第21話

 処理を手配して改めて戦場を見る。魏も蜀も多数の兵が犠牲になっている、それでも最後に戦場に立っていたのは島達だ。


「兄弟、共に勝鬨を上げようじゃないか」


「はっはっはっは、そうだな。ではそうしよう」


 二人で声を合わせて叫んだ。


「戦いは我らの勝利だ!」


 その場の全てが歓喜の声を上げた。漢中の民がどうしたのかと家の外に出てきてキョロキョロする位に。魏軍は敗北を認め、漢水北の陣を引き払い後方へと退いた。戦いはまだ中盤、どちらへでも転ぶ。


「高将軍に伝令だ、街亭の馬謖を救援に行ってやれってな」


 泣いて切られる前に手助けしてやるよ。南中した太陽を見上げる、鬱蒼とした蜀ではあまり見られない光景。燃える橋を消火し、補修を始めている張太守の姿があった。


「ここは任せて俺達は北上しよう」


「そう焦るな、飯くらい食わせてやろう」


 親指で城の方を指しているので目を向けると、炊き出した飯を運んでくる女たちの集団がいた。肩を竦めて苦笑いすると「象を降りて一休みする」そう側近に告げるのであった。



 今頃魏の本陣に報告が駆けこんでいるだろうな。ということは孔明先生の陣への総攻撃もし辛かろう、知らねば始めていただろう攻撃を遅れさせることが出来るのをこちらの有利にせねばならんぞ。月は今の時代も変わらないものだ。


「兄弟、どうした酒が足らんぞ?」


 盃片手に上機嫌の孟獲が、手が動いていないのを指摘してきた。気持ちよく飲みたいが、深酒する前に考えをまとめたくてね。孟獲の側の机にばかり空の瓶が転がっている。どれだけ飲んでも酔わない位強いらしい。


「飲んでるよ。長安のあたりは北荻からの別種麦の酒があるそうだ」


 北の蛮族、あいつらはどうするつもりだ。確か相乗りして魏を攻めるって話もあったが、急すぎて準備が出来てない可能性があるな。


 魏は国境線が広い、万里の長城というのが役に立っているのは後世の者が知っているが、この時代の者達は身に染みてそれをよーく知っている。乗り越える為には壁の一部を破壊するしかない。難しいことではないが、手間はかかる。


「ほうそれは楽しみだ。だが、そろそろ俺の兵も寒さで動きが鈍って来る」


 防寒着を与えてはいるが、季節が進み、寒冷地での生活で体調を崩しているやつらが出て来ていた。解ってはいたが、南蛮の支援はここまでだ。夏侯大都督とやらが北に拠って持久戦をしてきたらグレーゾーンだ。外はもう肌寒い、朝夕には時折火をおこす程に。山頂ではすでに雪が舞っていて風向き次第ではこちらにも吹いてきている。


「漢中城に総予備を置いて、以南の治安部隊と交代で兵力を入れ替えたい、どうだ?」


 どうしても特殊兵や衝撃力は欲しい。だが野外で暮らさせるのには限界がある。張太守の意見も聞いておかねばならんが、戦時を理由に押し切る位は必要だろうな。


 入れ替えには四か月掛かるつもりでだな、移動するのが一苦労だ。二百キロを歩きで十数日、万の人数を順次動かし補給を行いながら、気が遠くなるな。


「半年後に呼び戻すつもりでそうするのも悪くない。出来ればすぐに決戦に持ち込みたいがそうもいかんか」


 珍しく真面目なことを呟いている。相手に決戦を促す手段があれば、だな。今日明日の手でそれを用意することは困難だ、孔明先生が何か仕込みをしていれば別だが、それを確かめる術はない。


 もし何か策を持っていたなら途中で攻撃に振り向けば良いだけだ、こちらはこちらで別の動きをしておくべきだろう。連絡手段が伝令だけってのはタイミングをとるのも、意志の疎通をするのも極めて困難だ。


 どうにかしてこれを短縮出来ないものか、今度じっくりと考えてみよう。狼煙位しか考えが及びそうにもないが。


「もし俺が相手の司令官なら、寒中意地悪く敵にだけ野営を強要するね」


 つまりは野戦軍を無視して拠点を破壊する。ついでに撤退に際して焦土作戦をしたら最悪を作り出せるな。


 こちらとしては自力で設営して居場所を確保しなけりゃならんわけだが、数が多すぎて日数がかかり過ぎる。だからとやらないわけにもいかない。では俺はどうする?


