数が渡河しました」


 長江の向こうに残っている羌族歩兵は魏軍と刃を交えながら渡河を続けていた。一方で西羌騎兵は距離を取っての射撃戦を遂行している。歩兵が渡り終えるまではここで待つべきだな。


「物資の輸送準備は先に整えておけよ」


 他は問題ない、兵には直前に命令するだけで充分。あの分だと文将軍の騎兵は二百も居ないか。殆どが歩兵で鈍重な動き、守備兵の指揮官なのかもしれない。河を登って来た時には乗船だから仕方ないが、側近のみが騎馬しているだけ。


 一番最後の歩兵が乗船する時にだけ、西羌騎兵が魏軍に接近して刃を交えた。対応に気をやっているうちに岸から離れると、もう弓矢でしか攻撃出来なくなる。ある程度の犠牲者はつきものだ。騎兵はまた離れていって、大回りして渡河だな。焼良の動きに満足すると、弓矢を構えさせる。追撃して来る敵を渡河の最中に退ける為に。


「麻苦の後ろについてくる敵を射殺すんだ」


「弓構えー! 曲射による遠距離射撃! 決して味方を巻き込むなよ、てぇ!」


 劉司馬が数少ない弓兵を統率してタイミングを合わせる。矢が飛び過ぎるのには目を瞑り、手前の羌族歩兵に被害が出ない様に調整した。


 俺の命令の意味を充分体現できている、それでいい。数百の敵が陸地まで追いかけてきても、囲んで追い落とせば全く脅威にはならない。むしろ見せしめになって丁度良い。


「退き返せ!」


 馬鹿ではない、追撃を仕掛ける部将も部下を丸ごと死地に追いやるつもりはないらしく、半分ほどまで進むと川下へと離脱していった。


「うむ。李別部、移動を再開するぞ」


「御意。偵察隊出ろ!」


 指揮官に命令することで全体を動かす。大軍になればなるほどそれは必須といえた。魏軍を河の向こうに残し、一行は南へとさっさと行ってしまう。船を集めて渡って来たとしても、その頃には視界から姿をけしていることになる。程なくして騎兵も追いついてきて、中軍に収まった。


「こんなことがまだ何度もあるだろうな」


 予言ではない、それが戦略と言うものだし、地域統治を任された者の仕事でもある。呉国内に入ったがこれといった妨害もなければ警備にも会わんな? 武陵を縦断して二日、本当になんの異変もなかった。喜ぶべき誤算ではあるが気味が悪い。


「そろそろ零陵郡だな」


 何日も馬上で移動のみ、話題も尽きて無言が続きがちになってしまう。景色もそうそう変わり映えもせずに、草木が生えただだっ広い平野があるだけ。


「李将軍と連絡を取るべきか」


 独り言をぽつりぽつりと漏らす。そうだ、今度長距離移動する時には、語り部でも連れて行くとするか。思いついたことを雑多なメモ帳に記しておく。


「ご領主様、もう幾ばくかで零陵城が左手に見えてくるはずです」


「そうか。随分と遠くに来たものだな」


 或いは南へ戻って来たと言うべきか。こちらが近くを通れば李信のやつも合流して来るだろう。体力をすり減らさないように比較的ゆっくりと行軍している。行動力を維持しているのは、いつ戦いが起こるか分からない流軍だからだ。


 蜀領内を行ってたとしたらどうだったろう? 巴東は封鎖、益州へ入ったとしたら発見されて、今頃にらみ合いでもしていたか? 詮無き妄想を繰り返す、どちらが良いかなど最早考えたところで何の意味もないのに。


「ご領主様、あれを」


「なんだ」


 左手前方から十騎ほどの小集団が近づいてくる、じっと見ているとそれが李信だと解る。ふむ、無事で何よりだ。やはり殷基太守は穏やかな気性の人物らしい。戻って来ると李信が側に馬を停める。連れの騎兵に見覚えが無いが、あいつらは?


