第31話
◇
「魏軍が攻め寄せて来るぞ!」
城壁の上で見張りが大声を上げる。今までにない大軍が一斉に押し寄せて来た。警報が直ぐに長安全域にもたらされる。
「やって来たな。ここを乗り切れば一つの山を乗り切ったことになる。李別部司馬、今日は俺も最初から出るぞ」
「御意!」
敵の最強固地点、西門城壁上に司令部を設置。『鎮南』『島』の軍旗を掲げさせる。外を見るとまさに敵敵敵といったところ。
「曹真とやらも出てるな。全体配備をおさらいだ、城外の敵を総ざらいして報告を上げろ」
報告書に記させて要所を見抜く。西の曹真上軍大将軍が最大の首だ、十万の軍勢に費耀後将軍を始めとした将軍複数。南に夏侯尚征南将軍と八万、孟達建武将軍らが所属。特筆すべきはこの夏侯尚が曹真の義弟ってところか。
そして孔明先生のところの夏侯楙安西将軍に十万から少し抜けてるな。名前で解るが従兄弟だ。困ったことにそういう事情から離間はきかんだろうな。それぞれ戦闘で兵力は減じているだろうが、それはこちらも同じだ。
「咸陽付近には郭偏将軍の二万と、張合左将軍、謂水の北側には徐晃右将軍が居たな」
四方の城壁にびっしりと兵士が張り付いた。城壁から熱湯や石が飛ぶ、一撃で死ぬかはともかく暫く戦えない体になるのは間違いない。ビリビリと圧力が伝わって来る、今日は本気だってのがわかるよ。
「軍人としての俺の勘だ、今日はきっと諦めずに押して来るぞ! 者ども、長安を支えてみせろ!」
「応!」
士気は上々、だが体力がどこまで保てるかだ。
「城壁にどんどん資材を持ってこさせろ、飯の炊き出しも続けさせるんだ。何せ兵士は戦いに集中させてやれ、支援団頼むぞ」
趨勢を見守ること数時間「ご領主様、我等も戦闘に」李信別部司馬が進言して来る。
「お前らは総予備だ。今は出る幕ではない」
城門が破られるか、或いは……だ。俺としては後者であれと願うがね。陽が落ちても攻撃の手は緩まない、そのままかがり火を多数用意しての夜戦に突入することになる。
腕を組んでじっと座ったまま動かない。報告も耳にするだけでこれといった反応を見せずに朝日が昇った。どれだけの伝令が舞い込んできただろうか。今また一人が城壁を北から走ってやって来る。
「申し上げます! 咸陽を横切るようにして、夏侯安西将軍の軍勢数万が押し寄せてきます!」
「李信、これが戦争だ。この先は瞬く間に状況が変化するぞ、よく見ておけ」
「ははっ!」
城兵が動揺する、この上敵に数万の増援とは。
「蘭智意将軍に命令だ、これより守城の全権を委任する。俺達は攻撃に出る準備だ」
「御意!」
まさか攻撃との言葉が出るとは思っていなかったらしく、一瞬だが表情に変化がみえた。命令を飛ばして暫し、目の前に董丞がやって来る。
「島将軍、長安の守りを委任したと聞き及びましたが」
「ああ、間違いない。蘭智意将軍に任せた」
「どちらへお行きでしょう?」
何度目になるやら。だがこれが歴史に翻弄された街の今だ、信じられるようになるまで何度でも付き合ってやるよ。
「知れたこと、眼前の敵総大将を追い回してやるつもりよ」
「ですが周りは敵だらけ。果たしていかがでありましょうか」
「北に魏の西部軍が数万で姿を現した。ここに居るということは、西部で孔明先生に敗れたということだ、程なくして友軍が雪崩をうってやって来る。その時俺は打って出る」
防衛任地をうち捨てて全員で動いたのは逃げ出したも同然だ。味方を頼ってこっちにきたってんなら混乱が起きるぞ! 本来、敗軍は陣へ侵入させないようにするべきだが、親族が打ちのめされて助けを乞うてきて拒絶するかってところだ。
「夏侯軍が曹真軍に合流しひしめきあっております!」
さあ始まるぞ!
