第10話

「その為には孟獲を倒さねばなりますまい」


 李将軍が最大の敵を名指しであげる。他にも大王は在れど、孟獲程の影響力は持っていないと分析していた。それには皆も同意する。


「うむ、敵の規模や装備、配備状況の報告を行え」


 視線は先行していた馬将軍に向いていた。彼も頷いて報告する。


「孟獲大王は周辺九族の王を従え、十八の洞を統べる南蛮の英雄です。彼等は部族ごとに特殊な装備を持っており、その数凡そ三十万人。近接武装が主で鎧を着けるのは少なく好戦的、洞と呼ばれる集落ごとに配備されております。また様々な危険地帯、底なし沼、毒が漂う岩場、毒蛇などの害獣、色々な場所で細心の注意が必要になります」


 呂参軍が開いた地図、それと馬将軍が調べてきたものを両方並べて各自が考える。そんなのとまともに戦うほど俺は真面目じゃない。孟獲というのがどういうやつか、だな。いずれにしても一度話をしたいものだ。無理な相談とはこれだろう、だがどうにかして直接話をすることを考えていた。


「孟獲がどこに居るのか調べはついているか?」


「はい。昆明城に本陣を置いております」


 昆明は他の地域が砂漠並みに暑くなっても、ああ暑いな程度までしか気温が上がらず安定している地域らしい。逆に冬は寒くも無い程度までしか低下しない、まさに常春の地だ。それだけに都になった背景がある。


「そうか」


 昆明に密偵を放ち連絡をつけたいな! かといって大っぴらには出来んぞ。城外におびき出すのが絶対条件だ、名指しで迫れば無視も出来まい、何せ英雄で大王だ、逃げたとあっては面目がたたんだろう。


「李将軍、昆明北東に陣を張るんだ。敵の戦力をひきつけ、盛んに孟獲を罵りやつを城からおびき出す」


「決戦を誘うと?」


 攻城戦よりはその方が勝ち目がある。時間も掛からなければ騎馬も有効だ。


「それは違う、とにかく城から出すのが目的だ。馬将軍を従え兵四万で陣を守りぬけ」


 半数で囮になれと命じられる、最終目的も知らされずそれは内心穏やかでなかった。だが指揮権は島将軍にある、従うしかない。


「承知しました」


「私と王将軍は北西から昆明に寄る」


 問題は言葉が通じるかどうかだ。通訳は二組、これを失うわけにはいかんぞ! どの言葉に当たるか解らない、自身が理解する言語ならば幸運だが、そうでなければ何人間に挟むことになるか。


「蘭智意は五千の兵でこの陣を守れ。敵が攻めてきても決して打って出るな、防ぎきれそうになければ狼煙をあげて増援を待て」


「はい、島将軍」


 高将軍に借りている武将を重要拠点の守将に据える事に異論がありそうな雰囲気だった。だがそれを黙殺し命令を下す。


「我々は蜀を支える為にここに在るのを忘れるな。些細な不平不満は大事の前に忘れてしまえ、こんなところでおめおめ死んでいる暇は無いぞ、誰一人欠けるのは許さん。良いな!」


「応!」


 将軍らが声を上げた。真にそう思っているかはともかく、目の前に敵が居るうちは諍いも脇に置くことに同意した。



 李将軍の軍勢が出撃していった。それに遅れて翌日、本軍も陣を出る。前衛に王将軍と一万五千、本隊も一万五千、うち五千を呉校尉が直率した。直属の一万は千人将らに指揮を任せてしまい、呂参軍が命令を出すことでまとめている。身のまわりには李軍侯率いる親衛隊百が必ず侍っていた。


