第33話

 言い回しが妙ではあったが、異論を出さずに直ぐに指示に従う。平服に剣だけ、これなら護衛でもあちこちで見かける程度だ。全員が騎乗する、これはこれで異様な気もするが隣町まで乗りつけるだけだから良いさ。咸陽の城門で差し止められそうになるが、銚華を見て素通りを許した。


「俺じゃなくて銚華が一行の主人だと思ったみたいだな」


 それだけ頻繁に見回りを行っている証拠だ。


「申し訳御座いません旦那様」


「責めているわけじゃない、良くやってくれていて助かるよ。けどあまり危ないことはするなよ」


 警備を自称する女武人に対して言うような台詞じゃないのは知っているよ。何とも反応しづらい言葉に、困ったような表情を滲ませて無言で馬を進める。適当に馬を降りて城内の一角にある貧民区画に踏み込んだ。どうしてそんなところに住んでいるのかは解らんが、理由があるんだろ。


「ご……しょ……あー、旦那様、この辺りに董先生の住まいがあるはずです」


 言われる前に自制出来れば充分だ。通りの先で手を振っている護衛が居る、見付けたようだな。徒歩で半分崩れ落ちそうな家の前にまで行く。これはついこの前まで太守をしていた奴が住む家じゃないぞ。


「銚華だけついて来い」


 朽ちた木片の柵を越えて、焼いた土壁に囲まれた庵に入る。広さだけはそこそこあるが、人の姿は二つだけ。


「どなたでしょう?」


 若者が出てきて応対する。着の身着のままでこれといったオーラも無い、書生だろうか。手を合わせて礼をする。


「ここに董先生がいると聞いて立ち寄ったものです。魯真と言います、こちらは妻です」


 悪いが偽名を使わせてもらう。見る者が見れば俺が誰か解るらしいが、話もせずにすぐには解るまい。奥の間に居た四十路の男が出てきて訝し気にこちらを見る。


「私が董遇だ。君は何故ここを訪れたんだね」


 おっと、理由を考えなきゃならんな。適当にでっちあげるか。


「先生の名前は聞き及んでおりましたので、この近くを商売で通る時には寄ろうと思いまして」


「ふむ。まあこちらに掛けなさい。これ、茶を淹れて差し上げて」


 これまた粗末な机だ。目の前に出された茶も、麦茶を沸かせたようなもので濁っている。唇を濡らす程度に口をつけて早速本題に入る。


「――先生は学問の道をどのように進むおつもりでしょう」


 漠然とした質問を投げかける。ただの商人ではないのがこれでわかるはずだが、その先をどうしたいかで態度が変わるだろう。董遇は銚華を見てからこちらに視線を移す。


「老子の教えに従い、つつがない余生を送り、静かに天寿を全うするつもりだ」


「武功太守をお受けしていたそうですが」


「かつての曹丞相への御恩を返す為の奉公。だが魏の支配が崩れた今、それに固執することもなくなったのでな」


 確か曹操暗殺の嫌疑を受けていたって話だ。手元から離れたら殺されるくらいあるだろうな、それを解って側近の末席として常に同行していた。転出したのは曹丕が即位してからで、遠ざけられたのと同義か。だがやることはやったので、お互いこれ以上の干渉はしないように隠遁というわけだ。しかしそうは問屋が卸さんぞ。


「もし先生が学問に打ち込める場があったらどうでしょう」


「……なにをいいたいのだね」


「私はある日、兄弟にこう言いました。家族と平和な時間を過ごし、命を繋げるだけの緩やかな時間を与えたい為に戦っていると。平和を維持するために武器をとれども戦うことなく、小さくとも戦乱の無い理想郷を求めて、足りないことを不自由に思わない、そんな未来を目指しています」


