第23話 散鎮南将軍使持節仮鉞領雲南行京兆尹都督越巴永雲諸軍事丞相司馬騎都尉護羌南蛮校尉中侯
「魏軍の軍旗と装備はあるか?」
「はっ、五千は揃います」
行軍させて近づいても警戒するだけだろうな。だが蜀軍に追い回されているのを見たらどうだ。意気消沈している城兵が助けに出なければ、自分達も見捨てられると士気を失うだろうな。
「蘭智意将軍をこれへ」
「畏まりまして」
丹水から遡上してきた増援が長安に入城していた。巴での戦功は抜群で、士気も上々だ。
「蘭智意参りました!」
がっしりとした武兵二人を従えてやって来ると膝をついて挨拶をする。
「咸陽の城は防備が整い簡単には攻め落とせん。ゆえにこれを罠にかけて翻弄する」
上手く行くかどうかは全く解らんが、味方を見捨てるようなら長くはない。
「兵五千を率い、魏軍を装い咸陽の城門を奪取せよ。手筈はこうだ、渭水北の河沿いを這う這うの体で逃げ、咸陽に近づく。それを追撃する蜀軍との攻防を見せつけ、咸陽から救援を引き出すとともに収容を要請し、城門が開いたらそれを奪い死守せよ」
「承知致しました! 決死隊を募り編成致します」
「血糊や壊れた武具など小道具も忘れるなよ」
演技指導までするように言いつけてから呂軍師に「王将軍の騎兵隊も引き戻しておけ。城門を突破するのはあいつの仕事だ」思い付きを実行させた。氷の強度が出来次第実行するぞ、城は城門を破られたら戦意を失う。
◇
長安西に土塀と堀を設置してある、今日はそこに多数の兵士を詰めさせて置き陰に座らせていた。鎮南軍本営もその砦に臨時で設置されている。彼我の距離は五キロも無い程近い。外で焚火をしては気づかれる恐れがあるので、厚手の防寒着を二重にして耐えさせている。
「どこまでも単純で、本当に引っ掛かるかは未知だ。だが罠と見破っていても、見捨てることが出来ないのがこの策の意地悪いところだよ」
渭水北を魏軍の旗を掲げた集団が小走りに進んでいく。一様にボロボロで、荷車を引いている者もいた。あちこち怪我をしていて、装備は統一されている。
「始まったな」
長安から見えるなら咸陽からも見える。東から近づいてい来るのが『魏』『洛陽』の軍旗を掲げる魏軍だというのが。
その後方、東からは蜀の軍勢が追ってきていた。城壁の上の魏兵が指をさして大声を上げているのが見えたと報告が上がる。
「た、助けてくれ!」
魏軍を装う兵が口々に叫ぶ。だが決して荷車だけは捨てずに引いた。
「掛かれ! 魏軍を残らず刈り取れ!」
蜀の部将が命じる。矢じりが潰された矢が放たれ、当たった者はその場に倒れ込み死体のふりをする。
「ええい、俺に続け!」
前方を行っていた蘭智意将軍が取って返して、荷車に群がる蜀軍を槍で突いて退けようとした。一騎に群がる歩兵を蹴散らすと荷車を追って離れていく。するとまた追手が追いつき蹴散らすというのが続けられる。
「鬼気迫る良い演技だ」
そんな才能が有ったとはね。城外にあと少しまで逃げてきた偽装魏兵が「洛陽から書簡と薬を運んできた!」両手を口に当てて叫ぶ。
窮乏する医薬品だけでなく、重要だろう書簡と聞いては目の前の事態を捨ておけない。胡散臭いと渋っていたが、もし首都からの部隊を見捨てたと知られたら重罪に問われてしまう。
「友軍を助けるんだ、打って出るぞ!」
ギギギギギ。固く閉ざされていた咸陽城の正門が開かれる、掲げる軍旗は『魏』『郭』だ。
「郭淮将軍か、大物が出たな!」
現場で判断を下せるようにだな、こいつはきっと早めに見抜かれるぞ! 度重なる歩兵との交戦で傷だらけになった風体の蘭智意将軍の馬を引いて、偽装魏兵が咸陽へと近づく。後方では郭淮将軍が追撃部隊と真っ向ぶつかり圧倒していた。
「凄まじい強さだな、これは猛将だ」
初めから少し戦って撤退する予定ではあったが、追撃蜀軍は手が付けられないと背を向けてだらしなく逃げ出していく始末だ。城門が開かれる。同時にそこで魏軍同士の争いが起こった。
「やはり気づかれるのが早い! 旗を振れ!」
長安城の北西城壁角で大旗が振られる、同時に狼煙が上げられた。
「城外歩兵前進だ!」
校尉らに率いられた歩兵部隊が防寒着を脱ぎ捨てて走り出す。南の山間からは『王』『蜀』『鎮南』の軍旗を翻した騎馬兵団が疾走を始めた。物凄い勢いで蘭智意の隊が倒されていく!
