第16話
徴兵に応じなければその場で皆殺しにされる。応じれば家族を人質にされ、死ぬまで戦わされる。唯一勝てば解放されるという仕組みだ。
当然そのような兵は士気も低ければ忠誠など求められはしない。その地を今後支配下に置こうと言うならば最悪の手だとすぐに解る、それを実行しなければならないのもやはり蜀の国力から来るものだ。
「そうか……」
――長くは無いな、これでは北伐など覚束ない。
凶報ばかりが際限なく舞い込んで来る、そこへ新たな伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます、巴東へ向け呉軍が進発したと報告が。その軍五万とのこと」
「なんと! ……これまで、か」
――引き揚げの判断をせねばなるまい。もう涼西地域は蜀になびく事は無くなる、今後はもっと厳しい戦いになる。
五万の遠征軍を山地に拠って隘路で防ぐ。迂回を気にしなければ一万で可能だろう。だがかの地は川がある。水軍に一万山道に一万、正面に三万と分散されては、守備兵一万では全く足りない。
不眠不休の防戦でも数日防げるかどうか、そんなことを命令すれば脱走が相次ぐだろう。扇子片手に目を閉じて未来を占う。現在がすでにどうにもならない、それでも彼は先を考えねばならない責務があったからだ。
◇
「報告します、呉軍が巴東へ侵入してきました!」
進入路は多くない、先の戦争で使われたら困る山道はすべて切り落としてしまったので、主要街道と河が一本、そして南部の山道、これが大軍が動ける場所だ。
「やってきたな。蘭智意、向忠、関幾、袁休これへ」
「はっ!」
蘭智意を筆頭に四人が島の前へ進み出る。零陵と交州からの士を初めてここで起用する。ダメでもともと、頭数になりさえすればそれで良い。
「蘭智意将軍に二万の軍勢を預ける、先に向かっている南蛮兵二万と共に現地の冷将軍の指揮下に入り呉軍を撃退せよ」
「御意! 謹んで拝命いたします!」
卑将軍に任官出来たのは島の推挙があってこそ、ここで受けた恩を返そう、といった感じで気勢を上げる。信用出来る将軍が居ることで軍勢を割ることが出来て、こちらも大いに助かる。
「向を監巴校尉に、関を斥東校尉に、袁を退東校尉に任じそれぞれ歩兵五千を預ける。蘭智意将軍の指揮に従え」
「ははっ!」
適当に創った雑号ではあるが、向監巴校尉が三人の中で半歩上の号なので代表して返事をする。全て歩兵なので虚を突いた行動は出来ないだろう、それでも対抗は可能だ。
◇
《巴東戦線》
「者ども出撃するぞ!」
蘭智意将軍が主力から離れ進路を東へと向ける。長江の先にある巴東の永安県は白帝城を擁する。蜀の主であった劉備が夷陵の戦いで呉との争いに敗れ入城し、そのまま没した城でもある。
治府があるので永安宮とも呼ばれる、三狭の中心的都市だ。万が一ここを抜かれてしまうと、かなり西に在る陶忍県、更に西に在る羊渠県までさしたる拠点も無い。
「向監巴校尉、お前は臨江へと急進し軍船を擁し長江を下れ」
「承知致しました!」
島の意を汲んで地を選定し、呉将軍が軍需物資を堆積していた。名の通り、長江を臨む街で人口はさして多くはない。だが天然の要害でもあるので具合が良く、数百の守備隊も置かれていた。
「関斥東校尉、お前は河沿いの木々を切り倒し、いつでも長江へ流せるように丸太を準備しておけ」
「お任せの程を、鉄器の使用許可を頂きたく」
「許可する」
伐採のための鉞は戦闘物資ではないので司令部が一手に管理していた、そのため独占を言上した。もし軍船での戦闘に敗北したなら、長江を封鎖してしまえとの考えだ。物量次第では船を沈めてしまえるので、相打ち覚悟で流してしまうのも選択肢としてはありだろう。
「袁退東校尉、手勢を率いて南部の山道を進め。もし呉軍と遭遇したならその場を死守し後方へ通すな、増援を送る」
「御意に御座います。伝令並びに狼煙で合図を送ります」
間道を封鎖して時間を稼ぐ、別動隊があったとしても一本道ではそうそう簡単に突破は出来ない。道なき道を少数で抜けたとしても、各地の守備隊で充分戦えるはずだ。
「俺は本軍を率いて街道を直進、永安へ向かう。南蛮兵にも伝令を出せ、後方を気にせず戦えとな」
四日の行軍、補給物資を運んでいる部隊を別にして本軍が快速で進み続けていた。街道沿いにある程度の距離ごとに物資の堆積所を設置してあったからだ。
平時に干し肉や穀類をおさめて置き、一定の期間が過ぎれば集落に下げ渡すとの条件付きで管理を委託させたのが当たっている。盗みを働かずとも貰えるならば、危険を冒す必要もない。戦は兵站、日ごろから島が口にしていた意味を身を以て知る。
