数センチ宙から見た景色②

 あたしは今、鳴瀬くんとお姉ちゃんと同じスクリーンを見つめている。映し出されている作品は、もちろん「ほしきみ」だ。

 こんな瞬間が来るのを、どれだけ待っていただろう。


 三年間、と言葉にしてしまえばそれだけのことだけど、もっと奇跡的で、ずっと待ち望んだものなんだよ?


 鳴瀬くんと一緒に、映画館で「ほしきみ」を観る。その約束が、まさか幽霊になってから叶うなんて、約束を交わしたあの日のあたしに言ったら、どんな反応をするんだろう。たぶん、笑い飛ばすに決まってる。


 ねえ、鳴瀬くん。普段は約束なんてしなかったのに、どうしてあの時は約束をしようと思ってくれたの? 純粋な恋愛映画は恥ずかしいって言ってたのに、どうして「ほしきみ」を選んだの? もしかして、映画が終わった後、何かを伝えようとしてくれていたのかな。

 なんて、全部あたしの妄想かもしれないけど。


 映画の中では、主人公の男の人とヒロインの女の人が二人で旅に出ようとしている。病気のヒロインは、やっと駅の構内までたどり着いた時、ついに力尽きて倒れてしまう。ヒロインの満足げな表情と、主人公の悲痛な表情がスクリーンに映し出される。

 この二人が一緒に旅をすることは叶わない。ヒロインとはここでお別れになって、主人公の男の人は一人で旅を続けなければならない。

 あたしも、ここで終わりだ。鳴瀬くんの旅について行くことは叶わないし、力になってあげることさえも許されない。そんなことを、途端に意識してしまう。


 あーあ、なんで最後に観るのがこの映画なんだろ。あまりにも卑怯すぎるよ。ただでさえ涙なしでは観られないストーリー展開なのに、二人に自分たちの姿を重ねずにはいられない。あたしは涙が止まらなくなって、思わず頭の中で映画の内容に悪態をついてしまう。

 今まで鳴瀬くんの前では泣かないようにしてきたのに。せめて嗚咽が漏れないように気をつけないと。


 いよいよヒロインの命が尽きた時、あたしの左手に重なる鳴瀬くんの右手があった。触れられはしないけど、その手の温かさが伝わってくる。左を向くと鳴瀬くんも泣いていて、あたしは思わず苦笑した。

 右隣りを見てみると、お姉ちゃんも泣いているから驚いた。今まで一度も泣きそうな表情さえ見せたことがなかったのに、なんだかまるで別人みたいだ。その涙に、あたしはちゃんと成し遂げられたのだと思った。

 自分一人だけ泣き顔を見られるのが悔しかったから、お姉ちゃんの方を親指で示して、鳴瀬くんに伝えてみる。鳴瀬くんに見られたことに気づいたお姉ちゃんは、あたしの真似でもしたのかと思うくらい、自然に苦笑をこぼしていた。


 なんだか幸せだな。


 映画はこんなにも悲しいシーンだし、もしかしたら、あたしたちにとっても今は悲しい瞬間なのかもしれない。それなのに、あたしはこんなにも満たされていて、これ以上ここにとどまっていられなくなっている。

 それでも、せめてエンドロールが終わるまでは――。

 本当はもっと前に終わっているはずだったあたしの人生を、こんなにもオマケしてもらったけど、どうかあともう少しだけ。


 ついに、映画はエンドロールへと入る。スタッフやキャストの人の名前が流れる傍らで、主人公の男の人が一人で旅をしている。そんな彼の姿が鳴瀬くんに重なった。

 あたしがいなくなっても、鳴瀬くんは一人で歩いていく。あたしがいなくたって、今の鳴瀬くんなら決して立ち止まったりしないと信じられる。自分でそれを願ったはずなのに、なんだか急に悲しくなってきた。


 やっぱりあたし、鳴瀬くんが好きなんだ。


 分かっていたけど、改めて気づく。このままずっと一緒に居られたらいいのに、ここで見送らなきゃいけないのは、悔しくてたまらない。

 きっと、大学生になったら彼女とか作っちゃうんだろうなぁ。もしかしたら、このままお姉ちゃんと、なんてこともあるのかな。それはそれで嬉しい気もするけど、やっぱりちょっと悔しいかも。

 だけど、あたしはもう十分もらったから。これ以上願うのは、わがままになってしまう。


 エンドロールがいよいよ終わりに近づいているのが分かる。本当は両隣に座る二人の顔を確認したかったけど、ぐっと我慢して目の前だけを見つめ続けた。

 映画が終わろうとしている。

 まず主人公の男の人の映像がフェードアウトして、いくつか人の名前が流れてきた後、ついにスクリーンは完全な黒に染まった。光源を失ったシアターは闇に包まれる。その闇に溶けて、あたしは消える。


 ああ――。


 身体が軽くなって、全身の感覚が薄くなる。眠りにつく直前と、少しだけ似てるなと思った。


「この映画を観終わったあと、ずっと言おうと思っていたことがあるんだ」


 消えゆく意識の中、かすかに声が聞こえた気がした。きっともう姿も保てていないし、もしかしたら空耳だったのかもしれない。

 それでも、本当だった方が嬉しいから、ちゃんと聞こえたことにしておこう。


「葵、好きだよ」


 あたしの意識は、いよいよ完全に消え去った。

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