「籠るなら長安というわけだな。だがそこには歩騎四万が向かっている、そこを落とすのは秒読み段階だ」


 大軍が野戦に出ている今、長安の守備隊は後備の兵だけ。居ても五千あたりだろう。留守司令官が正気なら門を閉ざして増援を待つはずだ。そして王将軍が歴戦の指揮官ならば、閉門される前に少数を先行させて阻害をするだろうな。


 その位出来なきゃ別動隊の将軍は務まらん。相手が敏感で、予防措置を取った時は攻城戦で苦労するだろうが。大抵そういう気が利く奴は、あの大都督様が手元に引いてくだろう、なにせ自分が一番大事な手あいだ。


「大動脈をぶった切って、籠る相手を孤立させる、だな」


 洛陽方面との挟み撃ちにされるわけだが、こっちも天水方面の孔明先生と挟撃の位置を取れる。長安周辺にどれだけ戦力を維持出来るかが勝負だ!


 攻撃時には騎馬兵を出すだけで良いのは計算がしやすい。一撃離脱が可能なのは広域戦でかなりのアドバンテージになる。ここに至るまで先に戦力不足で四苦八苦した甲斐があるってもんだよ。


「俺の兵はここまで物資を輸送してやる、防衛、治安維持も任せておけ」


「暫しの別れだ。激戦区は俺が担当する、呉将軍と用事が済んだら高将軍も引き寄せる。巴東からは丹水を使って長安南に向かわせるか」


 増援が到着するまでは六万の手勢で踏ん張るわけだ。長安の南蛮兵も帰す必要がある、籠城の兵力は八万ってとこか。魏本国からの増援はきっと十万、二十万って単位だよな。春が来るまでの我慢だ。


 そういえば関所の兵士はこっちに向かってくるのか? 守るのが本来任務なら、そこの指揮官の性格次第かもしれんな。函谷関とかいうんだったか、誰が主将かを調べておくべきだ。


「良いことを思いついた。世界の南半分は俺が、北は島が獲れ」


 ガハハハハと大笑いして、そうすれば全て終わると頷いている。武力による平和でも結果に違いはない。ここがそういう世界だってのもあるけどな。


「別に俺は領地が欲しいわけじゃない。戦いたい、手助けをしたいからやるだけだ。食って寝るだけの場所があればそれで満足だよ」


 そこに友人が居てくれたらそれだけで良い。だが俺が生きていた場所にはそんな安寧すら訪れることは無かった。手にした盃を傾けて一口酒を飲む、瞳に映っているのは現世の景色ではない。


「得る物は無く、失うときは全てでも、お前は戦うわけだ」


 目を細めて孟獲がこっちをじっと見ている。


「ああ。俺は守りたいんだ、家族と平和な時間をただ送りたいだけの普通の民を。なんてことはない命を繋ぐだけの緩やかな時間を」


 いつまでたってもいつも苦労ばかりを掛けさせ、最後は希望すら与えることが出来なかった! 俺は無力だ、そんな自分が憎い!


「兄弟、お前の国を俺が預かる。お前が守りたい者を護る為に」


「孟獲に感謝を」


 互いの盃に酒を注ぎ、腕を交差して飲み干した。永遠の契り、血以外でも人は深い繋がりを得ることが出来る、多くの者がそう遠くないうちに知ることになる。



 翌朝になり、先行偵察騎兵を放つ。前衛に歩兵五千を切り離し、漢中北東の山岳を進ませた。本隊は固まって移動ってことが良いのか悪いのか、ひとつ助言を貰っておくか。


「呂軍師、長安到達までだがどうするのが良いと考える」


 変な探りは要らん、使える頭脳は使うのが筋だ。何せ幕僚が少なくなっている、再集結するまではこれ以上の分散はきつい。


「これより長安へは二十日程の日程になるでしょう。王将軍が見事に占領したとなれば、防衛網を構築することで、相互の支援を行うのが宜しいかと存じます」


 出撃拠点としての支城を持てってことだな。長安に固めて騎兵を置くよりも、出元不明の機動部隊を持つ方が使い易い。周辺の街がどこにあるかは解るか?