「将軍、先行している部隊が永安での交戦を確認しました!」
「南蛮兵はどうしている」
押し込まれているならば永安での戦いに駆け付けなければならない。そうでないならば兵を走らせる真似はしたくなかった。
「城外に盛り土の塞を築き、戦線の一角を確保しております!」
「ふむ、二万が固まっているわけではなさそうだな、幾ばくか城内へ収容したようだ。ならば簡単には陥落すまい」
もう一日行軍に費やしても問題ないだろうと方針を定める。
「配置の詳細図を用意しろ」
周辺地図、軍用のものが手元に在る。距離も正確に縮尺され兵略を練るには必須のものだ。伝令のメモを見ながら地図に直接書き込んでいく。
「巫県を前線拠点に使っているな、これを暗夜強襲して落としてしまえば敵は混乱するに違いない」
永安のすぐ東、長江と漢水の交わる場所にある都市、戦略重要拠点は呉が占領していた。
「三千をこの場に残す、街道を封鎖して輜重部隊を待て。白帝城の北回りで山地を迂回し、巫城の北西に出るぞ」
自由戦略は思い切りが大切だ。永安を守るだけが全てではない、攻め続けることが出来ないようにさせれば同じ結果を引き寄せることが出来る。
街道を外れて軍勢が山脈へと向かう、巴へ向けて山地を行くのは無謀すぎるが、このあたりまで来ると河や街があることでも解るようにそこそこ平坦な地があった。
白帝城の戦闘を南に見てそのまま東へと進み続ける、漢水とぶつかるとそれに沿って暗闇を進む。
「巫城が見えました!」
「かがり火もなく油断しておるわ。我らはこれを奪い取るぞ!」
三日月が弱弱しく暗闇を照らす、とてもではないが遠くまでは見通せない。半分寝ぼけている不寝番が物音に気付いた。どこの味方が夜中にやって来ているのかと思ったところで遅きに失した。
「掛かれ!」
将軍の号令で万の軍勢が一気に城に取りつくと厳しい攻めを見せる。遅れて城内から敵襲を報せる銅鑼が激しく鳴らされた。
「城門を開け! 本隊を招き入れるんだ!」
城壁に登った決死隊が門を開け、その場を死守した。数分で軽装の先行隊が駆け込み、その数分後に重装備の歩兵が攻防戦に加わる。
「蜀が卑将軍蘭智意推参! この城貰った!」
騎馬した百の本営が入城し、大声でそう宣言した。続々となだれ込む軍兵を見て、城の守備兵は反対の門から這う這うの体で逃げ出していくのであった。
◇
「報告いたします!」
島の本営に伝令が駆けこんできた。差し止めることを禁止したのは島で、伝令の報告は最優先で扱われるようにと命令を出してある。
何せ報を携えて走って来る段階ですでに旧聞に属しているような内容が殆ど、急いで対処する必要があれば一秒が惜しい。
「漢中以南に魏軍の別働隊が侵入して、郡県が荒らされております!」
「どこか小道を抜けて来たか、それとも伏せていたか。呉将軍をこれへ」
経緯はどうあれ現実を見るべきだ。伝令が駆けこみ、直ぐに呼び出しがあった。内容は半々以上で軍事的対処だろうと心づもりを決めてやって来る。
「呉平南将軍参りました」
南蛮州別駕の仕事ではない、武人としての礼を取る。
「魏軍が関内で郡県を襲撃していると急報があった。歩兵二万、騎兵千を預ける、籠っている城を巡りこれを解放して回れ」
「御意。内水沿いの巴西が狙われているでしょう、増援に出ます」
都である成都の西に外水、東に中水と呼ばれる河がある。その更に東にある河を内水と呼んでいた。
つまりは船で越えない限りは内水が行動限界ということになり、その中での北の拠点が巴西県にあたる。その先の最北端が漢中であり、巴西が敵の手に落ちれば連絡線を喪うことになり前線に糧食が届かなくなる。
「呉将軍の指名を採る」
広域戦闘が見込まれる為、指揮官の指名を行わせた。呉将軍ならば与えるのではなく、自身ですでに抱えているだろうと。それを追認してやれば済むならばとそうする。
「我が子を中郎将に、劉信を筆頭校尉、高栄、宋材、温衛ら八名を指名いたします」
「よかろう、呉平南中郎将以下を認める」
十人か! そんなに囲っていたとは、いやはや流石だな。指揮官は居るに越したことはない、別に部隊を率いずとも側近として知恵を出させることも出来る。
本営で腕を組んで座していた孟獲が「派句治射王(パクチイオウ)!」一人の南蛮王を呼ぶ。呉将軍が居る場所の斜め後ろに進み出て孟獲を見る。
「俺の兵を三万預ける、お前はそこの呉将軍の指揮に従え」
「大王のご命令とあれば」
全く別系統の人物に命を預けろと言われ、一言も文句を言わない。どうしたものかと呉将軍の視線がこちら向いていることに気づく。
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