第30話

「勇敢にも長安城壁へ押し込んできた魏兵よ、悪いがここまでだ。鎮南将軍の直営部隊が相手をしてやるゆえ覚悟されよ!」


「下っ端が吠えるなよ。やれるものならやってみろ!」


 決死隊が切り込んできている、勝たずに戻れるとは元より思ってもいない。あいつの経験になればそれで良い。


「戦列を作れ!」


 号令で盾を持った護衛兵が横一列に並ぶと、左右と盾をくっつけて肩を寄せ合う。二列目が槍を持って突き出す。ほう、ファランクスだな、今度盾を作る時は真四角のスクトゥムを混ぜてやるか。


「密集! 第二速!」


 一歩一歩踏みしめるような速さで進軍する。前列は守りを固めるだけに全神経を集中させている。あれなら個人の武勇が劣っていても戦いになる、ましてや限られた場所しかないこの空間ならば有効性も高い。


「打ち破れ!」

  

 魏軍が攻め掛かるが、鉄張りの盾が邪魔になり攻撃が上手く行かない。槍を使って突きかかるかというとそうでは無かった、上から振り下ろして叩くだけ。敵を乱すならその使いかただ、泥臭いやりかただがこれこそ歩兵の戦闘だよ。


「押せぇ!」


 盾を押し付けて力任せにグイグイと押す。戦列兵の背を二列目も押して力比べを行った。瞬発的な筋力と、持久力の筋肉は使う場所が違う。個人の力で腕を誇ってきた魏兵の決死隊と、常に集団でのみ動いてきた護衛隊が同じ土俵でせめぎ合うとどうなるか。じりじりと地歩を得る、城壁で押し負けるのが何を意味するか。


「な、なにをしている、押し返すんだ!」


 胸壁に足の裏をつけて全力で盾に肩をつけて踏ん張る、だが護衛兵も負けずに踏み込む。


「せぇい! せぇい! せぇい!」


 声を併せて、調子を合わせて押しに押す。負ければ死あるのみ、運動会のようだと笑うことも出来ない。戦場はそこだけじゃない、広く戦況をみろ。お前は小さな部隊の長じゃない、より大きな責任を背負う男になるんだぞ。


「ご領主様の眼前だ、死ぬ気で押せぇ!」


 ギリギリで競り合い動かくなった、そこへ親衛隊も加わりついに魏兵が城壁から転げ落ちていく。


「周辺警戒、全域を把握するんだ!」


 数歩下がって状況を掴もうと気を配る。南北の守備は問題ない、中央も競り落とした、防備を整えるのに何の障害も無い。


「梯子を叩き壊せ! 丸太を落とせ! 投石で足を鈍らせろ!」


 大声を張り上げて防御戦を指揮する。何か違うことを考えてるな、どうすれば敵により打撃を与えられるかを。


「伝令! 伝令! 南壁でも城壁に敵が乗り込んできました!」


 おっと、こちらだけじゃなく南もか。


「李従事の増援はどうしている」


「急報を受けて駆けつけているところかと思われます!」


「解った。お前は一度戻り状況を見て再度報告に来い」


「了解です!」


 こうも攻められたら綻びも出来るさ、俺も走り回る必要が出て来たのかもな。


「李別部司馬、二時間経ったら南壁の援軍に行くぞ」


「御意!」



 ふむ、防衛に加わって三日、流石に護衛隊も疲労が色濃く出て来たな。李従事だけでは押し返せなくなり、四方へ増援に走らせた結果がこれだ。寝ている時以外はほぼ戦っている。


「北東門に敵だ、行くぞ!」


 陸司馬が五百人を引き連れて本営から出ていく。内城では床に転がって寝ている兵が多く見られた。徹夜じゃないだけマシだって思うしかないぞ。


「よくもまあ飽きもせずに攻めて来るものだな」


「魏軍は余程ご領主様に会いたいのでしょう」


「俺はそういう人気者には憧れてないよ。美女が会いたいってなら別だがね」


 ふふ、冗談を言えるようなら大丈夫だ。ここ数日で一回りも二回りも大きくなったな! やはり実戦に優る経験はない。


「董丞、民衆はどうか」


「これといった混乱は御座いませんが、野菜が少なく体調を崩すものが多く出てきております」


 ビタミン不足だな、食糧はあってもバランスが悪くなるのは当然か。これだけ囲まれていたら補給をいれることも出来ん。豚の血で補うか、確かそういったものを食べたことがあるぞ。ここでは血抜きで全部捨てていたからな。