「呉長吏、孟獲の周辺へ密偵を放て。連絡をつけるんだ」


 校尉の仕事ではないので長吏と呼んで手配させる。当然彼は眉をピクリとさせて真意を問うた。


「それは降伏勧告の類でありましょうか?」


「密談への誘いだよ。孟獲が共通の言葉を喋れば良いが」


 最悪でもベトナム語を使えば、間は一人で何とかなるだろう。


「恐らくは漢語を解するでしょう。彼は南蛮の王でありながら、漢人の血も引いておりますゆえ」


「なんだって?」


 それはもう当たり前だとの顔だ。どうしてそういうことを黙っているんだよ。もしかして常識だったか? コレだから土地勘がない場所は怖い。


「孟姓をは漢人のものです。それを名乗っているのは何かしらの意味があるのでしょう」


 尤もらしい説明につい納得してしまう。もしそれが忌避すべきことならわざわざ南蛮で姓を固守する必要は何も無い。


 軍を進め密偵を放ち数日、孟獲の側近から反応があった。何か用事か、とのことだった。話を聞く余裕はあるようだな。悪いが真面目に戦争するつもりはこれっぽちもない。


「呉長吏、孟獲に面会を求めるんだ。野戦の眼前ではなく、こっそりとな」


「密談でしょうか?」


 それが一軍の大将が取るべき行動かと言われたら何も言えんがね。


「ああ、条件が折りあえば停戦する。血で血を洗うような真似は最後の最後で構わんだろう?」


 どうだ、と呉長吏に笑顔を向ける。彼はまさかといった表情だったが、言うように戦おうとすればいつでも泥沼にはまれるので、まずは命令を遂行することを選んだ。


 連絡のやり取りにまた数日、あちらの反応は驚きの是だった。呉が唸りながら報告を上げてきた。幸先よしだな。後は現場で俺がアホ面をしないように要警戒だ。


「李軍侯、少し出掛けるぞ」


「御意」


 質問も何もしない。行くといえばどこにでも着いてゆくのが彼の役目だ。見通しの良い岩場の中腹、双方が十名のみに絞ってやってくる。どうしてこのような無茶な面会が成功しているかは俺にも解りはしないよ。


 長い鳥の羽をあしらった冠を頭に載せた大男がのっしのっしやって来る。二メートル近くはあるかも知れない。この時代、この地域では唯一だろう突然変異だ。俺より大きい奴はこちらで初めてだよ。


「孟獲大王かな?」


「島将軍だろうか」


 誰が大将かは見たら互いにすぐに解った。まとう気迫が違うのだ。


「こうやって会って貰えて嬉しい限り。南蛮の英雄を眼前にして納得だ」


 まずは素直に風格を褒めた。無礼にならないように控えめに。


「散護忠将軍仮節雲南太守監丞相府諸軍事護羌南蛮校尉中郷侯、洒落た将軍と俺も思うが」


 羌の部分まで知っているぞと、情報通な部分を前に出してきた。つまり蜀に興味ありともとれる。


「一つ提案があるんだが聞いて貰えるだろうか」


「俺も聞いてみたかったことがある」


「そちらからどうぞ」

 

 軽く応じる。後のほうが有利だとかそういうことではない、何を聞きたかったのか、単に興味があっただけだ。


「どうして俺なのだ。交州の士燮のほうが様々話が通じ易かろう」


 士燮。呉国の支配下に連なってはいるが、ほぼ独自の勢力を張っている交州の英雄だ。ベトナムで神と崇められてすらいる。例の文字をくれた神のような人物というのがこいつだ。


「物が欲しいだけならそれでも構わないのかも知れないが、生憎私は貪欲でね。孟獲大王でなければいけなかった」


「その理由が提案に繋がるわけか」


 蛮族の王かと思えばやけに頭が切れるようで、理解は早かった。それが自身にとって利があるだろうことまで解っているようだった。


「私は南蛮渡来の品を求めていると同時に、仲間を探していてね。勇猛果敢で裏切らず、それでいて高度な知識を持ち合わせている英雄を」


 挑戦的な笑みを浮かべて返事を待つ。呉長吏の想像を遥かに越えた会話が繰り広げられているようで、助言をしようと気を張っていたのに一言も喋られずにいる。


「俺は大王でね、簡単に馴れ合うと不味い結果になる。……そこでだ幾度も戦い、ついには力尽きて降ったという話にしたい」


 激戦の末に刀折れ矢尽きれば降伏しても何も言えないわけか。宣伝戦を想定だ。最後は降る、それだけでは孟獲が不満だろう、ではどうする?


