第46話

「この先も蜀軍と遭遇することがあるでしょう、どうするおつもりですか?」


 銚華の疑問は最もで、末端になればなるほど詳しい事情など知る由もない。


「川沿いに降って行けば県城が幾つかある、近寄れば争いが起こるだろうが避けて通れば無茶もすまい」


 落ち武者狩りは金になる、途中で寝首をかこうってやつもいるだろうがね。数時間の行軍、小さい集落が見えてきた。雍州の東端、書類上の名称も思い出せないような郷だ。


 軍兵、それも異民族の羌兵を見て腰を抜かさんばかりに驚いている。郷の長老が出てきて恐る恐る馬上のこちらを見上げて来る。


「お前がここの長老だな」


「は、はい」


「郷の名は」


 きっと呂軍師ならすらすらと言えるんだろうな、俺には無理だ。それと脅そうとしているわけじゃないんだ、そんなに縮こまってくれるな。


「蜀は雍州の京兆尹、新豊の栄郷で御座います」


「ふむ。俺は雍州牧の島だ。長老、負傷兵の面倒をみて貰いたい」


「雍州様で御座いましたか! どうぞお任せ下さいませ。ですが郷に充分な糧食も無く……」


 それはそうだな。急に大勢来られても困るだろうさ。羌族兵らは充分持っているな、それを分け与えるか。


「銚華、百石の食糧を置いていく。良いか?」


「はい旦那様。お言葉の通りに」


 羌族兵に確かめることもなく即答する。羌族にとって俺は蜀の高官だったから価値があったわけだ、今後の態度に注意を払う必要はあるよな。


「長老、迷惑料込だ。李護忠将軍の言を良く聞くんだ」


 いつ倒れてもおかしくない状態のこいつを早く休ませんとな。陸司馬が実務交渉にあたり、重傷者がそれぞれの家へと運び込まれていく。


「ご領主様、必ず合流致します。暫しの暇をお許しください」


「ゆっくり傷を癒すんだ。お前の出番はこの先にいくらでもある、決して焦るなよ」


 視線を絡めて後に馬首を南へと振り向ける。冷将軍が各地を封鎖して居たら厄介だな、行ってみねばわからんが。


 河を左袖にして歩み続ける、陽が落ちても少しの間は進んだ。ようやく野営を始めたあたりで西羌兵が追いついてきた。親衛隊の残りも二百を切ったか、こいつらには苦労をかけっぱなしだ。


「ご領主様、骨進殿がお話があるようですが」


 李封が幕にやって来ると告げる。中には銚華に信、他に数人が居る。


「ここへ通せ」


 案内も終わったし帰るってことだよな。骨進が中へとやって来る、散々な目にあったにしては落ち着いていた。


「昼間はご苦労だった」


「ま、あんなこともあるさ。山は越えたわけだが、あんたはこれからどうするつもりなんだ」


 それな。目の前も良く見えていない状態だ、ノコノコと兄弟のところに転がり込もうと思っているんだがどうか。


「永昌郡に入るつもりだ」


 そこが中継地点でもあるし、呉鎮軍将軍に話を聞けば色々わかるだろう。あいつなら話も聞かずに兵を向けて来ることも無い。それに呂軍師の息子も居る、不甲斐ない目に遭わせてしまったこと、一度謝罪しておく必要はある。


「そうか。で、そこでどうするんだ?」


「正直なところ今はまだわからん」


「はっはははは、どうやらあんたは本当にそんな感じらしいな」


 骨進が面白おかしそうに笑う。嫌味があるわけではない、愉快なだけだ。若干供回りが不快そうな表情を覗かせたが気づかなかったことにしておこう。


「この性格は死んでも治らんぞ」


「まあいいさ。折角だからもう少しついていく、自分のことは自分でする、手間はかけさせないさ」


「好きにしろ」


 そう言ってやると骨進は出て行った。


「ところで銚華、どうしてあんな場所にいたんだ?」


 山地に兵を寄せた、俺がどこにいるか知らないのにだ。疑問には思っていたが今まで機会がなくそのままだったからな。


「函谷関は門を閉ざして通行不能で御座います。代県まで行けば、魏国でも旦那様の姿を認めるでしょう。そうなれば南回りは無理、山地を抜けるしか御座いません。どの山道を行くかまでは解りませんでしたが、鳥の動きを見ましたので」


 ふむ、銚華は賢い娘だ。それに兵の信頼を得ているようだ、女であっても将としての素質充分だな。


「そうか。しかし、蜀に刃を向けたわけだ、羌族に申し訳が立たんのではないか?」


「私が刃を交えたのは李厳と寥化という、蜀の腫瘍。首が繋がったままとり置いたのが残念でなりません」


 女傑とでもいうのだろうか、想像していた返事のいくつか先をいった。どうやら俺は押しが強い女が好きらしい。


「ふふ、そうかもな」


 太陽が出ている間は動き続けるつもりで先を急ぐ。途中でわざと目撃情報を残していくのを忘れない。李項のところに軍兵が行くのは遅ければ遅い方がいい、俺の方にひきつけておかんきゃらなんな。


 十日の行軍、兵糧は途中途中で徴発を行った。といっても正当な権限範囲内ではあったが。昼前の平野部、ずっと左袖に河を見たまま。赤い伝令旗を指した偵察が戻って来てすぐに報告を上げる。