 これがこの時代にあっていないことなんて百も承知だ、だがソレを求めて何が悪い。じっと董遇を見詰めて動かない、笑うなら笑えば良いさ。


「君は老子を知っているかね」


「名前だけしか知りません。昔の人で、そんな本もあったくらいしか」


「そうか……先ほどの思想は老子の一部でもある。君のような人物が大身であればと思ったよ」


 力なく微笑んだ。決して馬鹿にしているわけでは無い。肩の力が抜けて、急に年齢を感じさせた。


「実際のところ、先生は学問を広めるお気持ちはありますか?」


「無くは無い、というのが正しいのだろうな。気持ちだけではどうにも出来んよ。武功には幾らか教え子がいたが、一人しかついては来なかった」


 その一人もアレでは先が見えんわけだ。


「端的に先生の教育方針をお教え頂きたい」


「己を磨くのは己。師に問う前に考え、書より学べ。努力に優るものなし」


 報われないのは見て貰えていないからだ。それはどの階層でもあるってことを知ってもらいたい。


「私もそう考えますが一つだけ」


 何だね、って顔が言っているな。言葉がなくても通じるもんだ。


「書より学び、考えたことを知っていてやって欲しい。努力を認めてやって欲しい。上に立つ者はそれぞれの働きを見てやるのが大切だと考えています」


 大真面目にそう断言してやる。口を出すことはなくても、知っていてやる、見ていてやる。


「……そう、なのかもしれんな。私は自分の中に籠り過ぎていたか」


 人生晩年を迎えて少しは思う節があったようだな。そうえいばこいつより実はこの世界では俺の方が年上だってのはどうなんだ?


「いかがでしょう、私が学舎を設立して先生がそこで博士になられませんか?」


「博士に? 見てわかるように、私には何の蓄えもないので職位を買うことは出来んよ」


 官職が売買されていたのは事実だ、こういう話に警戒するのは当たり前なんだろうきっと。首を左右に振り「そのような心配は不要です。教鞭をとって頂けるなら、私が全てを用意させていただきます」笑いもせずに請け負う。


「ふむ。隗より始めよ、というわけか。良かろう、こうまで言われて断る程の器ではないのでな」


「ありがとう御座います。三日後に迎えを寄越しますので、その者にお任せ下さい」


 よし、まずは一人だ! 細かい性格は解らんが、教育方針としては俺好みだ。支度金くらいは置いていくとしよう。懐から銀貨を数枚取り出して目の前に置く。


「お時間を頂いたお礼です。後程またお会いしましょう」


 一礼して庵を出る。外では李従事が起立で待っていた。別に座って休んでいてよかったんだが、これもまたこいつの方針ってことなんだろうな。


「待たせたな。戻るぞ」


「はい、旦那様」


 一行を引き連れて咸陽を出る。長安西門を騎乗で通ろうとすると、門衛が矛を脇に抱えたまま手のひらと拳をあてて礼をした。長安じゃ俺も有名人だな、人を探すならここ以外でやるとしよう。



 三日の後に呂軍師を迎えに出した。董遇は装いをみて大層驚いたらしいが、呂軍師は落ち着いていたそうだ。このあたりに人間としての適性部分が垣間見えるよ。どちらが優れているというわけでは無いがね。


 内城に董遇が登って来る、例の書生を一人だけ伴ってだ。絨毯の真ん中を進んで来ると、長い着物の袖で隠れた手を胸の前で合わせて礼をする。


「弘農の住民で董遇と申します」


「良く来てくださいました、董遇先生。申し遅れましたが、島右将軍です」


 椅子を立ち、段から降りて行くと目の前にまで歩む。これは儀式の一つだ、ばかばかしくても権威を保つためには必要なことだ。


「お噂はかねがね。いまや蜀で飛ぶ鳥を落とす勢いの大人」


 心底そう思っているかは別として、仕官するつもりはあるようでなによりだ。


「無骨な武人でしかありません。知恵が足らない私に、どうか教えを説いては頂けないでしょうか」


「私のような小人で宜しければ、何なりとお申し付けくださいませ」


 台本の読み合わせをするかのようなやり取り。ここまでは董遇も想定通りだろうな。


「それでは印綬をお受け取り下さい。これ」


 取り扱い係の者に持ってこさせる。お盆に載せられた印は三つ、銀印青綬で比二千石の大官だ。右将軍は一万石が俸給だが、中県の三万石が追加収入になっている。


 俺のは非常に珍しい組み合わせと言われた。銀印紫綬、つまりは大臣級の官職だってのに上公らが使う紫綬を許されてる。完全に孔明先生の贔屓でしかないが、有事に後方で総司令官の代理じみたことを勝手にやっていたのを暗に追認した形ってことだ。

