第17話
「兄弟、申し出は嬉しいが戦となれば死ねと命じることもある、それでも従うんだろうか?」
従わないなら多数いても邪魔になるだけだ、ここはきっちりと意思を確認しておく必要があるぞ。にしても……パクチー王か、本気ですまんな。孟獲は横目でちらっとだけこちら見てから派句治射王に命じる。
「全滅しようと構わん。派句治射王は南蛮の王だ、俺は呉将軍に従えと命令した。これに背けば国に残してきた民全てを惨殺する」
その目は一切の情を含んでいなかった。大王として君臨する為には絶対の態度が必要になる、孟獲はそう言える権利と外敵から民を守る義務を同時に背負っている。
「だが、見事退けることが出来れば五王を支配下に置く地位に就けてやる」
「必ずや命を遂行してご覧にいれます!」
終ったぞ島、と右手を軽く上げて進行を促す。見事すぎるよ、俺には出来るかどうか怪しいものだ。
「呉将軍、南蛮兵を加える。同時に商人からの通訳士を所属させる、併せて指揮せよ」
「望むべくもなく」
深々と畏まり全てを受け入れた。即日五万の兵を率いて進発した呉将軍は、軍を多数に割った。さて、出来ることはきっちりとやっている、結果を待つとするか。
◇
《巴西戦線》
「呉平南中郎将、二人の校尉と兵一万を率いて巴西へ急行しこれを援けよ」
「途中防戦中の城があろうと直進いたします!」
真っ先に一番時間が掛かる場所への部隊を送り出す。今日に至るまでにきっちりと教育を施した、遅れはとるまいと子を信じて重要箇所を預けた。
「派句治射王、蛮兵を二千ずつ十に別け各県城へ派遣し、攻撃する魏軍を見つければこれを側背より攻めさせよ」
「了解した。我らを見て城方に敵と思われはしないだろうか?」
蛮族の部隊を見て蜀の住民がどう思うか。確かに王の言う通りで、そのままでは難しいこともあるかも知れない。
「南蛮州並びに平南の旗印と劉平南校尉に兵二千を預ける」
「承知。南蛮歩兵より一万を本隊に移す、手足として使って欲しい」
大王が何を望んでいるか、どうすれば魏軍を退けることが出来るか。自分で指揮するより呉将軍に預けた方が効果的だろうと移譲してしまう。南蛮で蛮族相手にも公平、丁寧に接してくれた呉将軍への気持ちでもある。
「済まぬがその命預からせてもらう」
皇帝や諸葛亮の命令は聞こうとせずとも、島や呉将軍の為ならば彼らも命を張ることを厭わない。それほどまでに双方の頂点が気脈を通じていた。
「内水の先、剣閣、梓潼、剣門山へも隊を派遣する、高校尉、宋校尉、温校尉、それぞれ二千の兵を率いて様子をみて参れ」
「はは!」
西南西へ進路を取り、部隊が次々と分裂していく。これらを一括して指揮するのは非常に困難だ。
残りの校尉らに自身の部隊を任せ、派遣された南蛮兵を自ら掌握することに努めた。自身の騎兵千を供回りとしながらも、大将が南蛮兵を傍に置いたのは信頼の証と言えた。
「行くぞ、我らの力を魏軍に見せつけるのだ!」
◇
《遠征軍大本営》
漢中の蜀軍が打ち減らされ士気が下がっていく。そして街亭に布陣させていた馬参軍から連絡が途絶えた。不審に思った孔明が調べさせると、山頂に陣取り魏軍に包囲されていると言うではないか。
――あの愚か者め! 我の指示を何故守らぬか……。
口惜しい結果だ。昔からそういうきらいはあったが、ここ一番で悪い虫がうずいてしまったとは。孔明が戦争の継続を断念した瞬間である。
「丞相に報告致します。魏将軍の軍勢が破れ、本陣へ向けて敗走中、敵軍がこれを追撃しております!」
前線に出ている魏将軍、武勇は轟いているが多勢に無勢で苦しい戦いを続けていた。疲労がたまったのか、急襲を受けたのかは不明だがついに破れてしまったようだ。
「むむむ、趙将軍!」
「ここに」