「申し上げます、この先の狭隘部に『巴東』『冷』の軍旗が見え、関所を築き往来を封鎖しております」


「だろうな」


 冷建威将軍は東方の要、中央の命令に従順で堅実な動きをするからこそ据えられている。丞相府の命令が下れば疑問があっても遂行するはずだ。これを力で抜くのは上手くない。説得もきかんだろうがね。


「ご領主様、一旦河を渡り東の呉国を抜けてはいかがでしょう?」


 供回りを従えている李封別部司馬が兄の代わりに思案顔で進言して来る。


「聞こう」


 まずはこいつの考えを聞いてみるとするか。蜀内を行くのも呉を行くのも面倒ごとはさほど変わらん。


「先の呉との交戦で零陵の殷礼太守の亡骸を返還致しました。現在の太守は子の殷基に御座います。白旗を掲げて通行すれば、これを見咎めることはないでしょう」


「なるほどな」


 儀礼を重んじるだろう人物なはずだ。通過に際して弔問をするなどすれば、きっと戦いにはならんだろう。一方で零陵で戦闘をした事実がある、恨みをもった奴らもいるはずだ。


 とはいっても江陵、武陵を抜けて零陵にまで行くことは同じように困難だろう。どちらでも構わんが、折角封が意見してくれたし、蜀軍と争うのも気持ちが良いものでは無いからな。


「李別部の言を採る。速やかに渡河するので渡し船を用意するんだ」


「御意!」


 騎馬も居るが今回は羌族歩兵が多い、泳いで渡れとは言えん。


「旦那様、河を渡るだけならば葦の筏でも充分と考えます」


「はしけか。うーん、確かにそうかも知れんな。このあたりの領民で風が弱い時間帯と、河の状態に詳しいものを連れて来るんだ。無理強いはするなよ」


 左右の者からの言葉をきき、素直に受け入れてしまう。進言が認められれば嬉々として遂行しようとする、そこはお互いより良い関係になるものだ。行っていきなりともならんな、先ぶれを出しておくか。誰が適切だ? といっても選択肢は無しも同然か。


「信こちらへ」


「はい、李信ここに御座います」


 呼ばれると速やかに眼前にやって来る。まだ若いが随分と責任感が出てきて良い表情になったものだ。


「李卑将軍へ命じる、中侯島の名代として、零陵太守殷基の元へ行け。殷礼の弔問と領地通過の先ぶれだ」


 名目として中侯を使うのは李信の人選と関係がある。首都で官職を剥奪すると話があったとしても、きっと爵位までは皇帝の許しなく簡単にとり上げることは出来んからな。先方に迷惑を掛けない為にも、無難なところを使っておかねば。


「ご領主様の名代、確かに拝命致しました!」


 まさかの大任、緊張が走る。軍事の補佐は今までもしてきたが、まったくの畑違いの仕事。指名されて事で忠誠心が刺激された。


 側近をまた一人減らして、残るは李封別部だけか。思えば元は自分一人だったんだ、現状になんの不足もない。李信を見送り真っすぐに前を向く。見ているのは目の前の風景などではない、もっともっと遠くのどこかだ。


「旦那様、ここに銚華もおります」


 ずっと横顔を見ていた彼女がわざわざ口にする。そんなことを言わせるほど頼りなさげだったと気を引き締める必要があるな。頂点は思い付きを実行するくらいの余裕を持てだったな。昔、妻に言われた苦言を思い出したよ。


「銚華は南蛮へ行ったことはあるか?」


 少し目を瞑ると色々と浮かんでくる。随分と長いこと居たしな、というより殆どあのあたりで暮らしていた計算になるか。


「いえ、御座いません」


「色鮮やかな果物に、北方とは違う種類の宝石、それに大きな象も居る。一年中温かいし、見たことも無いような木々が生い茂っているぞ」


 寒さは国力増大を阻害する、文化や技術を持っていれば北方より南方の方が地力は高い、だがいかんせん困ることが少ないと、発展は遅くなる。今も昔も比較的生きるのに難しい地域の人間の方が、技術を磨き、団結して集団を強くしてきたものだ。


「南蛮で暮らすのであれば、どうぞこの銚華もお連れ下さい」


 どこへでもついていくと口にする。別に南蛮で隠遁するつもりじゃないよ。それでも構わないと言えなくもないが、やり残したことがあるからな。


「そんな長く居るつもりはないさ。それに銚華を手放すつもりもない。だが兄弟に紹介はしておきたいものだね」


 ふ、孟獲は何ていうかな。


「南蛮の孟獲大王、勇猛で度量の広いお方だと聞き及んでおります」


 世間の噂と言うのは結構適切に広まるもので、誤った情報を流すとどこかで激しい矛盾を生じる。相反する情報が出て来た時、最大限の注意を払うべきだ。そうすることで状況の変化を望む者が工作しているわけだからな。


「そうだな。気持ちの良い奴だよ」


 簡単な船を用意して河を渡る。この先何度も使うことになるので余分に作らせて運ばせておく。魏と呉の境界線はこの先だな。流石にまだ俺がこのあたりに居るのは伝わって無いようで大勢様のお越しはないか。


 どこかで目撃されて通報されてはいるだろうが、三千前後の兵力だ、一地方の警備部隊程度では向かっては来れんからな。逆に襲い掛かって来る時は、こちらに勝てると思えるだけの数を揃えてきているってことになる。渡河してから二日、長江を眼前にしたところで軍がやって来た。


「さて、いよいよお出でか」

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