「ご領主様、李信ただ今帰着いたしました」


「ご苦労だ。首尾は」


 聞かずとも解っているが、一応な。何せ目の前に居るのだ、認められなければ拘束されているだろうさ。


「殷太守は島侯へ弔問の礼をお伝えするようにと」


「そうか。ところで後ろの奴らは?」


 緑の外套を揃いで着けている五人。一緒の所属なんだろうが、今の今まで緑は親衛隊に居なかった。


「零陵軍の兵で御座います。自分が城を抜けるにあたり護衛として付けて頂きました」


 護衛が必要な状況か。はてさて何が起きているんだ。説明をするようにと目で問う。その位は李信も気付けるほどの付き合いになっていた。


「現在零陵城は賊の攻撃を受けて交戦中で御座います。城兵三千に対して、賊は一万。城外の集落を略奪し猛威を振るっております」


 そんな中、わざわざ兵士を付けて送り出してきたわけか。それにしたって守備兵三千は妙に少ないな。


「なぜ郡都がそのように手薄なのだ?」


 治府があるのだから、一万とまでは行かずとも、三千などと言う小勢はおかしい。


「城内へ収容しきれない住民を、隣郡へ避難させるために護衛に割いている為です」


 己の保身より民の安全を優先したわけか。殷基太守、見どころがある奴じゃないか。血で血を洗う乱世では長生き出来ないタイプだな。


「周辺からの増援は」


「長沙郡でも大規模な反乱が起きていて、武陵並びに桂陽の諸軍はそちらへ出兵中の様子」


 孤立無援か。それならば民を見捨てて治府を堅守しても中央から叱責もされんかっただろうに。


「お話のところ申し訳ございません。我々は城へ戻らさせていただきます」


 零陵兵が一言だけ挨拶をして帰ろうとする。領国の一大事だと言うのに、敵将の為に命を懸けるか。


「李将軍、賊の練度はどうだ」


「あの程度、魏の精鋭に比べれば案山子も同然かと」


 俺が軍人になって目指した先を思い出せ。なんてことはない普通の生活を、皆が普通に送れる世を実現させたかった。努力が認められる世を作りたかった。


 零陵兵に視線を移して表情を見る。一様に硬い、それはそうだこれから賊の間を縫って帰還しなければならないのだから。城に辿り着いたとしても、絶望的な戦いが待っている。


「銚華、すまんが少し寄り道をする」


「旦那様が行くところ、どこへなりともご一緒致しますわ」


 羌族の姫は苦言の一つもなしに全てを認めた。逃亡中の身で、他人に構って居られる余裕などこれっぽちもないというのに。


「李信、賊徒など鎧袖一触で蹴散らすぞ」


「御意!」


 側近の騎兵が戦闘準備をするようにと軍営に触れて回る。まったく、馬鹿は死んでも治らんな。


「零陵兵よ、案内しろ。住民の平穏を乱す輩を許しはしない、義により島介が助太刀する」


「敵国の者を助けると?」


 真意がわからないと訝し気な顔になる。それはそうだ、放っておけば蜀に有利になるわけだからな。


「殷太守は民を安んじる為に身を挺して戦っている、そこに敵も味方もありはしない。俺が求めるのは、自身で納得いく行動が出来るかどうかだ」


 わだかまりなく、こうであれと信じて言い放つ。あっけにとられていた零陵兵が数瞬で我に返る。


「援兵かたじけなく! 自分が先導致しますので、どうぞこちらへ!」


 緑の軍兵を先頭にして零陵を南東へ進む。右手には山地があるが左手は平地。先へ進めば前方にも左手にも山があるらしいので、三方を囲まれた盆地のような地形。


 その盆地の一番奥、山の裾野にある小さな平野部に出来た街が零陵だ。三方の山地には監視の兵、平野部の出入り口に賊の大集団が見える。


「城の側に三千、三方に千ずつ、本営は四千前後か。軟弱な陣立てだな」


「島の大将、左手の山地、俺達なら騎射の足場に出来る」


 焼良が随分と高低差がある荒れた斜面を指して意見を出して来る。おいおい、あれは崖だぞ、正気か?


「あそこから射降ろされたらたまらんな」


「二百歩先のうねった丘、こちらから二つ目だ。あそこに三列横隊を敷けば囲地から逃がさん」


 今度は麻苦が結構な幅を指して止められると言うではないか。自信過剰……ってわけでもないんだろうな。逃げ場がない低地に押し込んで射続けたら、出口に殺到する。それを押しとどめるとどうなる。算を乱して散り散りになるか、一点突破を図るか。


「李信、羌族歩兵五百で右手の岩場に伏兵だ。李封は左手に。麻苦、俺の合図で中央を開いて賊を通せ、ここで左右から削り取る」


 勝手に羌族兵を指揮下に置くと作戦を押し付ける。どこからも反発は無い。


「ご領主様は?」


「三列横隊の後備に入る」


 敵軍の目と鼻の先、矢の直射距離の範囲内でもある。本来ならばそのような場所に高官が居てよいはずがない。


「危険すぎます、せめて岩場へ――」


「司令官が遥か後方から指揮を出来るか!」


 俺は私兵団の司令として隊を指揮した時から常に前線に在り続けた。将軍と呼ばれようと、領主と言われようと、そのスタイルを崩すつもりはないぞ!


「はっはっはっは! 西戎と蔑まれ刃を向けられる我等に命を託すか。姫が入れ込むだけのことはある。見せてやろう俺達の戦い方を。麻苦、やるぞ」


「面白くなってきたな焼良。平地の民に劣るようでは郷へ戻れん、酔狂な将軍に付き合うとしよう!」


 それぞれが部族兵のところへと行くと編制を改め軍を動かす。集団が一つの生き物のように滑らかに進んでゆく。


「封、決してぬかるなよ!」


「上手い事兄者に合わせる、心配するな!」


 二人も一礼すると左右の岩場へと隊を引き連れて移動した。士気は上々、わがままでもなんのそのだな。しかし零陵城は城壁も低く、守るのにも苦労しそうな設えだ。装いが違う兵士が銚華の元へ駆けて来ると報告を行う、情報収集に出していた者だ。


「賊の首魁は藩既とかいう者のようですわ」


「ついぞ聞いたことが無いね。ぽっと出なのか偽名なのか、一万の軍勢を集めるだけの実力はあるようだが」

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