「豚を殺す時に血を器に取り出し、塩を混ぜて蒸しあげるんだ。そいつを食することで一部が改善する」


「血をですか?」


「ああ、完全に加熱するのを忘れるな。それで豚の内臓も食えば、かなり良くなるだろう。包囲を解かせるまでのつなぎだがな」


 ちなみに俺は料理までは出来んぞ。そこは専門家に任せるとしようじゃないか。


「すぐに試させます」


 無事に体が動いているうちに戦いを進めたいが、そろそろ雪も解けて春が来る。魏国から大軍がやって来るってのと同義だな。


「密偵は戻ってこないか?」


「無事なものは御座いません」


「そうか」


 出るのは良いとしても、城に戻るのには苦労があるな。何せ昼夜を問わず攻め続けているんだ、戻る機会自体が見当たらん。さてそろそろ夜も遅い、休むとするか。蘭智意の奴が居て助かるよ。伝令が駆けこんで来る。今度はどこにやって来たやら。


「申し上げます! 北東門の外で戦闘が起こっているようです!」


「外でだと?」


 魏軍が戦う相手は蜀しか居ないだろう、すると味方が戦っているわけか。真昼間に包囲する敵を攻撃ではなく、夜中に一カ所を攻める意味を考えろ。


「……弩を北東城壁に配備だ、鉄甲兵と鎮南軍を城門内に待機させろ。蘭智意将軍に長安全域を特に警戒するよう命令をだせ。俺は北東門に行く。董丞、ここを任せる」


「畏まりまして」


「李別部司馬、戦闘準備だ」


「御意!」


 幾ばくか速足で北東の門へ向かい、城壁に上がる。暗闇の外を見るが、戦いの喧騒以外に特には解らない。


「城門司馬! 油を下へ投げろ、城門の左右に掘ってある溝のあたりにだ」


「承知致しました!」


 油の入った壺を幾つか投下させる。松明を投げ込むと、油溜まりから二本の線が外へと伸びていく。小細工を活用してだな。延びる炎の灯りが照らし出すのは、城に背を向けて戦っている魏兵の姿。