 

「こ、これは――」


「右将軍後軍師雍州文学従事中博士の印綬です。先生、何卒後進の育成にお力添えをお願いいたします」


「何故……とは問いますまい。先が長いとは言えない残りの人生を学問に捧げたく思います」


 退出していく董遇の背が見えなくなると、隣の呂凱に視線を向けた。


「数年の後、長安の学府が栄えているでしょう」


「州の予算から学舎に関わる奴らが、勉学に専念出来るだけのものを手当てさせておけ」


「御意。丞を置いて経理や運営一切を取仕切らせるのが宜しいかと存じます」


 文学従事が六百石か、丞なら四百石になるが出来れば上の官を任じたいな。


「それだが、雍州主計従事を設置させて六百石の官にしたい。教導権限は与えずにだ」


「ご所望の通りに」


 思い付きを実現させて執務を終了させる。上手くいくにしても結果はかなり先だな、まあいいさ。


「そう言えば呉将軍から文が来ていた。呂軍師の息子は立派な武将だってな」


 本当だぞ、親に似てって部分は伏せておこう、反応しづらくなるからな。


「愚息がご迷惑をお掛けしないことを祈るのみです」


 目を閉じて畏まる。そう遜ることもないってのに、性分だな。これで敵相手には断固たる態度をとるんだから頼りになる。


「都尉ってことだったが、俺から官位を贈りたいがどうだろうか」


「ご随意に」


 ふむ、あくまで俺の意思を尊重するってか。どうしたもんかね、あまり高位の物を贈るわけにはいかないし、低位では意味が無い。


「卑将軍号を贈ろう。呉鎮軍将軍の補佐をするように要請してな」


 いずれ郡から切り離して使いたいが、数年はそのままにしておこう。何かあれば外へ出られるような準備だけはするだろう、なにせこいつの息子だからな。


 雑談をしているところに伝令がやって来る。だが赤の旗を差してない、呂軍師の目の前に来ると片膝をついて報告する。ふむ、独自のネットワークを持った訳か。


「報告いたします。北地の水寿に山賊が現れ、地域を荒らしております」


 長安の北西数十キロってあたりだったかな。まあ山賊程度放っておけば良かろう。


「山賊と言うが実のところは魏軍の残党。某が赴き討伐して参りましょう」


「残党? どんな奴なんだ」


 逃げ遅れたってならしっかりと刈り取っておかなきゃならんぞ。


「并州の赫昭将軍です。生粋の武人で西涼地方で武勇が轟いておりましたが、魏軍が撤退する際に居残り単独で抵抗を続けているものです」


 単独でか、ゲリラ戦の適性があるんだろうか。


「詳しく知りたい」


「はっ。并州太原郡の生まれで曹操に仕えて雑号将軍になり、西平地方の反乱に際して魏軍ならびに武威の異民族と共同して反乱を鎮めたことが御座います。少数の手勢での攻防、特に防戦が得意の様子」


「思想は」


 前のめりになり姿を想像する。どんなやつかと興味が高まる。


「勇壮で国家への忠誠が強い人物のようです」


「そうか」


 生粋の武人か。そういうのでも雑号将軍ってわけだ。とはいえ魏の雑号は多岐に渡る、何かしらの想いがあってのものだったんだろうな。


「会ってみたくなった、俺も行く」


「御意。赫昭の手勢は千人前後です」


「李別部司馬、行くぞ」


「はい、ご領主様」


 李項ではなく、李信に声を掛けた。李項将軍はついてくる必要が無いという意思表示で、留守にする長安を護るのが役目になる。親衛隊五百を共にして城を出た。呂将軍は自らの手勢五千を率いて親衛隊を囲んで街道を行く。


「この兵は?」


 見かけない軍装の兵だ、新兵だろうか?


「雍州各地からの招集兵です、州軍の訓練代わりと思いまして」


 質は良いとは言えないな、目つきは悪いし体力もなさそうだ。だが治安維持には数が必要になるからな。州軍の司令官は俺だ、州牧ってやつだからな。別駕の呂将軍が兵を動かすのは道理か。

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