第43話

 空いた床几に李信が腰を掛けて本陣の主将を務める。長安城の防衛でこういう場面が何度かあり、全体指揮の経験もある、心配はない。左手から一隊が進出し敵を押し出していくのが見える。


「こちらも行くぞ、重装騎兵の本領を発揮しろ、続け!」


 右手防衛戦を担う部隊が進撃路を空けるために左右に移動する。出来た隙間を速足の騎兵が素早く通り抜けると、攻め寄せる烏丸兵に体当たりをかけた。


「ぐわっ!」


 数百キロの質量を備えるものが時速数十キロでヒトを跳ね飛ばす。馬の足が止まると脇から後続が現れ次々と体当たりを行う、すると死を恐れる敵兵が左右に散ってかわそうとする。


「道が出来るぞ、進め!」


 先頭で矛を振るいながら次々と歩兵を突き倒していく。敵意に殺意、ぎらついたその瞳、戦場に在って俺の首を狙う奴らの多いこと。だが決して譲りはせん!


 左右から親衛隊がせり出し、いつしか人垣の中心へと居場所を移す。首をひねり周囲を軽く見回すと、敵の指揮所まであと百メートルちょっとにまで迫っていた。逃げる気は無いようだな、この位の防備なら突き抜けるぞ!


「李封、三角陣で残りを突き抜けるぞ!」


「御意!」


 部隊で腕がたつ兵を先端に集めるとグイグイと進ませる。左右から押しつぶしてやろうとの圧力が凄いな! 足が止まれば騎馬の優位が薄まる、これだけの接近戦だ、あいつを使うぞ!


「短弩で奇襲だ! 合わせろ、五、四、三、二、一、てぇ!」


 親衛隊が腰から小さな箱を取り出すと、同時に目の前の相手に向けて出っ張りを押す。すると短い鉄製の矢が飛び出し、烏丸兵の腹に突き刺さった。


 使い終わった箱を捨てて乱れる防備に突撃を仕掛ける。短いが再度駆け足が出来るだけの隙間が出来たので、騎馬で体当たりをかけた。残りの距離をあっという間に縮めると、攻撃隊指揮官に矛を向ける。


「ここまでだ! 逃がしはせんぞ!」


 烏丸武将へと切り掛かる、流石の腕前で二度三度俺の攻撃を受け止めてきた。やるな、だがその位のヤツに負けるほど俺は弱くない!


「うぉぉぉぉ!」


 右に左に矛を振り回して穂先に体重を乗せて強撃を繰り返す、基礎体力である体格が遥かに違うせいで力負けして矛を取り落としたが最後、横一閃した刃が武将の首を跳ね飛ばした。


「赫軍が島、烏丸の将を討ち取った!」


 あらん限りの声を上げる。親衛隊も時を同じくして勝鬨を上げると、烏丸兵に動揺が走った。これ以上は不要だ、陣に引き返すぞ。


「撤退だ!」


 馬首を返してきた道を駆け上る、邪魔立てする敵は殆ど無く、岩場の斜面を登ってゆく。右手を見ると赫凱らも引き返していた。これだけやれば増援を送らざるを得まいな。今夜が山だ。


 本陣に入ると下馬して床几にと戻る、李信が脇に立ち負傷者の手当てをするようにと指示を下す。


「篝火を焚け、飯を食わせるんだ、塩を一緒になめさせるのを忘れるなよ」


 これだけ動き回れば汗で塩分が流れる、意識的に塩を摂取させなばな!



 指揮官を失った烏丸軍は勢いを完全に削がれた、攻撃の圧力が弱まっている。陣営は警戒半分、寝ないで戦う状態が保たれている。仮眠を取らせて眠気を払ったらすぐに最前線、俺達に交代は居ない。


「寝不足は慣れています」


「ふん、言うようになったな李封」


 床几に腰かけているすぐ隣で矛を片手に立っている李封が冷静に戦場を見守る。焦っても恐れても、それに驕っても上手く行くことは無いだろう。


 傷だらけで何とか戦線を保っている、敵の増援が現れるのは払暁といったところだな。ではそこが赫将軍の出番と言うわけだ。目を閉じて少しでも体の負担を減らす。覚醒はしていてもこうすることで疲労は抑えられる。


「陸司馬、二十で劣勢を支えてこい」


「御意!」


 主将である俺が言わずとも維持は出来るか。あたりを見る、親衛隊が百程が総予備になっている。動かす時は最後の最後、勝負の分かれ目。推移を見守り数時間、そろそろ夜が明けるころ。すっと立ち上がると遠くを見つめた。


「ご領主様?」


「これが最後の攻撃支援だ、親衛隊百は俺について来い」


 矛を取ると騎馬してぐるりと囲まれた陣地を見て回る。南の攻勢が弱い、各方面に次席の指揮官が居る感じだろうか? バラバラに戦っている、この頭脳をもう一度失えばそこの兵は退くしかなくなる。