「南蛮軍と蜀軍は七度戦い、七度引き分け、八度目にして蜀軍が勝利。大王が降伏する。私がそれを許し兄弟の契りを交わすという筋書きではどうだろうか」


 兄弟、それならばどちらが勝って、どちらが負けても角は立たん。インチキもこうまで大掛かりにやれば真実味が増すね。


「はっはっは、そいつは良いな! 俺は苦労せずに戦いを終わらせることが出来るわけだ。南蛮を征服したことにして引き上げる?」


「貢物を毎年贈る、これで形は成り立つよ。返礼品を倍返しする。それらの予算を南蛮渡来品の売買からでる租税で賄えば双方が収まる。だが人が欲しいのはある」


 兵士だけではなく、人口そのものだと補足した。


「喰って行けるなら人はいくらでも出そう。減れば産めば良い、それだけだ」


 現代の政府の重要人物が言えば批判を山と浴びそうな一言につい苦笑してしまう。


「ではそれで行こう。話がわかる大王で良かった。実は馬乳酒という実に甘美な響きの酒がある、すべて終わったら酌み交わそう」


「そいつは良いな。ではさっさと下らない戦をやっちまおうか兄弟、俺は面倒が嫌いなんだ」


 呉長吏が天を仰いだ。自分ではきっと将軍を越えることは出来ないだろうと確信して。



「銅鑼を鳴らせ! 矢を放て! 声をあげろ!」


 島将軍の命令で直属軍が派手に騒ぐ。密林奥深く、孟獲の本軍と近接して互いに戦いを演じた。激闘を繰り広げること半月、南蛮の大旗が地につく。


「蜀軍の勝利だ、勝鬨をあげろ!」


 数万人が半月がかりで道化とは、俺もどうかしてるな。孟獲一行が呉校尉に連れられ幕にやって来る。形としては捕虜だ、敢えて元気なさそうにはせず、孟獲は大王として降っても威厳を保とうとしていた。立派なものだ。だから大王に従う奴等がいる、これを辱しめては激しい抵抗にあうだけだ。


「孟獲だな」


「俺は孟獲大王だ。戦には破れ身体の自由を奪われようとも、心までは縛れまい!」


 ガハハハハ、と大笑いする。集められた将軍らは特に反応を見せない。


「私は南蛮の地を蜀の統治下に収めるのを目的とし、ここを征服しにきた。それはこの地の民の心を得る、それが必須だ」


「やれるものならやってみろ。俺を殺しても我等が族は決して屈しない、貴様等が山に逃げ帰るまでずっと戦い続けるだろう!」


 実際その通りだと俺も思うね。だからこそ、だ。孟獲は言葉だけの俺を信じてやって来た、それに応えぬわけにはいかん!


「島将軍、孟獲を処刑し南蛮の地に晒すのです。蜀に逆らえばどうなるかを知らしめ、反乱を締め付けるべきで」


 李将軍と馬将軍が頷く、王将軍は意見を発することなく前を見ている。顛末を知る呉長史も口を閉ざしたままだ。


「そうか、そう考えるか」


 さも納得したかのように孟獲に視線を向ける。ここで怖じ気付くようなら奴も大王など名乗りはしていまい。


「おお殺せ! 俺は決して命乞いなどせん!」


 後ろ手に縛られ座らされてる。首を伸ばして跳ねやすくしてやる、そう声を張る。


「良かろう。これが私の決断だ、誰一人として異見は許さん!」


 腰に履いた剣を抜いて孟獲の傍にゆっくりと歩み寄る。呉長史がまさか、と少し表情を変えた。鋭い視線を向けて喋るな、と制する。


「吐いた唾は飲み込めんぞ、孟獲!」


「おう、お前の好きにしたらいいだろう! やれ!」


 剣を構える、そして振り下ろした。縄が切れる。将軍等が、どうした? そんな顔をした。


「孟獲大王。蜀は勅命を帯びた島の名を以てして大王に命じる。南蛮の地を統合し蜀に降れ、帝の威光を蛮地に轟かせるのだ」


「なに?」


「これは命令だ。この世に生ける全ての者は帝の臣下だ、従え孟獲」


 沈黙が続く。孟獲は島を厳しく睨み付け、ついには歯軋りしながら応じさせる。


「俺は南蛮に責任がある。暮らしを守る義務がある。……仕方あるまい……」


「うむ。立て」


 巨漢だ。将軍らより頭一つは大きい島より更に大きい。南蛮の民からしたら大人と子供位の差がある。


「帝を父とし、帝を主とし、同じ地を踏んでいる我等は同輩だ。私はこの地を預かる島太守、されば孟獲大王と兄弟のようなもの」


「兄弟だと?」


「大王が膝を折ったのは帝に対してのみ。私はただの代理人に過ぎない。契りを結ばないか、これからは共に歩みたい」


「島将軍、そのような勝手な振る舞い、許されませぬぞ!」


 李将軍が顔をしかめて抗議する、越権甚だしいと。馬将軍もよい顔をしていない、がこちらは口には出さない。


「黙れ李輔漢将軍! 私は今、国家の大事を、政治を、外事を遂行しているのだ! 一介の将軍が語る軍事ではないのだぞ!」


 将軍は高度な政治的判断を下さねばならない時がある、俺もあった。これを譲りはしないぞ!


「むむむ……」


「孟獲大王、私は本気だ」


 じっと目を見て告げる。ここで断られれば今度は島が梯子を外された形になってしまう。


「ふん、面白い奴が居るものだな。島太守、俺とお前は兄弟と言うか。良いだろう、勝ったのはお前だ俺が弟分だな」


「いや違う、私と大王とは五分の兄弟だ」

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