「地図はあるだろうか」


「先の漢中滞在で、丞相府に取り置きがあった地図の写しを用意して御座います」


 さすがだよ、こういう奴は出世して然るべきなんだが、地方の長吏止まりだったのには何かしらの意図があったのかね。左遷していたわけでは無く、弱点の補強という面で配属させていたなら先見の明に大いに感服だ。どれ、地図は……それなりに書き込みがある、大まかな規模や駐屯軍と主将の名前があるぞ。


「長安南東の藍田城は確保だ。丹水から北上して来る隊の休憩場所にも使える、最悪河を下っての離脱に使う、平船でも良いので数をそこに積んで置け」


 丸太を組んだだけの筏でも充分だ。二日も下れば徒歩ではもう追いつけんし、負傷者の後送にも使える、こちらだけが有効な戦略拠点だな。


「恐らくは樊城から登って来る船が迎撃をするでしょう。漢水の下流と、藍田、樊城の中間地点にある南牟から増援を出せるよう準備をしておくべきです」


 二本の河川に挟まれたそれだけでは価値が低い小都市といったところか。確かにここに増援を置けるなら安心だ。


「孟獲大王に、水角洞の部族兵を駐屯させるように要請をだしておけ」


「御意」


 さて、函谷関と長安の間にある清南を占拠できるかどうかで長安の防備が大分変って来る。北に黄河、東に函谷関、西に長安、南に貨山という天険がある。ここを保持していたら、無視して長安を攻めるのは無謀と気づくが。


「山間の子午谷道を通って、一隊を藍田に向けるのは良いとして、清南はどうしたものか」


 兵力はあっても武将が足らんぞ。孔明先生の苦悩が解った気がする、これは参る。下級者でも統括は出来るだろうが、不安定だ。不意に襲撃を受けたら万単位で兵が溶けるぞ!


「主将は勇猛な人物にすべきです。ですが王将軍を島将軍が入城する前に動かすわけには参りません」


 そうなんだよな、そこなんだよ。お前か俺が向かうしかないのがネックなんだ。居なくなられたら実務で穴が開く危険性がある、それは出来ん相談だぞ。かといって李項を使うのもいかん、こいつは護衛部隊を指揮するのが最大適性だ。


「直ぐに答えをだす必要もございますまい。今しばらくは行軍を」


「そうだな。先行部隊をもう一つ出して、藍田を攻め取るのに専念させておけ。適当に校尉を選んで兵を与えるんだ」


 ここで零陵の士がまた役に立つわけだ。五千位なら三人も居れば指揮出来るだろう。馬将軍でも居たら楽になるが、首都に戻してそれっきりだしな! 弔問で返したらそのままあちらで働いている、きっと悪いことじゃない。


 山道を進むこと七日、細い道を幾つかの部隊に別れて北を目指す。乗って来た象は寒さで限界が来て弱って死んでしまった。無茶をさせた、安らかに眠ってくれ。以後は騎馬に乗り換えて進軍を続ける。


「伝令、伝令!」


 赤の旗を背に差した伝令騎兵が本陣に一直線駆けこんで来る。目の前で急停止すると騎乗のまま報告した。


「申し上げます、西部の山道に武装軍の姿が見掛けられました!」


「西だと?」


 間道を通って魏軍が漢中の側面に出て行こうとしているのか。これだけ森が深ければ気づかずにいた可能性もあったな。


「島将軍、すぐに確認の部隊を送るべきでしょう」


 呂鎮南将軍軍師が進言して来る。それには同意だ、まったくどこから出て来たやら。


「偵察中隊を八個繰り出せ」


 全体に大休止を命じて少し早めの昼食を採らせることにして結果を待つ。このあたりにも幾つか砦を築くべきなんだろうか、中間堆積所はリスクが大きいが。何せ魏の勢力圏内だ、前後の道を潰されても意味をなさなくなる。苦労だけで得る物が殆どないという結末になる可能性があまりにも高い。やがて一つの中隊が戻って来る。

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