 太陽が昇るまで一時間程、敵の本陣から距離を隔てた戦場で俺が出来ることは、増援を可能な限りこちらへ引き付けることだ。


「どうしてお前がここに居る」


 百の親衛隊を率いる将が李項なことに気づく。後方は李信が代わりに臨時で指揮を執り、こいつは休んでいたはずだが。


「赫将軍ならばこの機に必ずや勝利をもぎ取りましょう。ならば自分が一番お役に立てるのはあと数時間、休んでなど居られませんので」


 どいつもこいつも成長が早い、若いうちの経験は人を大きく育てるわけだ。


「……南陣の武将を切り取る、時間制限は朝が来るまでだ」


「では朝飯前に済ませてしまいましょう。親衛隊、出るぞ!」


「応!」


 有無を言わせずに李項が先頭に立つ。将軍としての身の振り様が板についてきた、それが嬉しいようでもあり、無理やりに戦場に立たせてしまったという、考えてしまう部分でもあった。


 俺が引っ張り出さなければ、普通の民として幸せな家庭を築いていけただろうに。いつ死ぬのかはわからないが、せめて家族と側に居られた方がどれだけ良かったか。


「さっさと終わらせるとしよう」


 鉄騎兵の一団が篝火と篝火の間に姿を浮かべる。外を向いて踏ん張っていた歩兵が振り向いて一瞬驚くが、鉄騎兵の視線が敵へ向いているのを見て安心した。五騎が横に並んで矛を構えた。中央に身を置く李項が「俺に続け!」駆けだすのを待ち前へと踏み出した。


 下り坂を巨体の鉄騎が下る、それを止める手立ては存在しない。馬にはねられて仰向けにひっくり返ると、運が良い者は蹄で体を踏み抜かれて即死する。そうでない者は悲鳴を上げてあと数秒の命を恐怖で染める。


 五騎十列の破滅的な突撃であっさりと烏丸兵の群れが貫かれる。ここに大将がいるぞと示している大きな幕が程なく見つかる、そこへと馬首を向けるころにはあたりはすっかり敵に囲まれていた。


「こうもお膳立てをされて抜けないようでは俺も木偶の仲間入りだな。李項の隊を囲んでいる奴らの背を抜けていくぞ!」


 多重包囲されてしまっている李項部隊、それらを囲っているものは当然中心を向いている。背をついでに切りつけながら、時計を半周するようにして命を刈り取り幕へと進む。大慌てで起床して防備を固め始めたようだが遅い。まさかという時に攻めてこそ、戦いは勝てる。


「突っ込め!」


 十倍する敵兵の防備があるが、多くを置き去りにして急襲した。ただそこに存在するだけの兵など戦力にならん!


 幕へ一直線、立ちはだかる者を根こそぎ張り倒して鉄騎兵が行く。指揮系統に混乱を起こす。急きょ防衛に向かうように各所へ早馬が走る、そのせいで李項の包囲が緩んだ。すると一角を突破して、こちらと違う方向から幕へと向かう。ここが無理のしどころだ!


「横陣二列! 面で押せ!」


 生き残りを二手に別けて攻撃力だけを一時的に増大させる、犠牲はスタミナと全方位の防御力。一気に攻め寄せる赫軍兵の圧力に、司令官を欠いている烏丸の南部隊は動揺を隠せない。


 右に左に矛を振るっているが、何せ敵の数が多い。息切れをして体が悲鳴を上げそうになる。くそっ、体力不足で負けて堪るか!


「うぉぉぉ!」


 歯を食いしばり、本人でも驚くような動きをみせる。敵わないとみた烏丸兵が、一人、また一人と逃げ出していく。空が白み始めると、左手前方で声を上げる者がいた。


「烏丸の武将を討ち取った!」


「やったか! よし、撤退するぞ!」


 よくぞやった! これで赫雷も攻め負けるわけに行かなくなり、数と質を増加させるしかなくなる。


 息を乱して周囲を見渡す、敵ばかりだ。馬を隣に寄せてきて李項が「ご領主様、自分が道を切り開きますのでお退き下さい!」言うが早いか、半数を率いて包囲を崩しに掛かる。俺が足を引っ張っていてはどうにもならんぞ!


「戻るぞ!」


 とは言えこの数を抜けるのは正直かなり厳しい。結構な人数を失うことになるだろう。この場に居続けるわけにはいかない、今も昔も活路は前にしかないことなど解り切っている。


 汗が滴り目に入るが無視して歩兵を凝視する、視線で圧倒出来たらどれだけ楽か。供回りも体力の限界、だが目だけは死んでいない。惜しい、こいつらを失いたくない!


「こ、これは!」


 目の前で起きていることが信じられない。赫軍の本陣が下って来て合流しようとしているのだ。二本の軍旗『赫』『島』はきっちりと掲げられている。

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