「誰か見えんか!」


 夜目が効く奴がいて、城外に居る何者かを報せる。


「……あれは、護忠軍です! 藍田の兵が戦っています!」


「李項の奴か!」


 こちらの糧食が欠乏してきたのを察知しての行動だな。北東門を選んだのは退路を複数確保する為か。


「李別部司馬、城門を出て補給部隊を迎え入れろ」


「お任せ下さいご領主様! 護衛部隊出るぞ!」


 側近の親衛隊を伴い城壁を降りていく、後ろ姿には闘気が漂っているかのようだった。


「陸司馬、弩兵を待機させろ、松明の投擲用意もするんだ!」


「御意!」


「城門司馬、敵がまだ城壁上に居るようなら全て叩き落とせ!」


「承知致しました!」


 こちらにだけ解る合図をしておくべきだな、アレか。


「軍鼓手を大至急ここへ呼び出せ、連絡を保つぞ」


「開門!」


 ギギギギと重い音をたてて北東門が開かれた。騎馬した李別部司馬を先頭に、護衛部隊が鎮南軍を率いて打って出る。


 開かれたままの城門を守るのは鉄甲兵の大隊だ。奪取を目論む魏兵の攻撃を全て受け止めて一人も通さない。大慌てでやってきた軍鼓手に長音三連を繰り返させた。


「俺はここに居るぞ、懸念なく戦え」


 司令官が直接指揮を執っている合図、城外の包囲を突破して荷駄が何台も連なってやって来る。


「輸送隊を通せ! 辿りついたら縄を切るんだ!」


 軍馬に曳かせていたので行きは輸送隊で、帰りは騎兵だ。二十人集まったらまとまって離脱していく、可能ならば藍田へ戻り、そうでないなら出来るだけ近隣の拠点へ避難する。


「魏軍の追撃を阻止しろ、弩隊狙撃だ!」


 陸司馬に射撃を任せておいて、俺は全体をみるか。補給部隊はまだいるもんか? 城壁の下をみて荷駄の動きをみてみる、まだ入城している最中でもう少しいそうだと解った。


「島将軍、偵察がまぎれて戻ってまいりました」


 ボロボロの姿だが重傷ではなさそうだ。目の前で膝をついて報告する。


「申し上げます――」


 周囲の喧騒で極めて近くの者以外には声が届かない。大きく頷くと治療するようにと解放してやる。


「軍鼓手、撤退の合図を」


 ドドドーン、ドドドーン、ドドドーン。城外に出て戦っている李別部司馬に戻るようにと指示する。


「陸司馬、松明を投擲するんだ。戻って来る味方に矢を当てるなよ」


「御意!」


 鉄甲兵の脇を抜けて、続々と兵が戻って来る。最後の兵が城門を潜ったところで李も騎馬を寄せた。


「支援射撃だ! 敵を狙い撃て!」


「鉄甲兵撤退だ!」


「城門を閉じろ!」


「門内に入った魏兵を殲滅させろ!」


 俺が黙っていても上手い事やるようになったか、良いことだな。城壁を下り補給物資を見てみる。乾燥果物にナッツ類、豆に塩漬野菜か。何が足りないか確りと解っているようでなによりだ。


「三日分を全兵士に割り振ったら、残りは董丞に全て渡してしまえ。少ないが民に分け与えるんだ」


 多少は栄養改善するだろう、そう長くはない先に転機がやって来るぞ。内城に戻るか。次の行動を考えておかねばならんな。


「島将軍、負傷して失神していた者が気づきました。南蛮よりの伝令です」


「なに、南蛮だって? そいつは今どこにいる」


「東街の医療施設に」


「こちらから出向くぞ」


 南蛮からの報を携えて遥々長安までやって来た、それは俺に用事があるからだ。呂軍師や李将軍ではなくこの俺にだ。よくぞ城内にまで生きて辿り着いたものだな。あの乱戦で紛れ込んだわけか。


「これは将軍!」


「そのままで良い。どいつだ」


 部下の先導で床に寝せられている男の隣に近づくと、膝を折って身を寄せる。


「島将軍、御自らのお越し、ありがたく」


「構わん。南蛮で何があった」


「某馬氏の供周りでありましたが……馬氏が病に倒れられ逝去なされました」


「なんだと!」


 むむむ、病弱であったが俺の居ない間に。すまん、今わの際にすら傍に居てやれず。妻が死んだ、だがその報はそれだけでは終わらせることが出来ない事実を孕んでいるな。


「ゆっくりと休め。傷が癒えたらもう一度話をしよう、ありがとう」


「ははぁ!」


 約束をしたからには後妻を迎えねばならんが、この状況ではどうにもならん。それに気分的にすぐはな。無言で内城へと足を向ける。こうにも気が重くなるとは思わなかった。寝所へ入ってもずっと心が晴れない、短くても、これといった付き合いの記憶が無くても、それでも妻に変わりはなかった。




 体の疲れだけは取れたか。心の方はどうにもならんな。


「だからと俺が腑抜けては皆に迷惑を掛ける」


 服装を正して部屋を出る。扉の外には親衛隊が不審で番をしていて、立礼をしてくる。執務室、所定の場所に陣取ると定時報告を受け取った。何とか防いでいるが、随分と疲弊してきたな。だがこれももう終わりだ。


「董丞、補給が入った。糧食の分配はどうだ」


「民が諸手を上げて感謝しております。ですが僅か三食に満たない程」


「それでも皆に行き渡ったか。近く魏軍が総攻撃をかけて来るだろう報告があった」


 昨晩の開門で色々と情報も舞い込んできた、どれもこれもが真実とは限らんがね。


「長安は最後まで戦うことでしょう」


「俺もだ。仲間を信じて戦い、見捨てることも裏切ることもせん」


「御意」


 全てが疲労している状態では戦術の幅が出来ん、苦労を受け入れて新鮮な戦力を抱えるべきだ。


「李別部司馬、親衛隊と護衛隊から二千を抜き出し休息を与えよ」


「ご領主様、我らはまだ戦えますが」


「解っている。選抜された者は、近いうちに一番厳しい矢面に立たされる。俺と共にだ」


「直ぐにご命令通りに」


 侍っていた李が部屋を出て行く。総攻撃をする都合、あちらも全力での攻撃は控えるはずだ。その時間差を見切ることが俺に出来るだろうか。外の軍は呂軍師がきっちり統制してくれるはずだ、長安を維持するのが最大の仕事だな。


「蔵を開いて武装の補充を行っておけ。次の大きな戦いが帰趨を決めることになるはずだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る