「あ、あれは! 北西より『鐙』『馬』『楊』の軍旗が現れ郭淮、徐晃軍に向かっていきます!」
「咸陽西より『高』『越俊』『呉』の軍勢が曹軍へ向かってます!」
「咸陽の城門が開かれ打って出ました!」
「東より『李』『護忠』がやって来ます!」
「おお! 一際大きな帥旗が! 西部に『丞相』『諸葛』『馬』『高』『趙』『李』だ!」
「魏軍が大混乱に陥っております!」
王将軍の旗印が足らん、どこかに伏せているな。ではその目的はなんだ? 決まっているな、では俺もやるぞ!
「鎮南軍出るぞ!」
長安西門が開かれる。見渡す限り人、人、人。さすがにこれは一度もない体験だ、恐れるな、自分を信じて仲間を信じろ!
「続け!」
大都督の旗が南東へと動き続けているのでそれを追う。本国へ逃げる気だな、南東の山道を迂回して荊州方面へ出るつもりか。だが甘いな! 逃げる敵を追い打ちする、味方の被害は嘘のように少ない。逃げ腰の反撃などあってないようなものだ。
「南東白鹿原に『冷』『巴東』の軍勢が現れ魏軍の移動を阻害しております!」
ここぞというところで来てくれたか! ん、李項のやつもだな。
「護忠軍が合流します!」
戦場を横切って李将軍が二万余で駆けつけてきた。いくら体力で優位に立っていても、五千程の兵力だったのでありがたい。
「李将軍、ここが押しどころだ、曹真を討ち取るんだ!」
「はい、ご領主様! 者ども、我に続け!」
一万を引き連れて敵を追うが、費耀将軍が迎撃に出て曹真に近づけさせない。こちらは一万五千の兵力、だが追いつけるかどうか怪しいぞ! 南へ迂回して冷将軍をかわしていこうとの動きを止めることが出来ない。
ジャーンジャーンジャーン! 南の山間から銅鑼が聞こえて来る。魏の後備えか!
「おおっ、あれはご領主様の軍勢だ、皆のもの掛かれ!」
「何だと、味方か! あれは……担々王と中県の後方軍か」
巴東に送れと命じたがどうしてこんなところに。まあいい、これで挟み撃ち出来るぞ!
「敵を挟撃するぞ、進め!」
右に左にと軍勢を割り、少数の供回りのみを連れて大都督旗も捨てて逃げ出していく。
「ええい、邪魔だどけ!」
目の前の雑兵らを切っても切っても湧いて出る、そのうち曹真の姿を見失ってしまった。くそっ、取り逃がした!
「島将軍!」
「担々王、どうしてここに?」
「孟獲大王が巴東に増援するので、我らは長安方面へ行けとの仰せでしたので。中県より志願兵もついてきております」
よくみると中年が殆ど。正規兵では無かったのか、そうか。
「お前らは長安に入れ、俺は曹真を追う」
「承知しました」
南門へ向かっていくのを見送り東へと馬首を向ける。すると戦場を東回りで駆けて来る騎馬隊が目に入った。
「将軍、よくぞご無事で!」
「王将軍、ここに居たか! それは?」
何かを鞍に括り付けているので指さす。
「敵将の首印です。このような小物より、敵大将の追撃を。これより指揮下に戻ります」
「うむ、河を下って樊城に逃げられる前に捕まえるぞ!」
大分騎兵が減っているな、六千そこそこだろうか。これだけ戦って生き残っているんだ、もう歴戦兵だと考えて構わんだろう。
「王将軍、先回りして河沿いの村々から船を徴発してまわれ。運ぶのが困難なら全て破壊してしまえ」
「了解です。他に何か御座いますか?」
河を下れなければ渡るしかあるまい。そうなれば多数で渡河も出来んな、曹真の性格は勇猛ではない危険が目の前にあれば避ける。
「騎馬半数を渡河させて向こう岸で阻害の動きを見せるんだ。河沿いを南下するようならこちらのものだぞ」
「恐らくは魏軍が捜索に出て来るでしょう。それがしが河を渡ります」