趙雲、低い身分でずっと格下の武将でしかなったが、ここ最近の蜀の人材難から経験で登って来た実力派の将軍だ。後の五虎将軍として有名だが、関羽や張飛らと比べるとかなり地位は低い。同列にされて怒ったというのは事実だろう。それでも孔明は重用した、なにせ手駒が全く足らないから。
「兵一万で追撃を食い止めて参れ」
「御意」
余裕綽々で笑みすら浮かべて出撃命令を受ける。自分が小僧共に負けるわけが無いと言う自負で一杯なのだ。実際のところ切った張ったでは負けないだろう。戦場を設定する軍略では是非もないが、戦術級の事柄ならば全く危なげない。
孔明はそれを小粒だと評したが、口に出すことは生涯なかった。己が軍略をすべて受け持てばよいだけだと考えて。ついに蜀軍の崩壊が始まった、涼西地方の民も不穏な動きを見せ出し、漢中城も圧力を受けてたじたじだ。
どこから堤防が決壊するか、それを注意深く見ていなければ大変なことになりかねない。ここで国を傾けるわけにはいかない、それは劉備と約束した孔明の固い誓いなのだ。
「馬将軍より報告です、楊将軍の懐柔に成功、これより張軍の側背を攻撃するとのことです!」
「おおそうか!」
――だがもう押し返せまい。あとはいかに傷を浅く退くか……か。ああ先主よ、我の力が及ばずに何と申し開きをすればよいか。
目を閉じてかつての主に深く詫びる。己の不甲斐なさゆえに、たった一つの誓いすら果たせず今に至っている。度重なる北伐の負担は重く、この先どれだけ支えることが出来るか。
軍事力の背景無くして外交も出来ず、差は開く一方。内乱を促進させるしか道はない、そう考えていた。そこへ息急きかけて伝令がまた舞い込んできた。
「申し上げます! 漢中左の山道より『永』『高』『越峻』の軍が現れ曹軍へ攻撃を始めました!」
「何と!」
――介! またしてもそなたの手配であろうな。助かる、これで傷が浅いうちに軍を退く時間が出来た。
全体を引き下げるためにどうしたらよいかを思案する。漢中城を明け渡すわけにはいかないので、最悪ここに物資を積んで一年籠城させることも見込んで。何をどうやりくりしても圧倒的に全てが足りない、それに巴東や関内の情勢も考えなければならなかった。
たった一人の双肩にあまりにも多くの重荷が圧し掛かる、それでも弱音を吐くことも出来ず、諦めもせず必死にやって来た。
「我もそろそろ限界やも知れぬな……」
ついポロリとこぼしてしまった言葉、出してはならない一言。頂点が折れるまでは集団に負けは無い、それなのにだ。気づいてはっとするが、幸い傍には誰も居なかった。急に胸が締め付けられるような痛みが走る。
「むむむ!」
――心の臓が悲鳴をあげおる、だがまだ持ってくれ! 軍を退くまでで良い、ここで我が倒れるわけにはゆかぬのだ!
冷や汗を垂らして痛みを堪える、暫くするとようやく収まって来た。だが呼吸が苦しい、休めば治ると言い聞かせて軍を離れようとはしない。ドタドタと足音が聞こえる、伝令がやって来たのだ。汗を拭いて平気な顔を装い待ち受ける。
――今度は呉がなだれ込んできたとでも聞かされるものか。
なんの手当も出来ずに冷将軍に任せきりだった、そろそろ陥落して撤退していると聞かされてもおかしくない時期だ。
「丞相へ申し上げます! 巫城を蘭智意将軍が占拠しました!」
「なんだと!」
――蘭智意といえば介が推挙してきた将軍であるな。しかしどうして巫城を獲ることが出来たのだ……まあよい、これで補給を断つことが出来る。
長江があるので干上がることはないだろうが、陸路を使えなくなったのは呉軍としても厳しい情勢になっただろうと頷く。なによりも永安が陥落していないから伝令がやってこられたのだ、それだけでも福音だった。そこへ別の伝令が駆けこんできた。
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