「いかん、間に合わん!」
煌びやかな鎧を着た郭淮将軍に敵う者が居ない、ところが煤けたような色の鎧を着た一人の騎兵が長刀を手に互角に打ちあう。
「あれは何者だ?」
少し遠くて、身を乗り出してはいるが、望遠鏡を使っていてもはっきりとしない。といっても、板ガラスを使っただけのなんちゃって望遠鏡だ。伝令騎兵が状況報告を携えて砦に走って来る。
「申し上げます、城門下で魏鎮北将軍が一騎打ちにて郭淮将軍と競り合っております!」
「なんだって! あいつ、なんでこんなところに。だがお陰で間に合いそうだ」
「呂軍師、悪いが函谷関に走ってくれ。魏将軍が戻るまで指揮を」
「御意。直ぐに出立致します」
全く無茶な真似をする。今攻撃を受けても一日や二日は問題無いにしても留守にするとはな。だがこれが武官の行動力だと前向きに受け止めておこう。
「騎馬隊が到達した、咸陽は落ちたな」
城門を抜けていく騎馬が千を超えたところで、食い止めようとするのを諦め城兵は戦いながら西へと動き始めた。
「長安は藍田方面に警戒、函谷関方面との連絡を密にとれ。補給線の定期巡回を暫く二倍にするんだ、渭水北の支配域にも現況通知を入れろ。負傷者を受け入れる準備だ、湯を沢山沸かしておけよ」
今は後方司令官としての役目に重きを置いておくとしよう。魏延が好きに動けるようにしておけばこういうこともあるってことか。
「大本営にも一報を入れて置けよ。そうだな、魏将軍の功ありて咸陽奪取に成功しつつありで良い」
完全掌握したら続報をだして、だな。それにしても郭淮将軍、魏国ではあれで下級将軍ってんだから参るよ。
◇
「島将軍、少し気になることが御座います」
「呂軍師、なんだろうか」
函谷関に戻って行った魏延のやつ、得意の絶頂だったな。気持ちよく働いてくれたらそれで構わんがね。獅子奮迅の活躍者はここにもいるぞ。
「長安で民が蜂起をするのではないかとの噂が」
「ふむ、占領地でのつきものか」
魏の支配を望む者が多数居ておかしくはない。いやむしろ大国へ帰属しようとするのは安定を求める市民の主流だろうな。これを力で押さえつけては上手くない、どうしたものかな。
「具体的な内容はなにかあがっている?」
「夜間に数百人単位の集会が行われている様子です」
自治会の集まりじゃないのは確実だ。ガス抜きをする方法か、この時代はよくわからん。放置は出来ん、解らなければ聞くのが一番だ。
「長安の民から代表百人を城へ招いて意見の交換を行う。呂軍師、これにはどのような権限が適切だろうか」
俺にはこの地における一切の権限がないことになっている。何せ遥か彼方、南蛮の責任者だからな!
「されば行京兆尹を加え、散鎮南将軍使持節仮鉞領雲南行京兆尹都督越巴永雲諸軍事丞相司馬騎都尉護羌南蛮校尉中侯を称され、臨時で政務を執られるがよろしいかと」
「行京兆尹?」
なんだそりゃ、長安太守とは別なのか?
「かつて都であった長安周辺の三輔地方を治める官職の一つで御座います。行することで京兆尹を兼任し長安を含む近隣の政務悉くを掌握なされませ」
「そういうのが特別にあるのだな。良かろう、以後はそう自称する。手配を行え」
「御意」
飛び地もよいところだ、さっさと正式な責任者を派遣して貰わんと参るぞ。それにしても呂凱は優秀だ、呉玄も逸材と言えるだろう。廖紹では別駕あたりが限界だろうが二人は違うぞ。より上位へ推挙してやりたいが、手元から離れると俺が往生する。
「やらなきゃならないことが大きすぎるんだよ。孔明先生は本当に凄い、これらを一人でやってのけたんだからな」
今しばらくは臨時に兼任、仮に流用で間に合わせでやるしかないぞ!
「なあ李項」
「はっ、御用でしょうか!」
部屋の隅から眼前にまでやって来て畏まる。
「お前も近く、鎮南将軍別部司馬・南蛮州従事をそれぞれ弟に譲って将軍になる準備をしておけよ」
「じ、自分がでありますか!?」
一介の農民でしかなかったのを随分と気にしているらしいな。
「そうだ。お前なら信頼できるし、兵に人気があるからな」
何せ兵に厳しいだけの他の奴らと違って、自分にも等しく厳しいんだから納得いく。
「勿体なきお言葉!」
「俺は身内贔屓をするが、李項は他の誰より能力がある、だから一つも二つも飛ばしてそうするつもりだ。心の整理をする時間を与える、支えて欲しい」
「御意! この身を賭して必ずや!」
護忠将軍号をやるよ、俺のお古で悪いがね。でも似合うだろうな、しっくりとくる響きだ。翌日、長安の大広間に市民代表の老人が百人きっかりやって来る。威嚇にならないように親衛隊は陰に控えさせたか、李項のやつも解って来たじゃないか。
「島将軍、ご命令の通りに」
座の左に陣取り手筈通りだと告げる。全員が床に視線を落としたまま動かない。
「うむ、ご苦労だ。皆の者、顔を上げて欲しい」
出来るだけ落ち着いて、威厳を漂わせて、か。最初だけだ。全員が真剣な瞳。このまま人質に取られることも覚悟して登城してきているような連中だ、蔑ろにしてはいかんぞ。
「良く集まってくれた。私がこの地の責任者である島介行京兆尹だ、軍事も司っている」
細かい名乗りは省く、混乱させるだけだからな。
「私が団長で董基と申します、以後お見知りおきを」
うーむ、秘めている何かがありそうな気がする。それが魏への忠誠かが問題だな。
「知っての通り、現在蜀と魏とは戦争中だ。そしてここは蜀の支配下にある」
事実をならべて反応を見る。これといった感情は伝わってこんな。
「私は戦を早々に終わらせて、治世の期間へ移行するよう努力している。そこでそなたらに問いたいことがありやって来てもらった」
「何なりとご下問くださいませ」
権力者への対応に慣れているというわけか、それもそうだろうな、長年奪っては荒らしての繰り返しの真っ只中だったんだから。
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