危険を承知で志願してくれたか。六千の騎馬兵、一大戦力が足を速めてあっという間に先にいってしまう。
「南牟に居るはずの水角洞の兵にも伝令を出せ。もし樊城から遡上する軍船があればこれを足止めするように要請だ」
数時間だけでも船足を止められたらそれで良い。チラッと後続の兵らを見る。負傷している奴らが殆ど、体力は戻っているにしても継続して戦える時間は長くないな。
「歩兵共、気合を入れて走れ! ここが我等の大一番、取り逃がしては全軍の笑いものぞ!」
李信が大声を出して激励する、肩で息をしている奴らも腹の奥底から声をだして応じた。こいつも解っていたか、なら懸念はない。
「李封従事、偵察を出せ! 何が何でも曹真を見つけるんだ!」
「御意! 騎兵五十、俺について来い!」
前方に騎馬が散っていく。こっちは歩兵がギリギリついてこられる速度で進むぞ。途中途中で小休止しつつ、南東へ向けて進み続ける。まだ太陽は高い位置にあった。
「丹水が折れ曲がる位置にきました!」
「曹真はまだ見つからんか!」
隠れたなら見つけるのに時間が掛かるが、逃げるなら一直線だ。あいつならどちらを選ぶんだろうか? 部隊の指揮を李信に任せて思考に集中する。あれだけの大身だ、それに戦おうと思えば数か月は交戦できたのに逃げ出したんだ、保身を最優先する。
競合地域のこんな場所で身を隠して過ごすことはない! ではどうするのが一番安全と思うかだ。河を渡れば一安心だが、蜀軍が河向こうを捜索していたらまずは長安を遠ざかることを考えるだろうな。丹水を左袖に見てひたすら南下する、茂みがある場所を行くはずだ。
「李別部司馬、南牟まで駆けるぞ!」
「御意!」
一か八か、直感を信じて勝負だ! 少しでも先を急がせる為に捜索を省いて進み続ける、もし考察が外れたら全てが無になると解っているが賭けた。行軍速度が上がり、純粋に体力が削られていく。それは向こうだって同じはずだ。
「ご領主様! 曹真らしき一行を見つけました!」
「うむ!」
南牟北東、河を渡ろうとしている姿が目撃された。最悪馬で河を渡るつもりだろう、水辺まで行って様子を伺っている。
「亜麺暴王の南蛮兵が、魏の軍船を足止めしております!」
「一気に押し寄せ敵を揉みつぶすぞ!」
下流には中型の軍船と、小型の船が十幾つか浮いている。あれに乗り込まれては最早手が届かん。軍船が来る前に打ち破る、逃がすものか!
「いけ、李別部司馬!」
「承知!」
騎兵二百、それが出せる機動戦力の全て。途中で李従事の偵察と合流して曹真の隊に切り込んでいく。減ったとはいえ未だ五千は供回りが居る。奴らだって主を喪えば全てを失う、必死に護るだろうな。
「島将軍、軍船から敵が上陸してきます!」
遡上を諦めてか岸に船を無理矢理に寄せて軍兵が駆けて来る。『文』『荊州』『討逆』の軍旗が目に入った。
「走れ! 何が何でもこちらが先着するぞ!」
どちらが早いか微妙だ! 息切れしようが脱落するものが居ようが、関係なしに一杯で走らせる。同じように向こうも全力疾走してきた。曹真の兵が、千程足止めに本陣を離れてやって来る。
「くそ、邪魔だ! どけ!」
「曹将軍をお守りしろ!」
倒しても倒しても死を恐れずに群がって来る。畜生、足が止まる! 古参兵が身を挺して行動を阻害し、先へ行かすまいと組みかかってきた。槍が腹を貫いても両手で掴んで抜かれまいと頑張る、馬を寄せて力任せに蹴り飛ばすとようやく引き抜けた。なんて執念だ!
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